3月5日の日曜日、96歳になる叔母が、熊本の実家からもってきた、百年前の能舞台のお雛さまと塗りの小物を片づけていたらしい。転んだわけではないが、ちょっと腰をひねったのか、椅子に座って腰が痛いという。お昼の支度をして、食後、ポータブルトイレで用を足すのを手伝うが、やはり動くと痛いらしい。

 日曜日で、お医者さんもお休み、娘と孫も買い物に出かけて留守。カイロを貼ってみたりしたが、このまま痛みが夜まで続くといけないと思って救急車をお願いする。近くの堀川病院に搬送された。レントゲン検査の結果、右骨盤と左恥骨にひび折れがあるとか。以前から骨粗鬆症はあったのだが。手術はせず、一月ほどかけて骨がくっつくのを待つという。入院に必要な品々、薬やマスクなど持参して看護師さんに託す。コロナ禍で、なお面会謝絶なのだ。

 2年前に母も、この病院でお世話になり、食欲が進まぬ母のために、毎日、小さなおかずをもってバスで通ったけれど、2021年6月、母は亡くなった、98歳だった。今年は母の三回忌を迎える。

 翌日からバスで堀川病院まで往復する。面会はできないが、小物や手紙を託して看護師さんから容態を聞く。痛みは残るが、食事は進むらしい。リモート面会の予約が1カ月先しかとれないので「ケータイ(ガラケー)で一度、電話をしてほしい」とお願いした。帰り道に電話がかかってきて本人と少し話ができた。枕元にケータイと充電器とメモを置いておくように伝える。すぐ忘れるので、翌日、好きなお菓子の「雪の宿」といっしょにメモを看護師さんに託した。

 あとは病院のメディカルソーシャルワーカー(MSW)とデイでお世話になっているケアマネさんと今後のことを相談しようと思う。

     北野天満宮の梅


 前日、4日に北野天満宮で買ってきた長五郎餅を二つ、朝食後、しっかりと食べ、お昼前に入浴も済ませて元気だったのに、突然の入院なんて、叔母が一番、思いがけないことだったろうと思う。

 北野天満宮へ小6の孫娘の御礼参りに出かけた。京都市立中高一貫校に無事入学できたお礼に。あんなに勉強もせず、毎日、娘に叱られて喧嘩ばかりだったのに、不思議なことに1月、合格したのだ。番狂わせかもしれない。でも本人の願いが叶ってよかった。4月からは中学新1年生。しっかりがんばってね。

 先日、高齢社会をよくする女性の会・京都の会報に「オススメの一冊」を頼まれて書いた。中井久夫著『戦争と平和 ある観察』(人文書院 2022年12月増補新装版)

 叔母より少し下の世代の精神科医・中井久夫さんが、去年の夏、亡くなられた。戦時中の女子挺身隊世代で、ずっと独り身だった叔母は「戦争」を生きた一人だ。中井さんも、この本の中に、自らの「戦争の記憶」を静かに書いておられる。そんな世代の人々が、だんだんといなくなってゆく。

 以下、引用に少し手を加えて紹介する。「戦争と震災、そして生きるということ」が、やさしい文章で綴られていた。

 人類はなぜ「戦争」をするのか、なぜ「平和」は永続しないのか。
 戦争は進行していく「過程」であり、平和は日常茶飯が続く有為転変の「状態」である。
 「過程」は理解しやすく、「状態」は目に見えにくく、心に訴える力が弱い。
 「戦記」は多いが、「平和物語」はない。それゆえに「人類がまだ埋葬していないものの代表は戦争である」と言う。
 そして著者は、この本の中で、「戦争へ喪の作業」を自らに引き寄せて静かに書いている。

 また一人、大切な人が2022年8月、88歳で逝去された。中井久夫・精神科医。1970年代始めから反精神医学の立場から開放病棟の先頭に立ってきた人だ。

 1995年1月17日の阪神・淡路大震災の直後、神戸大学精神科医学教室は中井久夫さんをリーダーに「心のケアの医療チーム」を立ち上げた。「災害PTSD」に精神科医療チームが取り組んだのは、これが初めてではないだろうか。さらにそれは2011年3月11日の東日本大震災後の被災者たちの「心のPTSD」の支援にも生きた。被災地の人たちは「神戸から来ました」というと心を開いてくれたという。

 「平和」の有効期限は50年といわれる。もうすでに戦後78年も経っているんだ。戦争の歴史が繰り返されるなんて、まっぴらと思うけど、その戦争を知る人たちも、だんだんいなくなってゆく。

 人は「平和」よりも「安全保障感(security feeling)」を求めるのだろうか。安全保障とは安全への脅威を強力に訴えるスローガンだとされる。政府はまさに今、防衛予算を5年間で43兆円も組もうとしている。なんということだ。

 中井久夫は言う。「自分はかけがえないひとりであるという感覚と同時に大勢のなかのひとりであると知ることが大事」。
 「自分というものの起源がどこからきたのか。あるいは、他者の贈り物として自分というものがあると考えることができるかもしれない」と。
 そんな大切なことを教えてくださった中井久夫さんが、いなくなられたなんて、ほんとに寂しい。

 80歳の壁を前にして、私の周りにも、他人ごとではない予期せぬ出来事が、たくさん起きている。そんなお話を伺うたびに「ほんとに、みなさん大変だなあ」と、つくづく思う。

 それでも「あとは、お任せね」と旅立つ日までは、「あともう少し生きていかないといけないかな」と、自戒を込め、自らを振り返りつつ、一日一日を大切に、繰り返される日々を送る弥生・三月の春。