あけましておめでとうございます!本年も宜しくお願い致します。
皆さんお元気でしょうか?
私は昨年「休養」という形で任意入院を短期間していました。
12月はクリスマス、そして年末年始と世間が輝くのに対し、サバイバーである私にとって「外に出たくない」と引き籠ってしまいます。「うちは無宗教だからクリスマスはない」と幼少期に言われてきたこともあり、私自身もサンタを否定していたのですが「サンタはいる」と確信を得る幼稚園時代がありました。こういった話も、いつか書籍化できたら書けたらいいなぁと思っています。
お正月から性虐待・性暴力の話とはなりますが、今回は「性虐待が与える影響」そして自身が経験した未成年時の「グルーミング」「児童間の性」について語ろうと思います。
今回も無理のない範囲で読んで頂ければと思います。今回はいくつか記事を挟んであります。
そして、私は解離性同一性障害(DID)の症状をもった人ではありますが、私が語るDIDが全て正しいわけではありません。「私のケースはこうだった」と一例として読んで頂けたらと思います。
【性虐待・家族の発言が与える影響とは】
Twitter上でふと目に入った記事がありました。
娘への強制性交、罪に問われた夫に「処罰は望みません」 法廷で妻が語った驚きの理由(弁護士ドットコムニュース) - Yahoo!ニュース
この記事の中に検察官と被告人のやり取りがあるわけですが、
【引用】
検察官「こういう行為(口淫)が娘さんに後にどのような影響を与えるかと想像しませんでしたか?」
被告人「その時には考えていませんでした」
親2人の話を聞いた子どもは、性虐待だけではなく母親からも心理的虐待という大きな暴力を受け、それがどれ程つらいことか。苦しいことか。私自身、伯父からの性暴力を母親に言おうと試みたことはありますが母親の一言で助けを求めるどころか、ショックを受け(私は虐待・性暴力を受けながら大人になった 真野あやみ参照)
様々な身体的症状が現れ、解離して今まで生きてきましたし、今もその言葉が突然脳内に浮かんだり、聴こえてきたりすると薬無しでは、自分を保てません。解離してしまい、そのまま後ろに倒れ数時間玄関先で寝ていたということもあります。
検察官が言った言葉。「娘さんに後にどのような影響を与えるかと想像しませんでしたか?」
幼い頃から性虐待・管理売春・性暴力を受けていた私ですら、どのような影響が現れるかということも知りませんでした。
皆とは違う。何故、こんなにも生きにくいか…。そういうことは考えていましたが、それの原因が分かりませんでした。小学2年生の頃から不眠症を患っていましたが、周囲の大人も気付かない。寝るのに3時間はかかっていました。
成人になってしまうと、法律上親と絶縁することは困難です。分籍は出来ても「家族であることを認めないといけない」という厳しい現実があります。私は何度も何度も自分を責めました。「どうして子どもの時に言えなかったのか」そして「どうして誰も助けてくれなかったのか」と。悔しいことに私の過去にはそのような救済はありませんでした。
今も加害者である実父、管理売春に来ていた大人たちは、逮捕されていません。警察も注意と指導しかできません。泣き寝入りするしかない現実。証拠採取のミスのせいもあります。
実家を離れて生きていても、毎日が生き地獄で自殺願望と戦ったり、ゆっくりできる生活などほとんどありません。必要なケアも出来ていません。
障害福祉手帳を申請し、はじめて手帳を手にした時。「…私は、障がい者なんだ」と泣きました。今は障がい年金を申請し、障がい者として生きていく私のこの先の人生。
性虐待がなければ、私はどのような生活をしていた?友だちと遊んだり、仕事をしたり、旅行に行ったり。恋をして愛し合って結婚していた?子どもを授かれたのだろうか?
