
〈デジタル化〉にもジェンダーの視点を
「もはや、ジェンダー抜きではどんな問いにもこたえることはできない」――WAN理事長の上野千鶴子氏はかつてこう語ったことがある(上野・足立, 2001, p. 258)。もしこの命題が正しいとすれば――そして実際、過去のジェンダー研究の蓄積に鑑みれば“正しい”のだが――、現代的な問題であるデータ、ICT、AIを含んだ〈デジタル化〉にもジェンダーの視点を入れない理由はない。
時代の一歩先を行くこの課題に、ドイツのメルケル政権を事例に挑んだのが本書の著者・佐野敦子氏。立教大学大学院21世紀社会デザイン研究科で博士号を取得後、国立女性教育会館(NWEC)等を経て、2023年3月まで東京大学 Beyond AI 研究推進機構で特任研究員を務めていた。「Beyond AI」は直訳すれば「AIを超えて」。しかし「既存のAIの解釈を超えて」と意訳することもできる。この意訳は本書の意図するところをまさに体現している。
まずは目次を紹介しよう。
はじめに
序章
第Ⅰ部 「普遍的価値」から雄の性格の混淆を取り除くのは可能か?――ジェンダーからみたデジタル化・AIの発展をめぐる議論:ドイツを中心に
第1章 ジェンダー平等なAI社会をデザインするには
第2章 ドイツのデジタル変容とジェンダー平等推進――ジェンダーからみたAI戦略
第I部 結論
第Ⅱ部 デジタル化は、旧来の性的役割ひいては家父長制を変容させるのか?――メルケル政権のジェンダー平等推進とデジタル化を振り返る
第3章 東西分裂の禍根――統一時からメルケル政権までのジェンダー課題の進展
第4章 メルケル政権下の男女平等報告書とドイツ初の男女平等戦略
第5章 COVID-19がジェンダー施策に与える影響――ドイツの男女平等戦略からの分析
第6章 ICTがリプロダクティブ・ヘルス/ライツに与える影響――ドイツにおける人工妊娠中絶をめぐる法改正と女性運動の考察から
第7章 メルケルが拓いたジェンダー平等な未来――新政権の公約に盛り込まれた女性運動の要求と保守の限界
第II部 結論
第Ⅲ部:デジタル化はジェンダー平等の敵か味方か?――ポスト・メルケル時代のジェンダー平等とデジタル化への展望から
第8章 ドイツからみるデジタル化時代のジェンダー平等の課題
結章 デジタル化時代のジェンダー平等
おわりに
第1章は、以前WANのウェブサイトでも紹介させて頂いた、私(森田)が編集に携わった書籍(萩原他, 2022;https://wan.or.jp/article/show/10032#gsc.tab=0)の第5章を再掲したものである。第1章の論点の1つは、既存のデータ自体にジェンダーバイアスがかかっているのみならず、技術開発者が持つバイアスによってジェンダーバイアスがさらに増幅される可能性がある、という点である。この論点は第2章にも引き継がれる。同章で佐野氏は、AI導入の際に「なぜジェンダーに絡んだ問題が次々と起きるのか」という問いを立てる。そして次のように喝破する。「現在のAIが過去のデータから学んで、その先の行動や未来を予測する手法で開発されることに要因があるからといえよう」、と。そう、「過去にジェンダー平等が完全に達成された社会は存在しない」(p. 50)のである。
第3章は東西ドイツ統一からメルケル政権に至るまでのジェンダー関連の施策を整理し、メルケル政権下でジェンダー施策が如何に進捗を見せたかを提示する。施策には、男女同権・平等待遇に関する法律、日本でも議論が続いているクオータ制、ドイツ連邦軍における男女平等、および中絶関連施策などが含まれる。なお、東ドイツの統一前後の女性の状況については、上野理事長が著者の1人である『ドイツの見えない壁――女たちが問いなおす統一』(上野・田中・前, 1993)が少なからず参照されていることはWANの読者のために言及しておきたい。
