予期せぬ入退院からひと月が経ち、年末のおせちづくりを終え、いつものように、みんなで無事にお正月を迎えることができてホッと一安心。
数の子、たらこ、海老のつや煮、昆布巻き、蛤、田作り、牛肉のしぐれ煮、黒豆、大根と人参の柿なます、人参の甘煮、たたき牛蒡、筑前煮、金時芋の栗きんとん、紅白蒲鉾、だし巻、厚焼き卵、ロースハム、焼き豚。そして京風白味噌雑煮用の小大根、頭芋、人参の下ごしらえ。暮れに娘と買い物に走り、大方、手作りのおせち料理を娘と二人で仕上げる。大晦日に三段重、重箱に詰めて千両を乗せ、大晦日、年越しそばと鏡餅とお花を飾って、あとはお正月を待つばかり。ああ、疲れたぁ。
まだコロナ禍が収まらないなか、人出の多い初詣を避け、元旦は近くの娘の家でお屠蘇とお雑煮、おせちをいただいた後、鴨川のほとりを三条から今出川まで往復歩く。あたたかくて、いいお日和だった。
二日も、いいお天気。近くの御所まで歩く。途中、御所の西側、菅原院天満宮神社へお参りをする。菅原道真公の生家で曾祖父、祖父、父も代々、住んでいたという。道真が産湯を使った古井戸も残っている。お参りの人出も少なく、小6の孫娘とともに「どうぞ知恵を授かりますように」とお願いした。その後、「とらや」で、ちょっと一服。
そして烏丸下長者町通りの蛤御門から御所に入るとすぐ、清水谷家跡に古い椋の巨木が立っている。禁門の変(蛤御門の変)で「長州藩・来島又兵衛が、この木の下で討ち死にをした」と立て札にある。その向こうに平安宮内裏外郭の南正面・建礼門が見える。5月、葵祭で斎王代が腰輿(およよ)に乗って出発する門だ。見ると内裏の塀の内側も正面の大通りのあたりも、なぜかすべて松林ばかりなのだ。
フランスに住む女友だちの説によれば、「松は邪気を払う樹木で松の木肌に触れると体内の免疫力が上がるのよ。夜、松ヤニが月光にキラリと光る時が一番効果的。松の実も体にいいわよ」と言うのだ。だから庭師も、あまり剪定はせず、自然の木の力に任せているとか。「あなたも時々、散歩にいって松の木肌に触れるといいわよ。いっぱい「気」をもらって元気になるからね」と。家から御所まで往復8000歩くらい。時々、御所に散歩に出かけるけれど、松に触れて少しはコロナ予防になったかしら?
二日の夜は同じマンションの男友だちの囲炉裏を囲んで、おせち料理をいただく。今年96歳になる、うさぎ年の叔母と12歳の孫娘まで5人、炭火で暖をとりながら、TANNOYのスピーカーとMacintoshのアンプ、Mark LevinsonのCDプレーヤーで古い曲を聴きながら、みんなでおいしく、お正月をお祝いした。
三が日も終わり、お年賀状の返事を出しに郵便局にいったら、暮れに失くしたと諦めていた毛糸の手袋を、どうやらATMの棚に置き忘れていたらしい。局で採り置きをしてくれていた。「ほんとにありがとう」とお礼を言う。平安神宮境内の手づくり市で買ったお気に入りの手編みの手袋だったので、「今年は春から縁起がいいわ」と、うれしくなった。
お正月明けに久しぶりに映画に行く。「土を喰らう十二カ月」(原案・水上勉『土を喰ふ日々 わが精進十二ケ月』)。主人公・ツトムを沢田研二が主演。74歳の沢田研二が、いい。時折、訪ねてくる編集者の松たか子が、ツトムのつくる料理を実においしそうに食べる。13年前に亡くなった妻の母、義母役の奈良岡朋子が、93歳とは思えぬ演技力で圧巻。他に檀ふみ、火野正平も出ている。料理指導は土井善晴。音楽は大友良英。監督は沖縄在住の中江裕司。「ナビィの恋」「盆唄」などの作品で知られる。

「喰らうは生きる、食べるは愛する」。
一年のはじまり、「立春」は雪深く貯蔵した野菜や保存食を取り出していただく。「啓蟄」で目覚めた野菜は泥のついた根元も洗って食べる。「清明」の春には山菜がいっせいに芽吹く。生命が満ち足りる「小満」には、とれたての新筍を茹でて山椒の木の芽をたっぷり盛って頬張るのが、とってもおいしそう。「芒種」、雨の季節は梅干しを漬ける。梅雨が明ける「小暑」には赤紫蘇で染めた梅を天日に干す。つくった人が亡くなっても梅干しは生き続ける。穀物が実る「処暑」。大気が冷え、空が澄む「寒露」には羽釜で炊いたお粥で体を温める。白菜に塩を振り、樽に重石を乗せて、雪深い長い冬に備えるのが「冬至」の支度だ。