影響は心だけではなりません。身体症状は私には出ました。何度も強制的に開かされる足。男性の力には勝てませんし、硬直した私の足を無理に開くという行為を繰り返されたことによって私の膝関節は非常に滑りやすくなり、関節がズレ、最悪な時は12時間体制を変えることができない。それは激痛が走るからです。1mmも動かせません。そして、歩くことも困難な時もあります。遊ぶ約束もドタキャンとなり友人も離れていきました。
性暴力支援者だけではなく、被害届けを受理するかどうか決める窓口の方にも性虐待や性暴力の影響はどういったものなのか。そして、それも被害者にとって症状が異なっていてもおかしくないということ。正しい知識と寄り添う心を持った方が増えることを願い、私はこれからも一人の経験者として研修の場で話をしていきたいと思います。
【私は売春しているとは思っていなかった。ただ居場所がほしい…】
京都のホテルで児童買春斡旋、福祉施設職員の男を追起訴|社会|地域のニュース|京都新聞
今から話すのは、私自身の経験です。
中学2年生の頃のこと。ネットの掲示板で出会った一人の男性と待ち合わせをして一緒にホテルに入ったことがあります。ファミレスか喫茶店で話をするだけと聞いていましたが、待ち合わせをした場所は1年に1回来るか来ないかくらいのところで、私に土地勘がなく向かった先はホテルでした。その人との性行為が終わった後に、男性2人が入ってきて同じように性行為を。
家庭内で性虐待を受け、家庭外でも管理売春という名の性暴力を受けていた私にとって、優しく声をかけながら性行為をしてくる男性は天使のような存在でした。
「痛くない?」そう尋ねてくれることが、当時の私にとっては天使でもあり救済者のようにも感じていました。強制的に乱暴な性行為をしてくる男性と比較すれば、天国か地獄かと問われれば天国の中のそのまた天国のような空間。「綺麗」だとか「可愛い」だとか容姿だけではなく精神的な面でもフォローしてくれる。「つらいよね…」「君は何も悪くないし、穢れてなんかもいないよ」と。
家庭のなかに居場所などない私にとって、生きる居場所だと感じたのは、掲示板で出会い「今日、学校どうだった?」「今日は何してたの?」と聞いてくれる人たちがいること。勿論、性的なことを聞いてくる人もいます。応じることもしていました。
週末になったら話を聞いてくれて、優しい性行為をしてくれる男性たちとの空間。リーダー的存在の人がいて「それはするな」と嫌なことは止めてくれるのです。この人と結婚したいと思っていたような気もします。
大人になった私は分かります。優しい大人ではなく、立派な加害者たちだったということ。しかし、そこを認めてしまうと当時の私が抱いた感情を全て否定することになってしまう。
実際、支援のない現状のなか自分で何かワークをすることは危険を伴う可能性もあります。
しかし、前に進みたいと思う気持ちもあってか、ひとつずつ慎重にワークを行うことを決めました。
身を投げ出したくなるような作業です。フラッシュバックが起きるかもしれないと思った時すぐに処方されている「不安時用」の頓服を飲むようにし、「ここまで!」とワークをその日はそれまでにする。そして、終わった後に冷たい飲み物か甘い飲み物を飲むようにしています。感覚として「冷たい」と感じることが出来ているのか。「今日の甘さはどのくらいに感じているか」と確認作業を行います。
頓服を飲んだからといって嫌な記憶が消されるわけではありません。頭の中でリピートされたとしても、できるだけ考えようにしないようにする。しかし、気付いたのが「考えないようにしている」ではなく「解離している」ということ。解離してしまうと苦痛から逃れることが出来て、まるで忘却の魔法がかかるような感じで、ユリカゴの中にいるような心地になります。
どれだけ優しい言葉をかけられた性行為であっても、傷としていつまでも遺ってしまうこと。
