第2期WANフェミニズム入門塾の第3回講座が2023年9月21日(木)に開催されました。
今回のテーマは「性役割」。講座生4名が自身の言葉で書き上げたレポートで、
当日の講座の様子が少しでもみなさんに伝わればと思います。
第3回 性役割 受講レポート ことこと
私は、シングルマザーになってから、子育てのお手伝いを通して社会に貢献出来たらと思い、
保育士の資格を取り、保育士として保育園で働いている。
保育所は、入所する子どもの保育だけではなく、その保護者に対する支援等も行う役割も担う
施設である。今、少しフェミニズムの勉強をして、保育士の保育所における保護者支援という
側面から考えてみる。社会で長らく定着してきた性別役割分担によって家庭内で女性に固定化
されてきた家事労働の一つである子育てに関して保育の知識をもって援助すること、
ということになるのだろうか。
この様に考えてみると自分の仕事は「性役割」と深く関わるものだと理解出来る。
今回、フェミ塾のテーマである「性役割」を勉強する前から、保育士は女性の成り手が多く、
あまり社会的に評価されていない、つまり賃金が安いことはもちろん知っていた。
しかし、日々の保育のことにあれこれ悩みながら、慌ただしく生活するばかりで、
それがどうしてなのかということをきちんと考えることが今まであまりなかった。
私が日々携わる保育や介護、看護などの仕事は分類の仕方はいろいろあるが、
大きく「ケア労働」と分類され家事労働の中から市場化されたものになる。
家事労働は家父長制の世界では、市場価値はなく、不払い労働と位置付けられる。
理由は家の中で女が黙ってやってきたことだから、楽勝、つまりタダ、というところだと思う。
しかし、家事労働を保育サービスや介護サービスとして社会の中で市場化するには、
値段をつけ、その労働をする人に賃金を払わなくてはならない。
しかし市場に本来入り込める様な価値のあるサービスであるとは考えられていないので、
安く買い叩かれる。この様な状況を「公的家父長制」によるものということを
上野先生にご指摘いただいた。
私的領域から公的領域にはみ出した、家事労働の延長と見なされる多くの「ケア労働」は、
入れ子状態になった家父長制により、社会から抑圧され続けていることがよくわかった。
保育に関して言うと、自治体によって認可を受けている認可保育園の場合、
内閣総理大臣により公定価格という保育に必要な費用が決定される。
その中から保育士の給料が算出され、税金と一部利用者の支払う利用料
(3〜5歳児は利用者負担はない。)を合わせたものが保育士の給料として支払われる。
保育士の給料が低いのはこの公定価格の設定が少ないということになるので、
内閣総理大臣から、ずいぶん少なく保育という仕事を値踏みされているということになる。
(私がかろうじて保育士を続けていられるのはシングルマザーである(手当がある)からだ。)
妻役割、母親役割に当てられた子育ての負担を軽減し、女性の社会進出を促進するために、
新たに女性をターゲットとしたそれらに代わる役割として保育士という職業が結果的に
出来てしまったと言ってもいいのかもしれない。
(それでもまだまだ妻役割、母親役割の負担は大きいと思うが。)
低賃金で処遇改善も期待されない職業なのだから、多くの保育士は数年で辞めていく。
人材が定着しないのも無理はない。
あまり大きな声をあげない保育士たちを上手くいなして、のらりくらりと時間を
つぶすうちに更に少子化が進み保育所、保育士を減らしていくことを待っているのでは
ないかとも思えてくる。
「だって、保育士って、子どもと日がな一日遊ぶ、誰でもできる仕事なんだから、
安い賃金でもしょうがないでしょ?」という人にここで、保育なめんな!と
ぶちまけることはしないが、私の感覚から言うと「保育」と「子守り」を混同している人が
多いように思う。
一言でここで説明するのは難しいが、限られた環境の中で子どもを適切に
養護と教育を一体的に行う保育をするには、やはり経験や専門性は必要だと私は考えている。
保育所には、様々な発達段階の子どもたちが、日々やってくる。
人生のスタートの時期の子どもたちと一緒に過ごさせてもらう保育士の仕事というのは、
大変だが、本当に興味深く素晴らしいものだと実感している。
また、人生の先輩方の生活をサポートしたり、その最期までを思いに寄り添い
ケアする行為は大変な心持ちで行われる、尊いものであると思う。
生まれた時から、最期の1分1秒まで人として自分らしく生きるためにはどうしたら良いか
ということは、全ての人に与えられた問いであり、その答えを導くにはケアの問題は避けては通れない。
私がフェミニズムと出会って知った、いつも心に響いてる言葉がある。
「ケアは非暴力の実践」
ケアをされる人にケアをする人が暴力をふるってはいけない。単にそれだけではなく、
この言葉はケアをする人にも向けられているということだったのかと今回気づくことが出来た。
労働環境の悪さを仕方ないと安易に見過ごすことが自分自身への暴力であることを、
