武漢出身で18歳の時に北京に移住した周暁璇さんは、中国の脚本家でフェミニスト活動家です。彼女の名前はペンネームの弦子の方がよく知られています。

弦子さんは2018年にエッセイを書き、その中で、ジャーナリスト・インターンだった2014年に国営中国中央テレビ(CCTV)の著名アナウンサーである朱軍氏から性的嫌がらせを受けた経験を明かしました。彼女はその時21歳で、恐怖から凍りついてしまったといいます。事件の翌日、彼女はそれを警察に届け出ましたが、警察から訴えを取り下げるように強く迫られ、結局諦めてしまいました。

しかし2018年、中国での#Me Too運動の盛り上がりとともに、彼女のエッセイが世間の注目を集めるようになり、弦子さんはあらためて謝罪と損害賠償を求めて朱氏を訴えました。2022年8月、北京の裁判所は「証拠不十分」だとして彼女の訴えを退けました。判決に失望したものの、弦子さんは支持者たちに感謝し、彼女の事件が今後も、正義を求める闘いにおいて人々の関心を呼び起こし続けることを望んでいます。

以下が、法廷の外での彼女のスピーチです。
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2014年6月9日、私はまだ大学2年生、21歳でした。国営中央TV、CCTVでの「芸術人生」という番組で初めてのインターンをしていました。「芸術人生」番組のホストであるZhu Jun氏から更衣室でセクシュアル・ハラスメント(以降セクハラと略)を受けた時、性にまつわる恥辱感ですぐに助けを呼べませんでした。Zhu Jun氏の持つパワーを知っているがゆえに、更衣室に出入りし、何が起きたかがわかっているはずの他のスタッフに知らせる勇気もなかったのです。高等教育の場や職場でセクハラを受けた女性たちにとって、これは一般的反応だと言えるでしょう。私の場合の唯一の例外は、当時私を助けてくれる大学教員がいたことです。出来事の後、教員、ルームメイト,弁護士等が警察署に一緒に出向いてくれ訴状を提出しました。データや日々の体験からセクハラとか性的虐待において僅かの女性しかサヴァイヴできないことがわかっており、すぐに私に警察へ通報をさせたのです。

2014年に私が警察に訴状を提出したときに、警察官はZhu Junの社会的地位の高さのゆえに、私が訴えを諦めるよう、両親を説きました。2020年に事件が初めて公判になった時、法廷は分かるような映像とか警察署の記録を裁判用ファイルとして得られないと言いました。2021年の判決は、原告が証拠を提出する義務があること、私の提出証拠は不十分だと考えられると述べたのです。

本日は私の訴えについてのヒアリングで、本件で私が法廷に出る最後になるかもしれません。これまで何度も何度もその事実を訴え続けてきましたが、今回は法廷にこう聞きたいと思っています:密閉された場所で性的虐待にあっている女性にとって、誰がこのような虐待を予期し、声やビデオの記録を取り、加害者に身体的逆襲ができるでしょうか。そして性的虐待を受けたという証明をどうやって得られるでしょうか。彼女にとってすべてに耐え、何も起きなかったフリをすることが唯一の選択なのでしょうか。

私が4年前に対処法を求めたときに、警察の最初の反応は加害者に尋問するつもりはないようでした。逆に3日後私が警察に電話したときに、Wuhanにいる私の両親を探し出し、私に事件を諦めるように仕向けたのです。7日後になって、ついに彼らはCCVに行きZhu Jun,と話し合いました。結果それは短い面談脚本でした。4年後、私は法的救済を求めて事件を訴えた時、法廷は、セクハラケ-スとしての追訴を許しませんでした。彼らはZhu Junを法的で証言するために召喚しなかったのです。私を更衣室に導いた人、もう一人、更衣室に入ってきて出ていった二人が嘘をついていることが証明されたにもかかわらず、法廷はZhu Junの証言を拒んだのでした。法廷は両親の証言、廊下での調査用の映像、私の衣類とZhu Junと一緒でいる写真等が得られないので、事件のための十分な証拠が提供できていないと。

私は法廷に、どのような証拠を提供すればいいのかを問いました。私にとってセクハラにあうなどということが予期できないのみならず、前もってビデオや音声を記録しておくなど考えられません。CCTVの建物のなかで、私はあえてZhu Junに抵抗せず、また直ちに助けを呼ぶことすらできませんでした。警察に訴えた後、私はCCTVに行っていないし、Zhu Junに近づくことも彼に対峙する方法もまったくわかりません。建物内での調査用映像はないし私自身のDNA調査もできていません。21歳という年齢でまず警察に訴える以外に、警察記録とか「身体的証拠」を得ることなど考えられなかったのです。