学校の先生に「この学校で飛び降り自殺した人いる?」と聞いた中学1年の私。「いないと思うけど、なぜ?」「…私、死にたい」はじめて人に自分の気持ちを言った。言えた。しかし「何を言っているかわかってるか?ふざけんな」と返され、自分の元から離れていく先生。私はその先生の背中が見えなくなるまでずっと見ていました。でも、私はその時の光景を上から見ています。いくつかの視点から自分の姿を眺めていました。「哀れだ」そう自分の身体に対して、そう言ってしまった私もいました。実際、私は校舎から飛び降りたのですが、かすり傷程度で済み「何でもない」といって大事になることもなく、自宅に帰ってパソコンを開いて「私の居場所」にログインする。
「好き好んで自分からホテルに行ったのでは?」「今の子は早いからなぁ」とか様々な声はあります。例えば「好き好んで癌になったな?」「現代人は癌の発症率もあがっているからなぁ」という会話があればおかしいと私は思うのですが。
好き好んで癌になる?癌になる要因はいくつもあげられているように、「自ら体を売るようなところに行く」という行動にも要因は必ずあります。
私は、知らぬ間に自分の中にあった【寂しさ】がまず大きい要因です。では、その寂しさは何処からきたのでしょうか。家庭内虐待はありました。しかし、私は「死にたい」と先生にも伝えていました。家庭内だけの問題なのでしょうか。私は「ふさけんな」と言った先生の気持ちは分かっていました。命を粗末にするなっていう意味だと。しかし、私は「死にたい」という表現は少なくとも高校生まではもたず「生きづらい、なぜ?」と自分自身に何度も何度も問いかける。授業中もそうでした。気付けば寝ていたりして、教科書で頭を叩かれ「急に授業態度がおかしくなった」と呼び出され、私は単に「話は聞こえてるからサボってるわけじゃない」と返した記憶も断片的ですがあります。
【誰も聞いてくれる大人がいなかった】【否定される】それをフォローしてくれる優しい加害者たち。
私は部活動でも解離していたのだと思います。解離してしまい、サボっていると思われる。親からも更に叱られる。呼び出されても「お前が悪い」とこちら側の言い分も聞かない大人たち。
一生懸命に部活に取り込める時もあります。飛び込んで足に釘が刺さったのですが、私は平気な顔で刺さった釘を抜いたようで「ちょっと!?保健室行きな?やばいよ?」と言われても「痛くないから平気」と言って流れる血を絆創膏で止めるだけ。痛みとかそういう感覚も私にはありませんでした。今でもその釘が刺さった後は残っています。
大人になってから「あの時の私の行動が今でいうとパパ活。当時でいうと援助交際だったのだ」と気付きました。ようやくです。私は今、取材を定期的に受けながら自分の過去を思い出すことがあります。「あぁ、あの時こんなことあった…と」不思議と加害者の顔だけがモザイクがかかったように分からないのです。
【子ども同士の性と町内に潜む児童ポルノ犯】
「プライベートゾーン」昔はそのような言葉を聞いたことはありませんでした。「見られてはいけない・触れられてもいけない」そういうことも教えてもらうこともなく大人になりました。性的同意だって学んだことありません。境界線も知りません。
私が住んでいた町には児童ポルノで逮捕歴がある人が住んでいました。「あの息子には気をつけなさい。家に呼ばれても行っちゃだめ」とだけ母親から言われていました。
近所のお姉ちゃん2人と遊んでいた時「またね!」と急に言われ、お姉ちゃん2人はその男性に呼ばれて入ってはいけない家に入っていきました。
私はずっとその場に居たまま「お姉ちゃんたちはいつ出てくるの?」と思い、一人でずっと待っていました。笑って出てくるお姉ちゃんたち。「ばいばーい」と仲良く手を振りながら出てくる2人。「中で何していたの?」と聞いたら「アイスクリームもらった!いいでしょ!でも内緒!」と言われました。しかし、私の中では「アイスクリーム」と聞いた瞬間、頭が痛くなってしゃがみ込み、近所の人からも「体の弱い子。細いから」と言われていました。
私はその人の家には入ったことはおそらくありません。「おそらく」というのは私が記憶にないだけで他のアイデンティティがその記憶を持っているかもしれないからです。しかし、「無い」という答えが欲しい。