まず認めることが、ケア労働に携わる人に必要であると今、強く感じている。
長年にわたり家父長制の弱者を黙らせる力が大きく働いているというのが、
大きな要因だとしても当事者であるケア労働者が、まず声を上げなくてはいけないと思った。
今回のフェミ塾の中で、保育士の賃金の低さ等について私がうまく説明できなかったり
理解できていなかったことを以上のようにまとめてみた。
フェミ塾のみなさんからも、当日、様々な立場や経験から性役割について
お話いただき大変興味深く聞かせていただいた。
いろいろな世代の方とフェミ塾を通してお話させていただき、この問題に
微力でも向かって行かなくてはいけないと思った。
引き続き、フェミニズムを深く理解し、誇りを持って保育士として仕事をしていきたい。
第3回 性役割 受講レポート サファイア
私は20代後半でシングルマザーになりフェミニズムに出会い「これまで自分の身に起きた
理不尽なこと、このモヤモヤは自分のせいだけではなく構造にあったんだ」と認識し、
すごく腑に落ちたのを覚えています。
その経験から私はフェミニズムを息子の子育てに取り入れてきました。現在、彼は高校生です。
『82年生まれ、キム・ジヨン』を読んだとき私は震えが止まりませんでした。
そして家族に読んでもらい、映画も一緒にみました。息子はさまざまなことに怒っていました。
その中でも印象的だったのが「なぜ、ベビーシッターを探しているのがジヨンだけなのか。
夫はなぜ一緒に探さないのか。おかしい。」と言っていました。
みなさんにも心当たりがあるのではないでしょうか。実際に私もそうでした。
お子さんの保育園、幼稚園探しはなぜか母親だけが探しています。
情報は母親に集まってくるといった点を譲ったとしても、入所前の見学、
行政への手続きなどは父親にもできるはずです。
今回の講義の「性役割」の内容において納得したり、気づきがあったり、
私だけじゃなかったという感想の方が多かったように感じました。
「性役割」は誰が、何が、押し付けてきたのか。
家父長制、無償労働…私たちは長い間その構造の中に閉じ込められ、
都合のいい側の人たちに気づかず取り込められてきました。
気づいたときには自分をいじめていました。
次の世代にそんな思いはさせたくありません。私たちの先輩が闘ってきてくれたときよりも、
もっといい状態にしていきたい。性教育やジェンダー教育、労働においてきちんと
話していかなければなりません。私が今思っていることや考えていることを
学びの実践を通してブラッシュアップしていくことがとても重要だと思います。
『100分de フェミニズム』をご覧になった方も多いと思いますが、
息子は学校の先生に掛け合い、彼のクラスだけですが視聴することに成功しました。
息子がそういった行動にでた理由は、上野先生のホモソーシャルの解説や
(ちなみに息子は男子校です)、上間先生の未成年の妊娠・出産・中絶の内容は、
高校生である息子やクラスメートにとってとても大事なことだと思ったからだそうです。
授業で番組を視聴した際に、ヘラヘラ、クスクスと笑っているクラスメートもいたようですが、
息子が「どこがおもろいねん!」と言ったところ黙ったようです。
どこの団体にもそのような嘲笑する人が存在します。鈍感なことにさえ気づいていない人も存在します。
理不尽やモヤモヤを感じる人、感じてしまう人たちが、そういう人たちから
なるべく傷つけられないでほしいと私は願っています。
一方で、「気持ち悪いことをそのままにしない」ことをなるべく心がけることで、
モヤモヤは小さくなり、さらに共感してくれる人がいれば気にしなくていいぐらい
ミクロになります。完全には無くなりません。その気持ち悪さやモヤモヤは
鈍感なことにさえ気づいていない人に遭遇した時にまた顔を出します。
それだけセンサーが敏感になるということだと私は思います。先日の講座の際、
上野先生から鈍感な相手に対して「あなたセンサーが鈍いわね。」といった処世術を
伝授してもらいました。センサーが鋭いということはそれだけ色んなことに
気づくことができます。いやな感じの相手も敬遠してくれます。ナイス!センサーです。
ここにいる同士の怒りや辛さを一緒に共有して波風を立てていきたい。
私はそんなふうに考えています。私は私のやり方で、あなたはあなたのやり方で。
ルートやスピードは異なっていても目指しているところは同じです。
これまで受けてきたどうすることもできなかったモヤモヤは、忘れずきっちり
機会が来るまで大事にとっておいてください。決して、無かったことにしようとしてはいけません。
きっと後々歪みが出てきます。それに無理に消化してはもったいない。
時期が来るまで(共有できる人に出会うまで、自信や実力がつくまで、処世術を学ぶまで等々)
センサーを鋭く、昇華できる波が来るまでじっとしつこく待機してください。
これを読んで自分ごととして捉えてくれる人がいるのであれば、あなたは一人ではない
ということです。共に共有し、共感し、波風を立てていきましょう!