私はZhu Jun側の証人に聞きたいです:なぜあなた方は嘘をつくのですか?あの更衣室でのZhu Junの様子を知っていることをなぜ否定するのですか?私のケースを調べた警察官にも聞きたい:あなた方はWuhanに行って両親を探し、Zhu Junの調査を進める前になぜ無駄な一週間を費やさなければならなかったのですか?私はその都度法廷に姿を見せるようしつこく言ってきましたが、彼らを見ることはありませんでした。せめて質問ぐらいさせて下さい。私は自分の正当性を証明できないばかりか、苦しみも証明できません。その夜の私の涙は、教員、ルームメイトによって知られ、彼女たちが証言し、書かれた陳述書は水蒸気のごとく消えてしまったのでしょうか。

21歳の私は警察に行くことを選びました。そして25歳の私は、起訴することを選びました。両時とも私は司法的な対処法を求めてきました。一人の市民として正義を求める権利があると私は信じています。警察は時期にかなった態度で調査をするべきで、証拠の十分な保護をなし、かつ法律に従って訴対抗すべきだと信じています。法廷は、少なくとも職場におけるセクハラの複雑性に気を留め、私とZhu Jun、警察、CCTVの間のパワーの不平等さを十分に考慮して、出来るだけの証拠を得て、すくなくとも密閉された空間で行われたセクハラを訴えている被告の面談をし、直ちに裁定を下すべきだと信じています。法廷は、両サイドの陳述に耳を傾けた直後調査を求める要求を拒否―最初の訴えはそうでした―すべきだとは思えません。

現在私は29歳になりました。法廷に出かけ裁定を聞くのは三回目です。しかし本当の調査がされることはないでしょう。私ができるすべてのことは、なぜ私がセクハラを予測できなかったという後悔のみです。私は記録用のペンと極小のカメラを持参しているべきでした。結局これらの道具が法廷を信じさせる唯一の証拠なのです。とはいえ、いかなる結論が出ようとも、これまで法廷で言ってきたことを言いたいと思うし、私の言葉を判事に聞いてもらうことは、無意味ではないでしょう。司法システムは与奪の権力を持つべきではないのみならず、法廷の判断は、本質的に真実を語るわけでないということを強調したいと思います。一人の市民として私が司法の救済を求めた時、犠牲者としての我々もまた、自分たちの身体と記憶を正当化するパワーを持ちながら見知らぬ人に託さざるを得ないのです。この委託は薄い空気の中から出ているのではありません。この力を持つ人たちは行動によってこの信頼を得るべきでしょう。力を持つ人たちは、無力な人たちを助けるべきです、じゃないと正義は行われません。

このケースでの敗訴は、とても私を傷つけます。だが、検査され、尋問されたのは私だけでなないことを私は分かっています。法律は、条項やテクスト、審判によって作られているわけではありません。逆にそれは私たちの真理の追究と手続き上の正義によって構成されております。法律の本質は、関わった人達が平等、公正、そして道徳を信じているかどうかに依っているはずだし、周辺化された人や恩恵を受けられないような人達がそのシステムで援助を求めた時には、尊厳を持って取り扱われるべきでしょう。法律は私たちの心のもっとも複雑で脆弱なサイトに留まっているはずです。このケースの本当の危機は事実とか証拠ではなく、この瞬時の人間性を疑ってかかることでしょう。

したがって、法廷での敗訴に直面している現在ですら、私は今なお法廷に問いかけたいと思います:密閉された場所でセクハラが行われた時、またビデオ記録などがない時―被告が全部の訴えを否認する限り、女性の犠牲者は司法システムにおいて正義を求めないで、唯一の選択として沈黙をするしかないのでしょうか。私は出来事の間中の恐怖とパニックにおいて話したが、後になって自分がいかに脆弱で無力であるかが分かったのでした。私の物語が唯一のケースでないことを信じていますが、これは社会において女性が直面する困窮を反映しているのです。

同じような状況を体験する女性たちの苦しみはわかってもらわなければならないと信じています。もし私たちが個人の苦しみを大事にするならそれは全体的な幸福をもたらすでしょう。多分このケースの背後に語られないパワーがあるために、私には求める正義が与えられません。とはいえ、私は、私のナラティブを通して、法廷で誰もが直面する挑戦に気が付き、セクハラが起きた時には、担当局は真実を求める取り調べを行うべきだということを私は信じています。次に出廷する訴訟当事者は他者から更なる知見を得ることを望みます。現時点で私の物語を述べることは意味あることだと信じます。

English version: https://wan.or.jp/article/show/10627

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日本語訳:河野貴代美
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弦子さんがこの経験についてのご自身の気持ちを、WANのために特別に書いてくださったオリジナル記事も、ぜひご覧ください。

「敗訴でも、私が得た最高の結果だ」 ◆ 弦子
https://wan.or.jp/article/show/10654