昨年のもうひとつの訃報は、精神科医の中井久夫さん(1934-2022)でした。2022年8月8日没、享年88歳。敬愛してやまない人でした。
『現代思想』12月臨時増刊号が中井久夫さんの追悼特集となりました。頼まれて寄稿したエッセイをこちらも版元の許可を得て転載します。

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中井さんは「神の国」へ行ったのか?

バレンタインズ・デーにチョコレートを送る、大好きなおじさまが、わたしには3人いた。そのおひとりが中井久夫さんである。
中井さんと初めて会ったのは、岩波書店の会議室だった。シリーズ『変貌する家族』全8巻(1991-92)の刊行にあたって、鶴見俊輔、中井久夫、中村達也、宮田登、山田太一という錚々たる編集委員のなかに、若輩者の女である上野を加えたのは、担当編集者だった高村幸治さんの企みである。わたしはまだ40代のはじめだった。談論風発する編集会議は、いつも刺激的で楽しかった。こういう学校でない学校から、どれほど多くのものを学んだことだろうか。
中井さんについては、それ以前から知っていた。社会が異常や逸脱をどう対処するのかに関心を持っていたわたしは、文化精神医学に接近していた。当時の精神医学の主流は統合失調症研究で、中井さんはそのトップランナーのひとりだった。東大出版会から1972年に刊行され、それ以降四半世紀にわたって計8巻を刊行した『分裂病の精神病理』に掲載された病跡誌を、当時のわたしはどこにも行き場のない思いで、黙々と読んでいた。わたしがその後、たった1事例の逸脱的な極限型であっても、典型例として分析可能だと確信を得たのは、その経験を通じてである。また統合失調症が内因性ではなく関係の病であること、病者には病者なりの合理性があること…を学んだ。家族療法と反精神医学の時代だった。理想に燃えた若い精神科医たちが、開放病棟の運動に乗り出していた。
そのなかで漏れ聞こえてくる中井さんの評判は、すでにカリスマ的なものだった。呼び出しに応じて、急性期の患者のもとに駆けつける。時には患者から殴られたり傷つけられたりする危険な業務である。やがて疲れ果てて寝入りこむ患者の傍らにいて、じっと見守る。その呼吸が患者の呼吸と同期する…という伝説的な臨床現場のエピソードを聞いた。おそろしく共感力の高い治療者だと知った。もし、患者になったら…このひとに主治医になってもらいたい、と思った。
やがて著書が出るたびに恵送していただく関係ができた。わたしの方からも著書を送った。それにバレンタインのチョコレートがついた。文章を読んで、稀代のエッセイストだと感じた。詩人であることをも知った。ギリシャ語に堪能で、ギリシャの詩人、カヴァフィスの訳詩集を送ってくださったが、原文を知らないわたしには、まるで中井さんご自身の詩集のように思えた。
精神科医と近しくなって知ったのは、治療者というものの立ち位置である。
中井さんは書いている。
「医師にあっても、医学を選ばせ、ある科を選ばせ、ある病を専攻させるものは理知と計算と偶然のほかに暗い親和力もあるらしい。『医師はふしぎに自分が専攻している病気にかかるものだ』という『ジンクス』さえある。…一般に医者の中には病いへの偏愛と畏怖とが潜んでいる。」[中井2017:309]
そういえば、認知症専門医の長谷川和夫さんは認知症になって亡くなられた。末期ガンのホスピス医のパイオニア、山崎章郎さんはご自身がステージ4のガン患者であることを公開した。精神科を専攻する医師のなかには、精神病に親和性が高い、もしくはそれに対して共感力の高いメンタリティを持ったひとびとが多いにちがいない。近代科学が「中立的・客観的」である、とは神話にすぎない。わたしは専攻した社会学に自分の居場所を見つけることができず、退屈な学問だと思ったが、女性学に出会って目からウロコが落ちた。自分自身を研究対象にしてよい、と感じたからだ。
だが治療者と患者の関係は圧倒的に非対称である。治療者は患者に関心を傾けるが、患者は治療者に関心を払わない。もちろん患者は治療者の向き合い方には鋭敏で容赦のない視線を向ける。治療者はつねに患者から試されているが、かといって治療者が患者同様自己開示をすることなど、求められていない。
この非対称な関係は、社会学者と社会との関係に似ている。社会学者は社会の逸脱や病理に偏執的と言ってよいほどの関心を向ける。だが社会の方は、社会学者にいっこうに関心を払わない。社会学者はどちらかといえば社会のハズレ者、パークのいう「境界人」であり、その立ち位置から社会を見ている。社会学者にユダヤ人が多いことは故なしとしない。社会学者にとって、社会とは、病気を治したくないわがままな患者のように見える。もちろんこの比喩は、わたしの精神医学への耽溺から生まれたものだ。
中井さんが96年にジュディス・ハーマンの『心的外傷と回復』[Herman1994]の翻訳を刊行してくださったのは、日本の精神医学とジェンダー研究にとって僥倖だったと思う。PTSDという概念はアラン・ヤングの『PTSDの医療人類学』[Young1995]などで、ベトナム帰還兵の後遺障害としてようやく知られるようになっていたが、男性兵士の問題として政治化されるまでは、娘の性虐待は家族の闇に閉ざされてまったく見えない問題だった。家族の中の親密な関係、とくに実父による娘の性虐待は、精神分析学の初期にフロイトによってすでに知られていたにもかかわらず、19世紀ウィーンの中産階級の社会では、あってはならないスキャンダラスな出来事として封印され、あまつさえフロイト自身によって「患者の妄想」として退けられたのだ。それが後に「虚偽記憶症候群」なる論争的な概念を生み、性虐待のPTSDが認知されるに至るまでおよそ1世紀の遅れをもたらしたことは、よく知られている。性虐待は災害や戦闘のように短時間に事件として起きるわけではない、日常化した経験である。だからこそ被害者の側の共犯性が問われた(「近親相姦」という概念はそこから生まれた)のだが、非対称な権力関係のもとで、娘に選択肢はないも同然だった。PTSDの概念は、その後、家庭内の性虐待のみならず、性被害の多くに拡大した。
1995年1月に阪神淡路大震災が、3月にオウム真理教による地下鉄サリン事件が起きた。PTSDという概念は、このふたつの不幸なできごとによって、一挙に日本社会に拡がった。しかも阪神大震災は、中井さんの勤め先である神戸大学の足もとで発生した。中井さんは「私は地震に指名された」[中井2013:252]とまで言う。神戸大学の精神科医学教室はただちに中井さんをリーダーとして「心のケア」に対応する医療チームを組んだ。災害PTSDに精神科医療チームが取り組んだのは、これが最初ではないだろうか。この経験は、その後、上越地震にも、東日本大震災にも生きた。
PTSDは1980年アメリカのDSMIIIに初めて認定された。DSM分類は病因論を避けた症候分類であるのに、PTSDだけは例外だった。なぜなら外傷性障害とは、本人に内因がなく、病因が外部にあることが明らかな症例だからである。女性の性被害が深刻なPTSDをもたらすとすれば、原因は100%女性の外にあって、女性自身にはないはずだ。PTSDの概念は女性を免責し、男性の加害性に帰責するという、ジェンダー非対称な権力構造を問題化する視座を与える。ハーマンの翻訳者が無名の女性であれば、性暴力PTSDがこれほどの影響力を持たなかったかもしれないと考えると、中井さんがハーマンの翻訳を買って出てくれたことは大きな貢献だった。

