第2期WANフェミニズム入門塾が、2023年6月15日(木)に開講しました。
当日はブレイクアウトルームでの少人数での意見交換後の意見発表も活発に行われ、
放課後を含めあっという間の1時間半でした。

第1回「リブとフェミニズム」に参加した講座生のレポートで、当日の講座の様子が
少しでもみなさんに伝わればと思います。


第一回リブとフェミニズム  島岡優

第一回講座のディスカッションで印象に残っているトピックが二点あります。

一点目が、社会に出て感じた違和感の根底に大学時代学んだジェンダーの考え方があったいうことです。

私は学生時代にジェンダーについて教養の授業で学んだ経験がありますが、
当時は問題が自分事化していませんでした。
文系の学部で女が多く、比較的リベラルな環境だったため、「女性の政治家が少ない」
「女性管理職が少ない」と授業やニュースで言われていても「親たちの世代はそうだったけど、
これから私たちが社会に出て活躍していくうちに変わるだろう」と本気で信じていました。

しかし、社会人になり企業で働くようになってから、トップマネジメントが男性ばかりの状況や、
育休をとる男性が少ない状況に直面し、「これっておかしくない?」と疑問を持ちました。
企業内のジェンダー不平等は、女性が努力不足なのではなく、構造的な問題なのではないかと
初めて授業で学んだ内容が実感に変わり、課題感を持ちました。

大学でジェンダーについて学んでいなければ、ガラスの天井を「そういうものだ」と受け止め、
現状に疑問を持つこともなかったかもしれません。
ジェンダー課題は多種多様な問題に結びついているため、学生時代にジェンダーについて学び
基礎知識を持つ機会は重要なのではないかと改めて感じました。

二点目は、一点目から更に発展した内容になります。

家庭内のジェンダー問題が自分事化しないのはなぜだろうか?というテーマで議論が盛り上がりました。
興味深かった意見が、ある方の「私は母のようにならないと思っていた。」というコメントです。
実は、思い返すと私自身も学生時代に母に対してそのように思っていた覚えがあります。

私は共働き家庭で育ちましたが、家事育児は母を中心に行っていたり、父が育休を取らなかったり、
母が苦労している姿をみていました。それ以外にも、親戚の集まりでは女が食事の準備をし、
男は座って食べているだけという性的役割分業も当たり前にありました。

しかし、そのような状況に対して「母が父のように家事をせず育休を取らない男性と結婚したのが悪い」
「私だったらNOと言えるのに」と考えていました。
そのように考えていた理由は今も正確には分からないのですが、自己責任論を学校や交友関係から
学んでいたからかもしれません。

自分自身が守られていた存在だったのにも関わらず、ミソジニーでウィークネスフォビアな価値観を
自分自身も持っていたのだなとハッとさせられました。
(尚ウィークネスフォビアについてはこの議論中初めて聞いた単語だったため山口雅克さんの論文を読み
新たに学びました。)

第一の感想につながりますが、個人の選択によって状況が作り出されているのではなく、
社会構造によって問題が生み出されていることにジェンダー視点を通して気づくことが
できるようになったなと思います。

第一回講座以前はリブって何?聞いたことあるけどフェミニズムと何が違うのだろう?という状況でした。
しかし講座や課題図書を通して、女の話を堂々と語れる時代を作ってきてくださった先達のおかげで、
今自分はこうしてフェミニズム・ジェンダーについて学ぶことができているのだと感じました。

先達が切り開いてくださった歴史を知るとともに、そのバトンを受け取り、
今ある課題を解決するため行動していきたいです。
第2回講座も楽しみにしています。


第一回リブとフェミニズム  alary

私は大学を卒業して、一度社会人を3年ほど経験したのち、現在は大学院で勉強しています。
私の視点から、第一回の講座を通じて印象に残ったこと、考えたことを以下のとおり記述させていただきます。

■若者のフェミニズム離れ

全体ディスカッションの冒頭で、大学生の参加者から「フェミニズムを勉強していると
友人に話すと怖いと言われる」という趣旨の発言がありました。
同様に、個別グループでのディスカッションにおいても、「若い女性にジェンダー平等は大事
だという話をしても、響かない」というお話がありました。

これは私の実感にも近いもので、例えばSNS上では「ツイフェミ」(ツイッター上で
フェミニスト的な発言をする人)や「過激フェミ」といったラベルがネガティブなニュアンスで
語られている状況が散見されます。

かつて、その否定的なイメージを避けるという意図もあって、「リブ」という語が
「フェミニズム」に置き換わったように、現代においては「フェミニズム」が「ジェンダー平等」
という語に置き換わっているようにも感じられます。

若い女はなぜ、フェミニズムを忌避するのでしょうか。

上野先生は講義動画のなかで、「(女は)学校にいられる間だけは強者でいられる」という
お話をされていました。
島岡さんも書かれているように、「会社に入ってはじめて、自分がジェンダー不平等な社会構造の
被抑圧者だと気が付いた」という経験は、私にも共通するものでした。

それまで男と同じように競争し、選抜を受けてきた私にとって、性別を意識して意思決定をしたことは
(少なくとも自覚的には)あまりなかったように思います
(ただし、今になって思い返せば、自分の選択は社会構造の影響を多分に受けていたと思いますが)。

しかし社会人になって、自分が女であることを意識せざるを得ない状況に何度も追い込まれました。
幹部の部屋に入ると、女性が一人もいない。それは、育児や介護といったケアの責任を抱えている者は
生き残れないように設定された「出世コース」の産物でした。

その時点で、私の未来は「見えて」しまったように感じました。
男の設定したルールの不条理さ、不公平さに怒りがわきました。
全体ディスカッションの際に、上野先生から、「家庭の中に抑圧はないのか。
最近の娘はそこが出発点にならないのか?」と問われました。

その時私は上手く答えられなかったのですが、後に他の受講生から「私は母のようにならないと思っていた」
という意見の共有がありました。おっしゃるとおり、家庭の中に抑圧は確かにあったけれども、
自分はきっと母とは違う人生を生きられるはずだと信じてやまなかったから、目を背けてしまったのだと思います。

でも今は、母を無力にした社会構造から自分も自由ではないのだとようやく気が付くことができました。
その時になってはじめて、私たちの世代が少なくとも母の世代よりは自由に生きられるようになっていること自体、
フェミニズムが闘い、権利を勝ち取ってきたからだということに自覚的になれたように思います。

■バトンを受け取るために

課題文献のなかに、若い世代の女が「既得権のように享受しているものさえ、闘いつづけなければ
易々と奪われるかもしれない」という一文がありました。
アメリカで中絶の権利を認めた最高裁の判決が覆ったことが話題ですが、ひとごとではないと感じます。

フェミニズムが築いた礎が所与の初期条件となった若い世代の女は、それまでの世代と比べて、
女に対する差別や抑圧を自分事として捉えにくくなっているのかもしれません。

しかし、女を被抑圧者に誘導する規範は、形を変えながら、現在も残存していると感じます。
上野先生がおっしゃるように、どんな女もいつかは必ず、女に共通の悩みにぶつかるときがあると思います。
そのような時に、自分や他の女の問題を、自己責任や自己決定の産物とみなして突き放さずに、女がつながり、
連帯するための契機としていきたいです。

フェミニズムを切り開いた女たちのバトンを受け取り、そして次の世代にも継承していきたいと思った
第1回の講座でした。


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