
「社会」って「わたし」のことかもしれない
大阪のNPO法人がやっている「生きづらさからの当事者研究会」(通称、づら研)のフィールドワークを通じて、現代日本の「生きづらさ」とは何か、そこから生まれる「つながり」とは何かを考えた。上野千鶴子氏の「当事者」論を批判的に継承した「当事者研究」論でもある。
づら研には、学校や職場とつながれない、他者や集団との関係が苦手、「社会」が怖い、などと感じるわたし・わたしたちが集う。「生きづらさ」は、「自己責任」と言っても「社会要因」と言っても嘘っぽくなる。「個人のサバイバル・スキル」と「構造の規定力に関する知」に両腕を引っ張られながら、それはそうだけどそれだけではわたしの問いは解決ないんだよね、とどちらでもない中間部分に留まるなかで、見えてくるのは「場」のちからだ。
「居場所」「対話の場」と言えば聞こえはいいが、しんどさを抱える人が集う場は、傷も不安も期待も癒しもごちゃまぜになった闇鍋のようなもので、さまざまな葛藤が発生する。その「場」づくりに参加していくということは、ひとつの「社会」をつくるということだ。「社会」が怖いというけれど、「社会」ってわたし(たち)のことかもしれない。「生きづらさ」から立ち上がるつながりは、そんなふうに問いかけてくる。
私はかつて、拙著「不登校は終わらない」(2004年、新曜社)で、不登校の子が通うフリースクールの制度化運動で語られた「明るい不登校」の物語を批判したことがある。「選択」に値する「明るい不登校」、と言ってしまえば見えなくなるものはあり、その批判を曲げるつもりはいまもない。だが、当時の私には「語り」の分析という視点はあったが「場」「関係性」の分析という視点はなかった。不登校・フリースクール運動の、「親の会」や「学校外の居場所」など具体的な場づくり実践を伴っていた重層的な活動を、言語のレベルに矮小化して批判したことは反省点だった。
あれから18年。自分が「場」に関わることができ、10年以上の参与観察を経てこの本を書くことができた。前著に批判的なコメントをくださった方々への宿題を果たした思いである。
◆書誌データ
書名 :「生きづらさ」を聴く――不登校・ひきこもりと当事者研究のエスノグラフィ
著者 :貴戸理恵
頁数 :336頁
刊行日:2022/10/12
出版社:日本評論社
定価 :2613円(税込)
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