第4章では、メルケル政権下で作成された第1次~第3次男女平等報告書のうち、〈デジタル化〉に初めて言及した第2次報告書に基づいた「男女平等戦略」(2020年)が焦点化されている。9つの目標を掲げる同戦略のうち、目標3は「デジタル世界でも男女同権を標準化する」となっており、その主要部分が【4-表4】(p. 112)に抜粋されている。私を含めてドイツ語に不慣れな読み手にとっては参考になる。そして続く第5章では、その(コロナ中に発表された)「男女平等戦略」を分析しながら、COVID-19がジェンダー関連施策に与える影響を考察している。
第6章は、ジェンダー問題の中でもリプロダクティブ・ヘルス/ライツに注目し、それがICT(Information and Communication Technology)から受ける影響を考察する。その中心は、中絶の広告禁止を定めたドイツ刑法219a条に違反するとされ罰金を科されたクリスティーナ・ヘネル(Christina Hänel)医師のHP上での中絶手技提供に関する記載である。
第7章は、ジェンダー平等推進策で一定の成果を上げたメルケル政権とメルケル氏が越えられなかった壁、また、続くショルツ政権の課題がまとめられている。第8章は、第3次男女平等報告書で提示されている「たまねぎモデル」を紹介。このモデルは、社会が[デジタル産業]⇒[デジタル経済]⇒[デジタル化された経済]⇒[デジタル化された社会]と玉ねぎの内側から皮を重ねるように変化する、それと並行してジェンダー平等施策を進めることによりデジタル社会はジェンダー平等を達成する、というモデルである。上記の4つの社会経済形態とジェンダーを掛け合わせる際の課題と提言をまとめた【8-表1】(pp. 194-196)は参照に値する。
この掛け算を日本社会に当てはめるという応用問題を解いたのが結章にある【結-表1】(p. 220)である。日本の内閣府男女共同参画局が発表した「第5次男女共同参画基本計画」(2020年)が掲げる11の分野それぞれに対して懸念される〈デジタル化〉の影響をまとめた表である。本書の白眉と言ってよい。
以上のように同書は、〈デジタル化×ジェンダー〉の掛け算において一歩も二歩も進んだドイツの状況を紹介する良き参考書であるが、最後に2点だけ注文を付けたい。1点目。佐野氏は「おわりに」で「ドイツの目覚ましいジェンダー平等の前進を一覧できるカタログ的な役割は果たせると考えている」(p. 227)と述べているが、裏を返せば、同氏のオリジナリティを感じさせる記述が少ないように感じられた。しかし本書は著者にとって単著デビュー作。次作以降でさらにオリジナリティを発揮されることを期待したい。2点目は、ドイツ研究者による研究書・論文の引用が少ないように見受けられたこと。したがってドイツ研究者が本作にどう応答するのか、ぜひ確かめてほしい。
〈デジタル化〉にもジェンダーの視点を――佐野氏が序章でいみじくも「日本にとっても、貴重な先行例となるはずである」(p. 9)と記すように、近々、日本社会がこの課題に真剣に取り組み始めた時、本書が2023年4月の時点で誕生していたことを私たちは言祝ぐことだろう。
【参考文献】
●萩原なつ子(監修)・萩原ゼミ博士の会(著)・森田系太郎(編著)(2022).『ジェンダー研究と社会デザインの現在』三恵社.(https://wan.or.jp/article/show/10032#gsc.tab=0)
●上野千鶴子・足立眞理子(2001).「表象分析とポリティカル・エコノミーをつなぐために マルクス主義・フェミニズム・グローバリゼーション」上野千鶴子(編著)『上野千鶴子対談集 ラディカルに語れば…』(255-312頁).平凡社.
●上野千鶴子・田中美由紀・前みち子(1993).『ドイツの見えない壁――女たちが問い直す統一』岩波書店.
◆書誌データ
書名 :デジタル化時代のジェンダー平等――メルケルが拓いた未来の社会デザイン
著者 :佐野敦子
頁数 :274頁
刊行日:2023/4/7
出版社:春風社
定価 :3960円(税込)
慰安婦
貧困・福祉
DV・性暴力・ハラスメント
非婚・結婚・離婚
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