「あらまあ! あの子は乞食の子にパンをやった! いらないからじゃない。自分だって腹ぺこに見えたじゃないか。何とかして訳が知りたいもんだね」
(『小公女』より、原文まま)

少女の頃愛読していた『小公女』、私は特にこのパン屋のシーンが好きでした。主人公の小公女セーラはお嬢様として扱われていた寄宿制の女学校の中で、父の死により召使として酷使され、いつもおなかを空かせていました。パン屋の店先で偶然拾った4ペンス銀貨で、お店の人に勧められるまま、セーラはほかほかのぶどうパンを6個買います。そしてセーラは店の前にいたもっとおなかを空かせたみすぼらしい身なりの女の子に、そのぶどうパンを5個もあげて、自分は1個で我慢するのです。
パン屋のおかみさんの言葉のように「...何とかして訳が知りたいもんだね」と私も応えを探していました。女の子への同情や単なる親切心からとも違うこの善なる施しとは?何を意味しているのでしょう。
セーラは裕福なお嬢様として学校の中で特別扱いされていたときも、女中のベッキーに対してプリンセスとしてふるまっています。「もしも私がプリンセス―本物のプリンセスなら民衆にお金や物を与えることができるのに・・・」とセーラは素直に考えます。
この願いは先の場面でセーラが逆境にあっても、パン屋の前の物乞いの女の子にたいする施しに現れていました。セーラはこの時、自分に話しかけています。「私がプリンセスなら―プリンセスたちは貧乏になって地位から追われた場合は―必ずまわりと民衆と―ものを分かち合った。もっと貧しくてももっと腹を空かせた人にあえば、必ずそうしたのだ」。
セーラは逆境にあっても自分をプリンセス以上のマリー・アントワネットと同一視して、矜持を保とうとしています。それは自尊心の強いセーラが空想癖の強い少女だったから、あるいは単にセーラの独特の性格によるものと決めつけるだけでよいのでしょうか。
『小公子』の幼いセドリックでさえ「自分のことは忘れて、人のことを考えるのが一番いいことだって」と無邪気に言い、母親のエロル夫人も「親切で、真心を持って、正しいことをしていれば、一生、人を傷つけるようなことはないし、大勢の人だって、助けてあげられるということですよ」と教え諭します。今日、これらの言葉は率直には受け止めかねて、善意の押し売りとか偽善的と反感を抱かれるかもしれません。
セーラやセドリックをこのように描いた作者は心底、心のやさしい女性だったのでしょうか。

作者フランシス・ホジソン・バーネットは、1849年英国のマンチェスターの富裕な家庭に生まれましたが、幼いときに父親を亡くしています。当時の綿花不況の影響を受け、困窮した母親と兄妹5人の家族は米国に渡りますが、暮らし向きは厳しいものでした。空想したり物語を作るのが好きだったフランシスは、野ブドウを摘んで売ったお金で原稿用紙と切手を買っては、出版社に原稿を送っていました。自伝によると17歳のフランシスは原稿に添えて次のような手紙を送っています。
「拝啓 同封した原稿『デズボラ嬢の苦難』が、雑誌掲載にふさわしくないと判断されましたときは、同封致しました返送用の切手をお使いください。わたしの目的は報酬です。                                                               敬具  F・ホジソン」
フランシスもストウやオルコットのように、お金のためであっても、愧じることなく原稿を書いては送り、書いては送りしていたことが伝わり、並々ならぬ決意さえ感じられます。その後3日で書き上げた作品の原稿料35ドルを手にしたとき、彼女は17歳で作家への道を歩み始めたのでした。
23歳でフランシスは近所に住む眼科医と結婚し2人の男の子が授かります。相変わらず家計を助けるために、30歳で次男をモデルにした連載原稿『小公子』が本になると大変な評判となり、一躍有名になります。続いて書いた『小公女』も人気を博し、フランシスは子どもたちを連れては欧米を旅するなど派手な日々を送りますが、病弱な長男がパリで亡くなってしまいます。夫婦仲はますます冷え込み、離婚した彼女は2年後あるイギリス人の医師と結婚、これも長続きはしなかったようです。
フランシスは英国での豊かな都会暮らしから米国移住後の極貧の生活へ、作家として成功し、再び裕福な暮らしに恵まれたかと思うと愛息の死に合い、夫とも別れるという家庭的には不幸な生涯だったと言えるでしょう。『小公子』『小公女』同様、晩年の作品『秘密の花園』も零落した富裕層が再び富を得て、幸福になる、そしてさらにその富を分け与えるというパターンになっています。このことはフランシスの人生観を反映しているといっても過言ではありません。

さて、セーラの「善なる施し」のわけとは何だったのでしょうか。
フランシスは自伝の中で18-19世紀の「英国のレディ」としてのプライドを母から受け継ぎ、常に「人には親切にするのですよ」と教え諭されてきたと述懐しています。当時は高貴な身分の「レディ」であるからには、身分の低い者たちへの施しをしなければならないという社会的規範があり、それが慈善活動につながっていったようです。
セーラが自分をマリー・アントワネットになぞらえ、パンを与えたのも、レディとしての自然な振る舞いだったといえましょう。
フランシス自身は長男ライオネルの名前を冠した慈善活動や障害のある子どもたちのために募金活動なども熱心に行っていたそうです。

再び裕福となったセーラが、後日あのパン屋に行って(名前をアンと名付けられた)娘と再会する場面に私はいたく胸を打たれました。セーラの善意がパン屋のおかみさんを動かし、その娘にパンを与えるだけでなく、おかみさんが店で雇ってやったことは、ハッピーエンドとして完結します。ただそれだけではなく、ひもじい子どもがお店に来たら、アンがパンを与えるようにとセーラが頼んだことも最後に書かれています。さらにセーラはアンがその役目を担ってくれることを信じています。これこそ少女たちの善意の繋がり、シスターフッドではないでしょうか。フランシス・バーネットは男性優位の社会で「レディ」としての矜持を保つことで、女性たち同士の連帯を表したのです。

★フランシス・ホジソン・バーネット(1849-1924)
参考『小公女』バーネット作 畔柳和代 訳 新潮文庫
  『小公子』バーネット作 川端康成 訳 新潮文庫
  『バーネット自伝-わたしの一番よく知っている子ども』バーネット作 松下宏子・三宅興子 編・訳 翰林書房
  『少女小説から世界が見える』川端有子著 河出書房新社

⁂バーネットの画像は拙著『少女小説をジェンダーから読み返す』から掲載

小公女 (新潮文庫)

著者:フランシス・ホジソン バーネット

新潮社( 2014/10/28 )

小公子 (新潮文庫)

著者:バーネット

新潮社( 2020/06/24 )

バーネット自伝

著者:三宅 興子

翰林書房( 2013/06/27 )

少女小説から世界が見える

著者:川端 有子

河出書房新社( 2006/04/21 )