中井さんが大学を退職してから何年かして、神戸市郊外の施設に移られたと聞いた。
なぜ? あれだけのお弟子さんを育て、彼ら彼女らに慕われたひとが?
そこは小規模で家庭的なグループホームだと聞いた。認知症になられた中井夫人がすでに入居しておられた施設に、中井さんも共に入居なさったのだと知った。それならなおさら、周囲に認知症の人たちばかりが居る場所で、ぼけているわけではない中井さんの話し相手になるひとはいるのだろうか?
矢も盾もたまらない思いで、友人の案内で施設に面会に行った。コロナ禍前のことである。中井さんは車椅子で面会室まで出てきてくださった。あいかわらずチャーミングな笑顔、明晰な語り口だった。
わたしにとって最大のショックだったのは、中井さんのカソリックへの改宗を知ったことである。あの中井さんが? 人生の最後に神に救いを求めるなんて?!
たちどころに思い浮かんだのは、加藤周一さんのことだった。加藤さんもまた最晩年にカソリックに改宗なさった。まさか、あの「怪力乱神」を語らぬ、どこまでも明晰な近代合理主義者が?
わたしが敬愛してやまない方たちが、人生の終わりに神を選ぶことがどうしても納得できなかった。だから目をそらさずに、中井さんに訊ねた。
「中井さん、わたしはショックです。あなたにとって神ってなんですか?」
答えは予想外のものだった。彼は静かな声でこう答えたのだ。
「そうだね、便利なものだね」

人間を絶望に突き落とすのも、人間を救うのも、同じ人間ではないのか。精神医学という科学を専攻してきたこの傑出したプロフェッショナルは、最後に神に救いを求めたのか。神にしか救えないものがあると感じたのか? それにしては答えは、敬虔な信仰告白からは遠かった。
中井さんは「神の国」へ行ったのだろうか? それとも…。
精神病は人間という存在の謎でありつづけている。その謎に取り組む治療者たちは、次の世代にも次々に生まれている。治療者とは、ぎりぎりのところで宗教者との境界に踏みとどまっている人びとではないのだろうか。
中井さんは大きな「謎」を残して去った。

参考文献
Herman, Judith, 1992, Trauma and Recovery: The Aftermath of Violence, from Domestic Abuse to Political Terror, Basic Books. =1994中井久夫他訳『心的外傷とトラウマ』みすず書房
中井久夫2013『「昭和」を送る』みすず書房
中井久夫2017『中井久夫集1 働く患者』みすず書房
Young, Alan, 1995, The Harmony of Illusions: Inventing Post-Traumatic Stress Disorder, Princeton University. =2018中井久夫他訳『PTSDの医療人類学 新装版』みすず書房

(出典:『現代思想』2022年12月臨時増刊号「総特集 中井久夫」青土社)