第3回 性役割 受講レポート tw
前回、第2回目の講座テーマが「フェミニズム理論」という、まるで雲をつかむようなもので
あったのに比べると、今回の講座テーマ「性役割」は、自分事として考えられるものであった。
夫婦共働きなのにも関わらず、家事や育児や介護は女性により多く負担がかかっていること、
社員数は半々なのに、管理職は圧倒的に男性が占めていること・・・。
性別による役割分担は、ここにあえて書く必要がないくらい日々当たり前に起きている
ことであり、講座の参加者各々が日常生活において経験があり、議論は盛り上がった。
わたし自身、父親は外で仕事、母親は専業主婦という家庭に生まれ、「男が指揮し、女は従う」
ということを疑問に思わない両親のもとで育った。それでもなぜか、中高校生のときから、
「保護者」欄に父親の名前だけを書くのはなぜだろう?とか、なぜ「父兄」という言い方を
するのか?とか、夫を「主人」って呼ぶっておかしいのではないか?といった疑問を持ちはじめ、
地元の新聞に投書という形でぶつけた。
(ちなみにこの投書に賛同の返信をくれたのは初老の男性だった)
それでもやはり、いまだに性別役割分担が無意識のうちにわたしの中にあり、
内面化されていることに気づかされることがある。最近もこんなことがあった。
同僚がメキシコの議員についての調査をしたときの話をしてくれた。
メキシコでは現在、議員数が女男ほぼ半数であり、その件について在日メキシコ大使(女性)
にインタビューをした際に、次のようなやりとりがあったそうだ。
同僚:「女性が議員になるにはそのための能力が必要ですよね?」
大使:「それじゃあ、男性にその能力があると思う?」
このエピソードを聞いて、まず、同僚の質問に違和感を覚えなかったわたし自身に驚いた。
男性には生まれつき議員になる能力や資格が備わっていて、女性はその能力を
身につけるために勉強したり努力したりしなければならない、そんな考え方が
わたし自身にも無意識のうちにあったことに気づかされた。
ここまでの無意識化、内面化は一体どこから来るのだろう?
もう一つ。「おじいさんは山へ芝刈りに、おばあさんは川へ洗濯に」という
ほとんど誰もが知っているフレーズがある。性別役割分担の物語化の典型的な例だが、
今回の講座の動画であらためてこのフレーズを見て、性別役割分担自体よりも、
芝刈りに行くのが優れた仕事(優れた者の仕事)で、洗濯に行くのは劣った仕事
(劣った者の仕事)と、わたしたちは無意識のうちに価値づけているのではないか
という点に引っかかった。「おばあさんは山へ芝刈りに、おじいさんは川へ洗濯に」
とした場合に多くの人が感じる違和感はどこにあるのだろう。
優劣を含んだ性的役割分担があるから、性差別があるのか。あるいは、性差別があるから、
優劣を含んだ性的役割分担が発生するのか。家事やケア労働は、無報酬・低賃金だから
女性の仕事なのか。あるいは女性の仕事だから無報酬・低賃金なのか。
性別役割分担をなくしていくと同時に、家事労働にしろ、ケア労働にしろ、
どのようなものにしろ、現在女性の役割とされているものにもっと価値を見出しても良いのではないか。
第3回 性役割 受講レポート ホイ
「第一期女性学のキー概念としての『性役割』」という小出しから始まった今回の文献。
男女の不平等を作り出し、さらにその不平等を合理化させたこの概念は、フェミニズムを
話す時には必ず言及する言葉だと、私は思います。
なので、最初「フェミ塾第三回の参加レポートを書こう!」と決めた時は、
胸が騒ぐ気持ちで臨んでいました。
ただ、いったん書く作業に着手しようとしていると、それはそう簡単なことではないと
気づきました。
なぜというと、よく考えたら、「性役割」という概念が生産された前に、その実践
(いわゆる性別役割分業)は世界のあちらこちらでされていました。
同時に、「性役割」がもたらした不平等もだれから見ても明らかに存在していました。
私は中国生まれで中国育ち。中国には日本の「おじいさんは山へ芝刈りに、おばあさんは川へ洗濯に」
に似ていることわざがあります。それは「男は外、女性は内」で、(男主外,女主内)、
「男は経済社会で活躍する一方で、女はよい家庭を構築することを課せられる」という意味です。
このような古い時代から言い続けることわざは、フェミニズムより先に、この「性役割」を
言語化させました。
ならば、こんなに歳月が経ち、または全人口の半数に関わる古い慣習は今だにも
変えていない原因はなぜですか?
