皆さま、ご無沙汰しております。入退院が続き4月のエッセイはお休みさせて頂きました。
申し訳ございません。皆さまはお元気でしたでしょうか?

相談するエネルギーがあったからある命

第2回のエッセイの中で警察や行政の対応を書きましたが、今でも地域によっては、児童の話を聴いた後に虐待をする親元に帰すことがあるという日本。
私も再度、大人になってから助けを求めましたが、保護されることもなく虐待のある家に戻されました。第2回のエッセイの方にその時の一部を書きました。
解離性同一性障害である私(たち)は記憶を所持している人格(アイデンティティ)が異なるため、第2回目では欠落していた部分があります。
それは、行政に助けを求めたところ、「まだ若いのだから身体でも売れば」といった売春を勧めてきたことです。「そ、そんな…」と当時、返答した経験を持つ人格がいます。

大人になり、様々な機関に相談をしました。しかし、なかなか解決する策はなく、虐待をする親に「あなたの親に一人暮らしをする資金を出すようにって言うことはできるけど、他のことは出来ない」と言われたり、チャット式の相談窓口では「お時間が来ましたので相談を終わらせて頂きます」と現在進行形の暴力から救ってくれる糸を垂らす機関とは、そう簡単に出会えませんでした。私たちの場合は何回も何回も色々な所へアクセスして、やっと『事の重大さに気付いた女性』のおかげでもあり、そこから先の支援へと繋がり、今があります。入退院を繰り返しながらも今を生きることが出来ています。

都道府県ごとの支援を考える

若年層向けの支援は決して足りているわけではありません。足りていないと思っています。しかし、相談する度に「若年層」と記載されていたり、制服を着た女の子が困っている・もしくは相談しているイラストを掲載されていたりすると、若年層に当てはまらない年齢になってくると躊躇うこともありますし、諦めてしまうこともあります。
「もう若くないし、相談してもいいのだろうか…」と。
勿論、若年層の相談や支援は必要です。しかし、それと同時に取り残される年齢層がない社会になってほしいとも思います。
実際、年齢や性別は関係なく相談を受けているところに相談した際、「未成年ですか?」と尋ねられ「いいえ」と答えると、「そうですか。ご自身で警察に行けますか?」「警察に通報してください」「ネットカフェに避難してください」といった返答がきました。
私たちにとって、過去の経験から(外傷経験)警察というのはもの凄くリスクが高いことで、例えネットカフェに避難してところで次はどうなるのか。また、そう教えてくれた相談員と次、繋がるとは限りません。相談員によって、様々で地域制も感じました。都道府県を跨いだ委託事業の場合「すみません。実は委託でやっているので、あなたの住んでいる所の制度とか詳しくなくて、お力になれず申し訳ありません」と必死で相談した内容もそこで終止符を打たれるのでした。
私たちが経験したことから言えることは、都道府県ごとに女性困難支援法を考える必要性があるということ。そして、やはり女性議員を増やしていくこと。しかし、ただただ女性議員を増やせばいいといった問題ではありません。これから生まれてくる赤ちゃんやご高齢者の方のことまで幅広い視点から物事を客観的に捉え、多くの当事者の声を拾いあげる。そして、それらを議会へと声を届ける力を持っている、本気の女性議員。そして、声をあげる地域の方。社会全体が取り組む時代が今きたのだと思います。

創造力が豊かな主人格から生まれた様々なアイデンティティ

 何だか、桜の季節があっという間に過ぎ去った気がします。もしかすると、それは入院していたからかもしれませんね。あの薄紅色の淡い桃色が「私」は好きです。
私たちの生活は病院への通院で主治医の先生と話すこと、訪問看護の方と話すこと。それが日常です。仕事だから会える方々です。一時期、訪問看護の方が帰られると1時間程泣いてしまうこともありました。苦しくなるので不安時として処方されている頓服を飲んでも涙は止まりません。人と話す度、苦しくてどうしようもなくなるのです。そんなことなら、人と会わない方がいいのではないか。誰とも話さなければ苦しい思いをしなくて済むのではないか。本当は良くないことだと分かっていながらも、苦しさを回避してしまう。
そうすると私たちは、どんどん孤独になっていきます。自ら作った落とし穴に自らはまってしまうのです。訪問看護だけではなく、病院もそうです。
私たちの中には「孤独を好む子」もいます。「人と会うことが好きな子」もいます。「好奇心旺盛の子」もいますし、「怒りの感情を持つ子」それを「発散させる子」。加害者が言っていた言葉を口癖のように「おうむ返しする子」もいます。「フラッシュバックを背負う子」「自殺をしたい子」「生きる意味を感じられない子」「起きることができない子」様々な人格、アイデンティティがいます。
ピアノを習っていたのですが、とても厳しい先生で本当なら行きたくない、今すぐ辞めたい程レベルでした。間違うと指を摘ままれたり、叩かれたり。そんな時に、グランドピアノを見て「あぁ、あの線のようになって切れてみたい」と思い、「私はピアノの線。いつ切れるか分からないピアノの線なの」と『人格』というよりも『アイデンティティ』といった方がよいのかもしれません。 音楽の授業中、男子と女子に分かれてハーモニーを作る時に、クラスに一人や二人は音を外す子がいるかと思います。それを聴いて脳内に取り組んでいた主人格は、耐えきれない出来事が起きた時に「どうしてあんなにズレていたの?音符が仲間外れみたい…」と不協和音の音を頭の中に思い浮かべていたこともあります。そうして出来たのが「不協和音」と名乗るアイデンティティ。言葉は話せません。音で表現します。苦しい時は高い音。調子のいい時はゆっくりとした音で。

