エッセイシリーズIV-第4回は マリアンナ・マルティネス(Marianna Martinez) をお送りします。1744年、オーストリアはウィーンに生まれ、1812年同地で亡くなりました。ハイドンやモーツァルトと同じ時代を生きた作曲家です。
彼女のスペイン系の苗字は、17世紀にイタリアのナポリで従軍した父方の祖父から来ており、父親・ニコロも、やはりナポリで従軍しました。母親のマリア(Maria Theresia )は、ウィーン生まれのオーストリア人でした。
父親はかたわら文学にも造詣が深く、イタリアの詩人メタスタシオ(Metastasio)と親しい友人関係でした。メタスタシオは詩人のほか、オペラ作家としても人気があり、多くの作曲家が彼の作品に曲を付けました。
メタスタシオは宮廷詩人の仕事が決まった際、マルティネス家はすでにウィーンに住んでおり、一家の住居に転がり込みました。一家の住居はウィーン市内コールマルクト通り11番地、建物3階に住んでいました。ホーフブルグ宮殿のミヒャエル門前のミヒャエル広場から3分とかからない場所です。住人には、まだ右も左も定まらない、うら若きハイドン(1732-1809)もおり、天井裏のジメジメした部屋に住んでいました。そのほか、高名なイタリア人の声楽家も住んでおり、この環境と前述の父親の友人メタスタシオの助言や仲介も助けとなり、マルティネスの才能は大きく開花していくのです。加えて、彼女は
外国語習得の才能もあり、フランス語、英語、イタリア語、ドイツ語が堪能でした。
最初はハイドンにハープシコードの演奏を聞いてもらいました。すぐに類まれな才能を示し、ウィーンの豊かな音楽界にして、この子はすでに宮廷のお抱え音楽家にもなれると周囲に思わせ、声楽は10歳で宮廷お抱え声楽家にレッスンを受け始めました。
時のハプスブルク帝国(オーストリア・ハンガリー二重帝国)の実質的な女帝マリ ア・テレジアの大のお気に入りとなり、後に皇帝となった時の皇太子フランツ・ヨーゼフも気が向くままに部屋に出入りをし、時には譜めくり役も買って出たそうです。
彼女の作品の多くは、1927年の火災で消失していますが、残された記録によれば、16歳で作曲を始めており、初期は先ずミサやモテットを書きました。この頃には彼女の名前はウイーンのみならず広く知られるようになり、モーツァルトの師匠にも認められました。ミサ第1番のパッセージは、モーツアルトの書式に影響を与えたとされています。天下のモーツアルトに影響を与えたのが才能あふれる女性だったとは、驚きを隠せませんでした。一説には、17歳のモーツァルトは鍵盤楽器の協奏曲5番作品175を彼女のために作ったと言われています。彼女のミサ1番はあいにく見つかりませんでしたが、ミサ2番の動画を下記の出典に置いています。
声楽や鍵盤楽器の演奏家としての人気と、作品も、頻繁にミヒャエル教会のコンサートで聞かれて人々に親しまれました。教会は彼女の家のすぐ隣に建っており、当時は王宮の管轄する教区教会でした。1770年代に書かれた交響曲は、当時、初の女性作曲家による作品でした。1773年にはイタリアはボローニャにある音楽機関、アカデミア・フィラルモニカ・ボローニャの会員に女性音楽家として初めて選ばれ、W.A.モーツアルトはそれに先立ち1770年に選ばれています。このアカデミアは、その後も有名音楽家が多数名を連ね、現在も脈々と続く権威ある音楽教育機関です。
彼女と姉妹の1人は生涯独身を通しました。ほとんどの女性が結婚をし家庭を守るのが当然の時代、彼女は生涯マルティネス家を守り、宮廷との繋がりによる盤石な人間関係を築き、自宅でサロンコンサートも主宰していました。加えて前述の父親の親友メタスタシオも生涯この家に暮らし、姉妹が彼の身の回りの世話をしました。
男性で才能があれば、宮廷お抱えの音楽家として生活を賄えた時代です。また、モーツアルト、ハイドン、ベートヴェンのように自作を携えて各地を渡り歩き、現在に至るまで知らない人はいない大音楽家も、男性には普通に出現しました。
周囲が認める才能があり、マルティネスほどの才能でも、女性というだけで宮廷音楽家への道が開かれないのは当然だった、これを改めて思った次第です。家事に従事し家族のみならず父親の友人まで面倒を見て、音楽活動も片手間に出来ないほどの活躍ぶり、果たして彼女が心から容認していたのか? 大作曲家の弟フェリックスに作品を盗用されても、弟だけが父親の希望の進路を許され、不満もあった姉ファニー・メンデルスゾーン(1805-1847、エッセイ I–1参照
)を思い起こします。マルティネスはファニーのさらに60年前の生まれですから、与えられた人生を疑問なく受け入れていたのかもしれません。
ちょうど3月はハンガリーの祝日を利用して、ウィーンで実際に彼女の生活した地域を歩いてきました。ブダペストからウィーンは特急で3時間弱です。有名なシュテファン教会からほど近いこの地域は、現代はブランド店が軒を並べる大層な賑わい、日本でも人気のチョコレート・デメル(Demel)はマルティネス家の斜め向かいに位置しています。住居はGroßes Michaelerhaus(大きなミヒャエルハウス)と呼ばれており、通りは人の波波、彼女の日常ーーお隣のミヒャエル教会や、そこからすぐの宮殿に出入りしていたであろう1700年代の光景を、せめて心を静謐に思い巡らせました。
お住まいの建物は、前日施錠されていた1階の重い扉がすっと開き、簡単に中に入れました。中庭ではガイドさんにハイドンの家だったと聞いて来てみたというドイツ人女性2人に出会い、マルティネスも住んでいたことを伝えると、ガイドは何も言わなかったわ、今も女性は陽の当たらない存在にされているのね~と、会話はドイツの女性作曲家たちにも及びました。中庭の建物は1720年製で今も存在しており、当時は宮廷で使用する貴重品の倉庫として使用していたそうです。
彼女の作品は、現在では出版も数社からなされ、コンサートにかけられる機会も出てきました。とりわけ室内楽や鍵盤楽器用のソナタは非常に内容が濃く、才能の高さを感じさせます。
作品は鍵盤ソナタ3曲、鍵盤楽器の協奏曲3曲、詩編に基づく教会音楽、ミサ4曲、交響曲、オラトリオ等があります。出典の2つ目の音源は、2020年テキサス州の室内楽グループによる「ハイドンやモーツアルトの時代を生きたウィーンの女性作曲家・マルティネス特集」コンサートの録音で、プログラムには交響曲も鍵盤ソナタもあります。
この度の演奏は鍵盤楽器ソナタ・イ長調第1楽章をお聞き頂きます。ホ長調ソナタも快活な始まりが素敵です。テクニック的には難なく弾けても音楽的には決して侮れない作品ですが、こちらのリンク、Kの項に2曲のKeyBoard Sonataがありますので、ぜひお試し下さい。IMSLP無料ダウンロード
出典
Martinez, Marianne | Encyclopedia.com
Marianna Martines - Wikipedia
Marianna Martines — Explore Classical Music
Marianna von Martines, Mass No. 2 in G Major (1760)
Marianna Martines: A woman composer in Vienna in the time of Haydn and Mozart