映画館で買ったパンフレットには、おいしそうな料理とともに、そんな紹介文が載っていた。ぜひつくってみたい一品ばかりだ。
料理監修は土井善晴。土井勝の次男。はるか昔、結婚して千葉に住んだ頃、母から「どうせ結婚したら嫌というほど家事をやらないといけないから、今は手伝わなくてもいいわよ」といわれて、料理が全くできなかった私。『土井勝の家庭料理』を一冊、台所の隅に置いて毎日、ページをめくりながらご飯をつくったものだ。最初は、ほうれん草を茹でるのも水からなのか、お湯からなのかもわからず、お吸い物に三つ葉を添えるのも茎を捨てて葉っぱだけを入れてみたり、失敗ばかりしていたけれど、後に義母の看病に京都に移り住み、京料理を義母から習ったのが今の私の基本になっている。
もう一つの思い出。1970年代始め、私が病気をして千葉大病院に3歳の娘をつれていった時、待合室のテレビから沢田研二の「危険な二人」が流れてきた。それを見た娘は、たちまちリズムに乗って踊りまくる。周りの人たちがクスクス笑って眺めている。爾来、娘は「勝手にしやがれ」などヒットを飛ばすジュリーの大ファンだ。もう一人のお気に入りは「また逢う日まで」の尾崎紀世彦。これもまた夢中で歌い、踊りまくっていたっけ。

水上勉は70歳の時、心筋梗塞で倒れ、心臓の3分の2を失って長野に生活の拠点を移し、農耕と自炊の日々を始めたという。その山居生活の様子を映画は描く。「土を喰らう」は、水上勉が『雁の寺』で描いた京都の相国寺塔頭・瑞春院や等持院で小僧として修行するなか、寺の和尚や兄弟子たちに厳しく躾けられた精進料理が基本となっている。
映画の後半、ツトムが自らの骨壺を焼こうとして釜の中で倒れていたのを、訪ねてきた松たか子が発見、九死に一生を得るが、彼女からの「一緒に住もうか?」との誘いを断り、ツトムは一人で生きることを選ぶ。
一日一日、毎日同じことを繰り返すことが生きることと悟り、夜になったら「死んでみようか」と布団に入って眠る。夜が明けて朝が来ると、また生まれて新しい自分を見つけるという日々。
今、世界中で流行っているらしい、藤井風の歌、「死ぬのがいいわ」じゃないけれど、自分の中にある、かけがえのない私を大事に、一日一日を生きる。土を喰らい、自らつくって食べて生きる。そんな境地になれたら、ほんとにいいなと思うけれど、なかなかに難しいなあ。
それともう一つ、ホッとしたことがある。私と同じ頃、呼吸困難で人工呼吸器を付けたが、無事、生還した、別れた元夫から「お正月明けに退院した」との知らせがあった。ああ、よかった。また一人、命をいただく幸運に恵まれた人がいる。
水上勉は『土を喰ふ日々 わが精進十二ケ月』に書く。
「味覚には、とんでもない暦の引き出しがある。その思い出を同時に噛みしめる。口に入れるものが土から出た以上、心ふかく、暦をくって、地の絆が味覚に、まぶれつくのである」「人は、手でつくることにおいて、はじめて自然の土と共にある。たとえ、一粒の梅であれ葡萄であれ、西の人であれ東の人であれ、ちがいはしない」。
食べて生きるためにする調理という工夫のことを、水上勉は道元禅師の言葉を引いて、「一日に三回あるいは二回はどうしても喰わねばならぬ厄介なこの行事、つまり喰うための時間は、その人の全生活がかかっている「ひとつの大事」だ」と言う。
一日一日を大事に、自分を生きる、他者とともに。そんな日々でありたいなと、年の初めに改めて、そう思う。
©2022「土を喰らう十二カ月」製作委員会tsuchiwokurau12.jp
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