
今回も朝ドラ「虎に翼」です。新聞でもいろんな面で取り上げていて、興味を持って見ている人が多いことがわかります。筋がしっかりしていて、しかもところどころで笑わせる娯楽性があるのが受けているのでしょう。
このところ姿を見せなくて淋しいのですが、わたしは、男装の山田よねのことばが非常に小気味よくて、いいね、いいねと呟きながら見ています。
大学時代から寅子に心を寄せていた花岡が九州に赴任して、「どこまでもついてきてくれる」女性と婚約したと発表します。少しショックを受けている寅子を慰めるよねのことばは、
よね:だんごでも食って帰るか。(5月15日)
です。このストレートなやや乱暴な言い方が、よねのやさしい心根を表しています。
そして、寅子とよね、大学時代の同級生轟の3人の昼休みのシーンです。
轟:赤紙が来た。
よね:死ぬなよ、轟!(5月22日)
「死ぬなよ、轟!」は、極めて強い言い切りです。普通のドラマの女性だったら「死なないでね、轟さん」と言うでしょうが、よねは命令形の「死ぬな」を使います。命令形に呼びかけの「よ」をつけて、死なないで帰ってきてほしいという強い思いを述べます。さらに「轟!」と呼び捨てにすることで、ぐっと轟との距離を縮めています。
命令形も呼び捨ても、男性専用用法とされてきましたが、こうやって女性のよねが使っても少しもおかしくないことを、ドラマは示しています。いまや、男性語とか女性語とか言っても意味がなくなっているのです。男性であれ女性であれ、LGBTQであれ、その人がそのときいちばんふさわしいと思うことばを使いましょうというメッセージをこのドラマは送ってくれています。
もうひとつ、このドラマを見て気づいたことがあります。
ほんとにかわいそうな話ですが、寅子の兄の直道も寅子の夫の優三も、戦場に引っ張られたまま帰ってきませんでした。悲しい部屋に、直道と花江、寅子と優三のそれぞれの結婚の時の幸せそうな写真が飾られるようになりました。ときどき寅子はその写真を手に取って、帰らぬ人の顔の上を手でなぞっています。その写真です。優三はモーニング姿、寅子は振り袖姿です。そこまでは普通の結婚写真ですが、寅子の頭の飾りがユニークです。細い輪に薄いベールのようなものがついた物を被っています。
戦前の女性雑誌のグラビアなどに、花嫁姿がよく出てきますが、それらの女性の花嫁姿とはかなり違います。戦前の和装の花嫁さんは高島田の髪に「ツノカクシ」と呼ばれた白い大きな布を巻いています。「黒の裾模様で頭にツノカクシ」、あるいは「白の打掛にツノカクシの頭」が定番の花嫁姿でした。いや、今でも和装の花嫁は「ツノカクシ」をつけている人がいるでしょう。
この「ツノカクシ」、まさに女性差別のシンボルのひとつでした。まず「ツノカクシ」の語源を辞書で見てみましょう。最近の辞書には語源はほとんど載っていませんが、戦前の辞書に見つかりました。『大辞典』(平凡社1936)です。
ツノカクシ 角隠 ①婦人の被物の一種。妬心を止めるの意で仏参の時などに用ひるもの。[以下略] ②転じて婚礼の時新婦の被る一種の頭飾。
お寺参りにいくとき、嫉妬心という「角(つの)」を隠せといったのです。女性の嫉妬心を「角」にたとえるとは、昔の人もちょっとひどすぎますね。とにかくお寺参りの女性が嫉妬心を起こさないように、それを隠すために被らせられた布だったのです。寺参りのときは隠す「角」は「妬心」で、それを隠すための被り物だったのでしょうが、結婚式となると、「角」は「妬心」だけでなく、嫁ぐ娘の「いろいろな思いや気持ち」にもあてはめられるでしょう。
戦前は、結婚して他家に嫁いだ女性は、その夫や夫の両親やきょうだいと同居することになります。まず夫に従順でなければなりません。夫の両親―舅姑―にも孝養を尽くさなければなりません。夫の兄弟姉妹―小姑です―にも受け入れられなければなりません。嫁は自分の意思で判断したり行動することは許されません。自分のしたいこと言いたいこと、それを隠す、その「角を隠す」のが「ツノカクシ」でした。
だから、寅子はあえて「ツノカクシ」はつけなかったのです。女の自由な言動を隠すための装置だと知っていたからです。ドラマでは最近寅子の父が亡くなり、両親の結婚の時の写真も飾られるようになりました。その父直言とはるの結婚の時の写真では、はるは「ツノカクシ」を被っています。
母もつけ、当時の一般の風俗でもあった「ツノカクシ」を寅子がつけなかったところに、注目したいと思います。新しい考え方をし、自由な見方をする人も、風俗や習慣を打ち破るのは難しく、目をつぶってしまうことが多いのですが、寅子は、自分の装いにも一貫して主張を貫いているのです。
今のご時世、まさか「ツノカクシ」を着ける女性はそういないと思いますが、その意味も知らずに、昔からの結婚式の伝統だし、白くて美しいからと、装う人がいるとしたら、もうそんな自分の本心を隠す風習はやめましょうと言いたいです。風俗としてつけるだけで、自分は何も隠さないから大丈夫、と言う人もいるかもしれません。でも、それが女性の自由を縛った装置の一つであったという歴史を知った以上は、戦前の寅子のように、つけない道を選んでくださいと言いたいです。
寅子の生き方には、今のわたしたちにも学ぶことがたくさんあるのです。
追記:全部書き終わって編集者に送った後です。
けさ、5月31日朝8時の放送で、昭和21年11月の新憲法が公布されたという新聞記事が出て、「日本国憲法」が登場します。これをナレーターは「ニッポンコクケンポウ」と言いました。これはまずいです。正しくは「ニホンコクケンポウ」です。「日本」についてはNHKはかねてから「ニッポン」で読ませたいようですが、憲法の読み方までそれに合わせてはいけません。現行の一番大きい辞書『日本国語大辞典』も、中型の『広辞苑』も、小型の『三省堂国語辞典』も、どの辞書を見ても「ニホンコクケンポウ」です。
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