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4.3 つぶやくひとつの声 千田有紀
2012.03.16 Fri
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このリレーエッセイ、声についてのエッセイが続いている。フェミニズムとこの問題についての古典ともいえるものは、ガヤトリ・C・スピヴァクの『サバルタンは語ることができるか』だろう。
声を奪われたサバルタンは、語ることができない――自分の思想がそう読まれることはサバルタンの能動性をも奪うことに繋がるということで、スピヴァクはむしろ、サバルタンの声がいかに「聞かれないのか」というほうに関心を移していった。この本自体が、かなりのページをインドの寡婦殉死(サティ)の慣習についての議論に充てているにもかかわらず、スピヴァクをもてはやす思想家のあいだでその部分の議論はまるでないかのように無視されていることに思いを馳せれば、ひとは聞きたい声にだけ耳を傾け、聞きたくない声は聞かないというのは確かにそうなのかもしれない。
言葉を使う者の能動性、エイジェンシーをうまく理論化しながら、ジェンダーを論じたのはジュディス・バトラーだ。わたしたちは言語の制約された存在である。言語がなければ、わたしたちはそこに「モノがある」ということすら認識できない。言語はたんに抽象的で見えない存在であるかのように思われるけれど、実は言語は物質を作り出すのだ(本当は音声すら物質なのだが)。言語が認識を決定する、というところで認識をとめれば、これは古典的な――サピア・ウォーフのような言語決定論になるけれども、バトラーはそこで「引用」という概念を導入することによって、言語を使う者のエイジェンシーを回復した。わたしたちはストックされた言語の制約のなかから引用しながら言語を使うけれども、ただ引用しながら、言語を変えていくことができる。わたしたちに引用されていくうちに、言語はつねにずらされ、変わっていくのである。
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しかしそれでもなお、わたしの声が聞かれないだけではなく、うまくいえない感じ、思考が言語を超えられない、超えられないことにも気がつけないのかも知れない、何かもっと違う可能性が残されているかのようなもどかしい気持ちをどう呼べばいいのだろうか。この気持ちすら言語でしか表現できない、言語に囚われているわたしたちの存在は、たとえエイジェンシーが存在したとしても、もっと圧倒的な言語の波にさらわれてしまうようなものなのではないかと。
と、ここまで書いて、いつもこんなつぶやきともよくわからない、青臭いことに、根気よく耳を傾けてくれていた竹村和子さんのことを思い出して、キーボードの手が止まってしまった。この場で故人のことを書くのは、ひょっとして非常識なことなのかもしれない。けれど、竹村さんがもし日本にいらっしゃらなかったら、バトラーの『Bodies that Matter-On the Discursive Limits of Sex』を英語で読んで理解することは難しかっただろうと思う。曲がりなりにも今、バトラーの理論的なことを語ったりできるのは竹村さんのおかげだ。お茶大大学院の竹村ゼミは(ご迷惑だったかもしれないが)、わたしにとっては避難場所だった。じっくりとテクストを読み込んでいく文芸批評のスタイルは、どちらかというとテクストから離れて空中戦を繰り広げる社会学のスタイルとはかなり異なっていて、それもまた新鮮だった。
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「バトラーの検閲の考え方は一面的すぎると思う。賛同できない」というわたしに竹村さんは、「ほら、誰だっけ、あなたの好きな…。そうそう、ドウォーキン」とたびたびおっしゃっていて、ドウォーキンも好きだけど、そういう意味で「好き」じゃないのにと、いつか説明しようと思ってそのままになってしまった。アメリカ社会学会の会場に偶然居合わせたことがあとでわかって、「またひょっこり会いたいね」とかわしたメールが最後になって、かなわないままだった。ただ「人生は短いんだから、まずいワインなんかを我慢して飲むことはない」と潔く流しに捨てられていた竹村さんだから、人生を謳歌されたのだと信じたい。御冥福をお祈りして。
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