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4.2 「ふさわしい声」ではなく(上) 池田直子

2012.02.17 Fri

監獄ビジネス―グローバリズムと産獄複合体

著者/訳者:アンジェラ・デイヴィス

出版社:岩波書店( 2008-09-26 )

定価:

Amazon価格:¥ 2,530

単行本 ( ページ )

ISBN-10 : 4000224875

ISBN-13 : 9784000224871

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聞こえない声に耳を澄ますということ。小林さんの言葉をうけとり、ふと考える。今、自分はどんな声を聞いているのだろう。またどんな声だけしか、聞こえていないのだろう。

  声とは不思議なもので、すべての声が平等に耳に入って来るのではない。健康への不安と、政府への不信感、得体の知れない焦燥感、そしてとにかく誰かにすがりたいような欲求が全て混在した気持で、街角のスーパーの野菜売り場に立つ私には、ある種類の声しかもう耳に入らないということが最近多くなった。自分の不安に答えてくれるような、また不安を増すようなそういう「声」ばかりを自分が選んでいることに気づく。無意識なのだが、私は聞きたい声だけを選別している。その選別のスピードが速く頻度が高いので、いつしか私は、この世界にあるのはこの「声」だけなのだというような気持ちでニュースを食い入るように見たりする。本当はあちこちに、それ以外の声だって満ちているはずなのに、私は広くごちゃごちゃとした世界を生きているはずのに、ある声だけを選び、そしてそれしかない(なかった)のだと絶望し不安に立ちすくむ。世界がとても小さく、どこにも行けないような気持ちになる。

だけど、本当は、声は、たくさんある。ひとつではなく。そしていま聞こえない声は聞き直すことが出来る。小林さんから受け取った声についての思いから、私はある出来事を思い出した。

  2010年2月3日、当時私が通っていたカナダの大学に、アンジェラ・デイビスさんという人が講演者としてやってきた。デイビスさんは、カリフォルニア大学サンタクルズ校の先生で、60年代後半から合衆国の戦争、性差別、人種差別、階級制度抑圧の抵抗運動を行い、今も引き続き、刑務所の暴力と人種差別、移民排斥の問題を告発し抵抗し続けている一人である。その日、デイビスさんの来学が可能になったのは、大学の学生自治会、抑圧に抵抗する表現Xの会(Xpression Against Oppression)、学内のヘイトスピーチ撲滅運動を続けて来た黒人学生会(YUBSA: York Undergraduate Black Student Association)らの熱心な招待運動によってだった。彼らのワークによって開かれたデイビスさんの講演の場に私は座り、そしてデイビスさんの話を聞いていた。

その夜デイビスさんは、学生たちのリクエストに答え、自分自身が関わって来た反差別運動について話したが、その中でもデイビスさんが語った、二人の黒人解放運動の「カリスマ」についての話はとても印象的だった。一人は「キング牧師」、もう一人は彼女自身が属していたブラックパンサーの「マルコムX」である。政治的手法は違うけれども、アメリカの黒人解放運動を語る上でなくてはならない、とされている二人の男性活動家である。

とりわけアメリカのメディアや促進的文献は、キング牧師とマルコムXという二人の活動家のヒューマニティが、そのまま集団としての黒人の解放と運動の過激性の代名詞である、とするようなものだとデイビスさんは言った。そしてそういった書かれ方が解放と正義を求める黒人の運動の歴史を考える上で、どれほど馬鹿げていて、どれほど非現実的だとおもいますか、と私たちに問いかけた。

実際には、とデイビスさんは言う。これはいかなる解放運動にもいえることですが、私たちがどれほどそれを望もうと、「一人の救世主」に率いられた運動なんてものは存在しなかったし、今も存在しないのです。私たちはみんな信じたいのかもしれない。どこかに政治的に進歩的で私たちを導くに「ふさわしい」主導者がいるにちがいない、と。だけど、残念ながら私が知る歴史では、「カリスマティックな主導者」(キングのこと)は、実際、あまり多くのものを知らず、未熟で、しかし正義感と情熱に満ちた「どこにでもいる」青年で、そして彼のまわりにはおおぜいの『大人たち』がいたのです。その多くは黒人の女たちでした。デイビスさんは、続けた。しかしほとんど誰も彼女たちの名前を覚えていません。キング牧師やマルコムの名前は永遠に語り継がれるけれど、彼女たちを私たちは思い出さないのです。

デイビスさんは、彼女自身が、フェミニズムの文脈で、女性解放と人種差別反対、解放闘争を一手に引きうけて、国家権力と戦ったアイコンのように描かれることが多い。女性がたった一人国家権力と一騎打ちをしたと信じたい、というような、ヒーローを求める願望。私自身、自分の中のそうした願いに無自覚のまま、デイビスさんを待ち構えていたのだろうか、とそのとき思った。「カリスマ」や「救世主」の歴史を求める気持ちは一見純粋な感傷に見えるけれども、そんなふうにして、多様な声を発してきた女性たちの中から「ふさわしい」声を選び取っていく。その結果、私は、彼を支援し育てた女性たちではなく、「キング牧師」のスピーチを、暗唱できるまで聞き取り、そして「マルコムX」と彼を描いたスパイクリーの言葉を選びとって、今、ここにいるのだ。

(後半に続く)

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カテゴリー:リレー・エッセイ

タグ: / フェミニズム / 人種差別 / 学生運動