しかし、その息子に見えるように父親に「窓から全裸を見せつけろ」と言われたことはあります。
いつ、誰が通るから分からない道。私は恥ずかしさでいっぱいで、そこからは記憶にはありません。
町内に児童を狙う加害者がいる。その町内で行われていた子ども同士の遊びがありました。
お互いの性器を見せ合うという遊びです。女の子はスカートを履いたままパンツだけ脱ぐ。それを数人で行う。触る子も居れば、見るだけの子もいました。私は見せることも、触ることもなく。
「触ると気持ちいいよ」と。自分より下の年齢の子に言ってしまいました。
私にしてきた加害者が言った言葉。私のその言葉でその子たちが今、苦しんでいたら私は加害者です。例え苦しんでいなくても、私は加害者です。直接手に触れなくても何かしら影響はあると私は思います。謝罪しても許されることではありません。
私は、私のことをイジメる6歳離れた男子上級生に「みんなと一緒に遊びたかったら見せろ」と言われ、挿入行為まではいきませんでしたが、前戯と言われるものはされました。それまでは全く遊んでくれませんでした。私の兄に対して嫉妬していたのです。妹である私にうっ憤を晴らすかのようにイジメ行為を複数人で行っていました。
今はもう大人ですが私はバランスをとることが難しく、道に凹凸があると歩くことが困難だったり、階段を下りることが下手だったりします。それは、私が自転車に乗って遊んでいた時に傘をタイヤの中に入れられ、その時の光景はスローモーションでした。大きな音がして自分が道路の真ん中で自転車ごと倒れたようなのですが、私は覚えていません。前戯までしてきた上級生が傘をこっちに全力で向けてきた時、私は「殺される」と思いました。傘の先が私の目に向かっていたので。その時から私は平均台に上ってもすぐに落ちてしまいますし、車道を歩く時は十分に注意が必要です。
私だけではなく、他のアイデンティティの子も平均感覚が無かったり、難しい子もいるようです。
【今年の目標】
つらい経験をしてきました。今もつらいです。原稿を書いている今は2022年。皆さんが読むのは2023年。私は生きているのでしょうか。性暴力だけではない傷つきもあります。沢山の二次加害によって生まれた子もいます。私の中には「つらい経験を語らなくていいってセラピストとかいうけど、自分は話したいんだけどどうしたらいいの?」と言う子も多いです。まだ、セラピストにも出会っていません。ケアすら受けていません。自分で自分たちをケアしていくことしかできません。行政関係からも手を離され、民間と個人の方のサポートがなければ、私たちはきっと年を越せていません。
どれだけ挫けそうでも、「生きる」そして「仲間」を作っていく。
私には好きなアニメが沢山あります。好きな音楽もあります。
好きなアニメの中のセリフのひとつに「おまえさんを理解して支えてくれる人間を一人でも多く作っとけよ(鋼の錬金術師)」があります。その他にも「悔いが残らない方を自分で選べ(新劇の巨人)」「それでも俺は、今自分にできることを精一杯やる。心を燃やせ、負けるな、折れるな(鬼滅の刃)」
しかし実際の私は「悔しいなぁ。何か一つできるようになっても、またすぐ目の前に分厚い壁があるんだ。凄い人はもっとずっと先の所で戦っているのに俺はまだそこには行けない(鬼滅の刃)」
アニメや音楽に救われた私。
今回のおすすめ本として【「鬼滅の刃」の折れない心をつくる言葉】
ここまで読んでくださった皆さん、ありがとうございました。
私の中の子たちも、夢を持てるようになった子もいるようです。私たちはこれから先も共に生きていきます。本年もよろしくお願い致します。
2023年、皆さんにとって素敵な1年となりますように
真野あやみ We&I
慰安婦
貧困・福祉
DV・性暴力・ハラスメント
非婚・結婚・離婚
セクシュアリティ
くらし・生活
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