私が住んでいる中国は日本と違い、女性は結婚退職するケースは比較的に少ないと思います。
また、女性の就職において、「男女同工同酬」(男女同一賃金)という政策も
近年推進されてるので、「性役割」は徐々に消え、「男女平等」「女性の社会進出」
などの目標がすでに実現されたように見えますが…
私の周りの人の経験からすると、決してそうではないです。
私のある女の子の友人は、トップレベルの大学と大学院に進学し、順調にエリート路線を
歩いていました。その子は卒業後は金融系の職場に入り、学生時代に知り合った彼氏と結婚し、
かわいい子供を産みました。彼女は出産後も元の仕事をし続けたので、そばから見たら、
結婚出産は彼女にとって、大した影響はないようです。
けど、彼女に聞いたところ、「子供をもつと、職場においての考えは出産前とだいぶ
違いますよ」という答えを受けました。
その理由の一つは、「職場において、こともを持つことは男の評判を上げる一方、
女にとってかえって不利な要素になった」という。出産した女性は体力がほかの人より
劣っているとか、重心は仕事から子供に移ったとかという理由で、職場の戦力から
だんだん外されていくのです。特に、中国においては「一孕傻三年」(女性は妊娠出産した後の
三年間は頭が冴えない)という言い方があります。私は以前、この言い方は何か科学の根拠が
あると信じたのだが、最近はようやく「それはまさか女の職場復帰を阻む呪文では?」と
気づきました。また、この言い方は女の活躍を抑止するだけではなく、女を
(男と違って)「家庭と仕事」「母性と進出」という二択のいずれを半強制的に
選ばせているのです。このような、「性役割」と職場においての男女不平等は明文化した規定から、
一種の暗黙のルールに変わり、社会の中の人々に影響を与えつづけています。
このような転換は、男女の不平等を隠蔽したのだけではなく、女の中に分断を生じさせました。
既婚女性が職場で経験した差別が見えないため、その差別がもたらした女性の進出難は全部、
個人の努力の差に帰結することになりました。男性どころか、未婚の女性から見ても、
既婚でこどもを持つ女性が仕事に専念しないのは、その人の「個人選択」に過ぎないでしょう。
でも実際は、既婚女性がぶつかった見えない壁の向こうに、誰かが彼女たちに「お前はどれだけ
頑張っても進出は無理、さっさと諦めて子供の養育に専念せよ!そちらのほうはせめて
いずれは実を結ぶから」と、呪文を唱え続けているのです。
フェミニズムは一部の女だけに自由と平等を与えるものではないと、私は思うので、
フェミ塾に参加する前にずっと、このような分断を心苦しく思っていました。
ただ、第三回フェミ塾に参加したことで、このような考えが良い方向に変わりました。
第三回において、ここは本当に立場がそれぞれ違う女性が出会い、話の場だったなと感じました。
既婚の女性、未婚の女性、こどもをもつ方、保育関係の仕事をされている方……
「性役割」を固定化した社会をどう変えるべきかについて意見を交わしました。
「波風を立てることを怯えずに」という発言は一番印象が深いです。
この前は本で読んでいた理論を思い出させました。
「生活はまるで波の立っていない静かな海です。ただ、海のほとんどはその水面下に隠れ、
知ることはできません。知るすべはただ一つ、波風を立てることです。
波風がたったら、海が暴れるが、その下の未知の部分は現れることができます。」
社会を変えることも、これと似ている部分が多いでしょう。
「分断」ができたのは、それぞれの集団に属する人々は違和感や矛盾を意識しはじめ、
変化を求める証ではないかと思うようになりました。
なので、フェミ塾のように、女性が話し合う空間はどれだけ貴重だと再認識することができました。
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2023.10.15 Sun
カテゴリー:新編「日本のフェミニズム」
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