第1章 旧陸軍被服支厰と広島の記憶
第2章 在日朝鮮人女性史・生活史から学ぶ
第3章 加納実紀代が語る、加納実紀代を語る
第4章 『パーク・シティ』公園都市広島を語る
第5章 広島の在日朝鮮人史を掘り起こすために
第6章 セクシャル・マイノリティとフェミニズムの対話
第7章 〈この世界の片隅に〉現象を読み解くためのレッスン
第8章 広島で〈加害性〉を語るということ
広島市はいくつかの冠名をもつ都市である。大本営があった戦前は〈軍事都市廣島〉、戦後の復興から1970年までは〈被爆都市広島〉から〈平和都市広島〉、以降、広島市は〈国際平和文化都市広島〉を目指し都市づくりをしているそうだ。50年経つがその名称が変更されるという情報はないので、いまだ達成されていないということなのだろうか。「国際」も「平和」も「文化」もその内実は議論されたことはないのだから、その先は見えない。
だからその名称が意味するものを議論するより、別の視点から別な名称を考えることによって広島という磁場、広島という視座そのものを広げたい。〈わたし〉の側から見える広島として、名付けなおすことは可能ではないか、いや、そこにこそ広島を語る意味があると思える。写真家・笹岡啓子は「公園都市」と名付けている。
思想家・矢部史郎は、広島を“かさぶた都市”(矢部史郎著『原子力都市』以文社、2010)と名付けた。矢部は「かさぶたは、傷であって傷でない、皮膚ではないが皮膚のような働きをする。そしてその下に皮膚の破れ目があることを示し、同時に皮膚の破れ目を隠してもいる」と言う。10年前に読んだとき、その名づけに「うまいこと言うなあ」と妙に感心したまま置き去りにしていたが、この連続講座を企画していくなかで、そのイメージが突然浮上し重なって、一気に具体性を帯びた。
だから、本書は八章で構成されているが、それぞれの章はその「かさぶた」をはぎ取る行為ともいえる。被爆地広島で核兵器廃絶を主張しながら核の傘に身を寄せて硬くなっているその「かさぶた」をはぎ取り、長い間隠されてきた破れ目が、いまだ赤く爛れてそこにあることをいったん直視することを迫るものとしてある。
そのことを可能にしたのは、被害の象徴都市として語られ続けてきた広島とは別な「物語」を編む試みを継続してきた人々の仕事の集積である。このたびの連続講座とこの論考集はその集積に連なるものとしてあるはずだ。本書は、個人的にもここ20数年こだわり続けてきた「なぜ被害は女性化されるのか」という問い、そのことから新たに生まれた「なぜ(わたしは)在日朝鮮人(女性)と出会いそこねているのか」という問いに支えられている。そして、気づくとジェンダー・フェミニズムと植民地主義の交差性を問う見晴らしの良い「交差点」に立っていた。
国際政治を専門とする阿部小涼は、「広島を平和都市、爆心都市としてシンボル化していく中心主義を、少し解いてくれる効果が、「あいだ」の都市という表現にはある」とし、「唯一の戦争被爆国」の爆心都市ヒロシマとしてではなく、「行き交った多数の人びとのコミュニケーション」によって編み上げられた物語として「あいだの都市・広島」を掘り起こすことを提唱する。
「かさぶた都市」と「あいだの都市」が図らずも広島で共鳴することになったことを喜びたい。(たかお・きくえ ひろしま女性学研究所主宰)
◆書誌データ
書名 :広島 爆心都市からあいだの都市へ(「ジェンダー×植民地主義 交差点としてのヒロシマ」連続講座論考集)
編者 :高雄きくえ
頁数 :429頁
刊行日:2022/11/18
出版社:インパクト出版会
定価 :3300円(税込)