主人格は昔から物凄くクリエイティブな創造の持ち主でした。今でもそうです。独創的な探求心を持っている。そう、私たちアイデンティティたちはそう見ています。
解離は生き延びるため。サバイバル方法のひとつです。想像力のある主人格だから、私たちのような存在が生まれ、どれだけ死にたくても死ねずに今も皆で生きています。

私たちの本音

月に1度のこの連続エッセイに、この言葉を書いていいのか凄く迷いました。
「死にたい」
ものすごく、死にたい。

エッセイを書かれている先輩方のエッセイを拝読させて頂きながら、このようなことを書くのは凄く躊躇しました。「生きたい命」は山ほどあるのに、私たちは「死にたい」と思う。語る。伝える。でも、本当に死にたいわけではありません。生きることが苦しいのです。それでも、もしかしたら前に何かあるかもしれないという希望があるから、私たちは生きています。自殺未遂もしました。しかし、生きています。
死にたい気持ちが湧き出る時、「死神が来た」と表現する子がいます。自殺に手を差し伸ばしそうになる時「深く落ちる」という子もいます。【真野あやみ】という一人の身体なのに、感覚も違います。死にたい度合も違います。「私は死にたくないよ!苦しいけど生きていたいよ!」という子もいます。様々です。
「死神が来た」という子もいますが、私は「孤独という死神」と思っている人格です。孤独は身体の栄養を吸い取ります。清潔感も奪います。視覚や聴覚までも狭めていきます。孤独になると「ぽつん」と。何百人のアイデンティティがこのひとつの身体の中に居ても、鏡を見れば「孤独」です。そこには私しか映っていません。
孤独という死神(グリム)に包まれた私は、ただただずっと耐え続けるしかありません。私はそれを「潜る」という言っています。他の子たちもその表現を使ったりしています。深い闇、深い海の底に沈むような感覚です。感覚的には酸素が薄くなり、視界もぼやけている状態です。外部からの音も、水の中にいる私には何なのか鮮明に分かりません。次第に聞こえなくなります。

これは、真野あやみの中にいる「わたし」の感覚です。共感する子は多いです。

解離性同一性障害の症状をもつ方の動画

最後に、ひとつご紹介したい動画がございます。
同じく解離性同一性障害の症状を持ちながら生きておられる方の動画がYouTubeにアップされていました。少しでも解離性同一性障害のことを社会の皆さまに理解して頂けたらと思い、共有させて頂きます。

【多重人格】13人の人格と暮らす男性に1日密着してみた(日本財団)
https://youtu.be/gkTj6Smwm_s

以前に私たちの主人格が昔からの友人にこの動画を見せたところ「全く同じだ。こういうのだよ。目も変わるし、仕草も変わる。全く違う人格になる。」と。
それを聞いた主人格のアヤミさんは「そうなんだ…自分ではわからないもん」
友人「そうだろね。わかんないと思うよ?こうやって動画とったりしてないと、分からないと思う」
永遠(人格)「違うよね!」
友人「ん?今、永遠?」
永遠「うん!永遠」
(永遠:8才の少女。記憶力がよく、各アイデンティティの記憶の回収を行なったり、時系列に並べたり、調整する役割を担ながら外部に出る時間も長い。大人なみの知識や理解力を持っている子)

たまにしか会わない友人。年に数回しか会わない友人がいます。必死で解離性同一性障害の症状を理解しようとしてくれています。しかし「心が折れそうになることがある。もうそれは、絶対に人前では言えない言葉とか平気で言ってくる子もいるし」。それでも、理解者でありたいと思ってくれています。物理的距離はあっても、繋がってくれている人がいること。
1人、2人と…心ある理解者がいるということを、私たちが分かっていけば、孤独からは脱出できるようになると思います。どうしても二次加害を恐れ、孤独を選んでしまいます。悪気のない二次加害であっても傷つきます。ですが、色んな方からの援助を受け、私たちは感謝して生きて、社会貢献していきたい。不思議なことに、回復と共にいつかは世の為、人の為に愛を注げる私たちになりたいと思っています。

最後といいながら長くなってしまいました。
朝晩は肌寒く、日中は暖かくなってきましたので、気温差には皆さまもお気をつけください。
また来月、元気な状態で皆さまとここでお会いできることを楽しみにしております。

いつも、ありがとうございます。

※これは〈真野あやみ〉という解離性同一性障害:DIDの症状をもった一人のお話です。
全てのDIDの方がこういったものである、というものではございません。
人によって様々です。