第4シリーズ第2回は、アリシア・テルジアン(Alicia Terzian )をお送りします。1934年にアルゼンチンのコルドバで生まれたアルメニア系アルゼンチン人です、89歳の現在も彼の地でお元気にいらっしゃり、作曲家、オーケストラの指揮者、音楽学者、母校の指導者として活躍してきました。

 ブエノスアイレスの国立音楽学校で作曲を学び、世界的に高名な作曲家アルベルト・ヒナステラ(1913-1983)門下に入ります。ピアノも同時に専攻し、ピアノは1954年に、作曲は1958年に、それぞれ学内1位金賞という栄誉で卒業しました。ちなみに師のヒナステラは、ピアノ曲「3つのアルゼンチンの踊り」を含め、交響曲、室内楽と多作で、アルゼンチンを代表する作曲家として、その名を馳せています。

  ベニスの離島にあるアルメニアの修道院


 1962年には、イタリアはベニスにあるアルメニア系カソリック修道会を訪ね、レオナルド・ダイアン博士にアルメニアの中世典礼音楽を学びました。修道院はベニス本島から、ほんの2キロ先の離島全体を占める サン・ラッザロ・デリ・アルメニア修道院(Monastery of San Lazzaro degli Armenia)です。宗教学のほか音楽も含め、様々なアルメニアに関する学問を学べる施設として、宗教者のほか研究者も学生も住んでいます。かつてはハンセン病患者の隔離島でしたが、アルメニアから逃れてきた修道士に譲渡され現在まで存続しています。

 彼女のアルメニア音楽研究は世界各地で注目を集め、アメリカのエール大学、パリのユネスコ本部、ヨーロッパやアメリカの大学各地で講義が開催されました。作品の数々は、ブエノスアイレス市やアルゼンチンの芸術協会賞、1982年には芸術基金賞を受賞します。コミッションピース(委嘱作品)は、ポルトガルのリスボン、ロンドンの音楽祭、ザグレブ音楽祭、オーストリアのザルツブルグ、同じくグルノーブルの交響楽団、ブエノスアイレスの近代美術館、ラジオフランス等から依頼がありました。

 アルゼンチン国内で、数々の役職につき、重責を担い、スペイン、フランス等でも役職も引き受けました。2013年には、アルゼンチン国会より「Outstanding Personality of Argentine Culture 」賞を受賞。1978年には、彼女がリーダーとなり音楽集団「Grupo Encuentoros」を設立、アルゼンチンの現代作曲家や作家が集まってコンサートやイベントを開催しました。タンゴで世界的に知られたアストル・ピアソラもメンバーに連なっていました。

    アルメニアの作曲家コミタス

 アルメニア中世音楽への学びは、ベニスに渡る前すでに20歳の学生時代、音楽院のヒナステラ門下で始まりました。母親がアルメニアの作曲家コミダス・ヴァルダペット(Komitas Vardapet)の民謡や宗教曲をよく歌っていたため、子どもの頃からメロディに馴染みがありました。大学の教室には、上述のべニスの修道会から定期購読誌も届いており、雑誌を隈なく読み漁り、アルメニア音楽についてダイアン博士と書簡を交わし、その後の留学に繋がるのです。

 ちなみにアルメニア人作曲家コミタス・ヴァルダペットは、高い位の修道士でもあり、アルメニアの音楽の父と言われました。オスマントルコのアルメニア人大虐殺を生き延びましたが、虐殺の現場を目の当たりにしたことから、その後20年ほど精神を病んでしまい、活動を休止せざるを得ませんでした。アルメニアの田舎に散らばる民謡を採取して歩き、民謡を独創的に作品に使った業績は、ハンガリーのバルトークやコダーイ、また沖縄全島に散らばる民謡を採集し自身の作品へ昇華し、集大成を上梓した金井喜久子(エッセイ第1シリーズ第12回参照)と共通する活動です。また、テルジアン自身も、そこに連なる作曲家と言えるでしょう。

 なお、テルジアンの出自ははっきりとした記録が出てこないのですが、幼少から母親の歌うアルメニア民謡を聞いていた記述から、第一次世界大戦時のアルメニア人大虐殺から逃れてアルゼンチンに渡った移民と考えるのが自然ではないかと考えます。アルゼンチンには南米最大規模、12万人のアルメニア人移民が住んでいるそうです。

 テルジアンは、アルメニアの土着の音楽を学ぶ過程で、クオータートンが頻繁に使われていることに着目しました。これは半音の半分の音程「四分音」と言われるものです。また、ポリトナリズムpolytonarism (1曲の中に複数の調性があること)と、マイクロトナリズムmicrotonarism(微分調整)を同時に取り入れた作風をアルメニア音楽から学び、自身の作品に取り入れました。この度の音源「Danza Criolla〜クレオール人の踊り 作品1」は、まさしくこの理論に基づいた作品とされています。

 2017年にアメリカ人ピアニストに受けたインタビュー記事には、師匠のヒナステラのアドバイスを述懐しています。「心の声をよく聞くこと、何を作曲したいのか、どのように思いを表現したいのか、よく見極めなさい。決して、いわゆる既存の作曲技法を踏襲した作曲家にならないこと、何を書きたいか心の声をよく聞きなさい。」

 また、最高のチャレンジ、もしくはフラストレーションは何だったか?の質問には、「ずっと作曲活動は順調で、数々の演奏家が私の作品を取り上げてくれました。ただ、弱冠20歳で書いたバイオリン協奏曲を当時の高名な指揮者に見て頂くと、素晴らしい曲だと絶賛の挙句、でも、20歳の女の子によって書かれた作品にしては「長い」のが問題だ、この曲を初演するわけには行かない・・ と言われて、ひどく傷つきました。これが一番の悔しい思いでした」と語っています。続いて「しかし、権威ある老指揮者が小娘を踏みつけにするのは簡単だったはずですが、彼はそうはしなかったし、さっさと気持ちを切り替え、前進あるのみをモットーに次の作品に取り掛かりました。」 筆者は、長い作品はダメというのは明らかに言い訳で、「若さプラス才能あふれる女子」は、男性優位な社会が喜ばなかったのだろうと容易に想像しました。この作品は幸いにも15年を経て晴れて初演がなされました。

 多作の作曲家で、ピアノ作品はこのほか、師のヒナステラに献呈した「トッカータ」や「タンゴ ブルース」。「女声合唱と独奏のための3つのマドリガル」「弦楽四重奏のための3章~Tres Pieza」「フルートのためのShantiniketan」「バイオリンとオーケストラのためのコンチェルティーノ」等があります。今年2023年5月には、イタリアのフルートコンベンションで彼女の作品演奏が予定されており、開催にあたって女性作曲家団体が後援をしています。作曲はフランス製のコニャックを飲みながら、夜10時から朝5-6時までするそうです。

 本日の作品は「クレオール人の踊り作品1」。今まで馴染のなかった独特な響きと、独特なリズムの作品でした。


参考文献
Alicia Terzian aliciaterziascores.wordpress.com
https://www.aliciaterzian.com.ar/in_alicia_terzian_curriculum.htm
https://meettheartist.online/2017/07/05/alicia-terzian-composer/
Alicia Terzian | Facebook
Komitas Vardapet: Armenian Divine Liturgy
Alicia Terzian - Shantiniketan
Alicia Terzian - Concierto para violín y orquesta, op.7 Sinfonia de Bilbao- Orquesta

石本さんからのお知らせ

 本年3月8日の国際女性の日に、ブダペストで女性作曲家のコンサートが開催されることになりました。以下はそのチラシです。

https://marczi.hu/Content/viewEvents/34/55827?fbclid=IwAR25Dy6rLQfFpdRfWH2fLTH4y_HLpFvF_iLGNWwozjVGX9PZ21Pfn5_8x0c