第2期WANフェミニズム入門塾 第10回講座が2024年5月16日(木)に開催されました。
今回のテーマは「女性史・ジェンダー史」。講座生3名が動画からインスパイアされ、考えをめぐらし、自分の言葉を紡いで書き上げたレポートです。ぜひ、ご一読ください。当日の講座の様子、動画をシェアし、考え、喋る…を皆さんと共有できればと思います。


受講後レポート「女性史・ジェンダー史」 M.T

第10回のテーマ「女性史・ジェンダー史」では、これまで学んできた様々なテーマのフェミニズムの知識を、大きな歴史の流れの中で捉えなおし理解を深めたいと思い、10分間レポートを担当しました。
しかし、3本準備されていた講義動画のうち、平井和子先生がまとめられた加納美紀代先生の「銃後史」に関する動画の存在を失念しており、前2本だけを視聴してまとめたため、大変重要な視点を欠いたレポートとなってしまいました。皆さまとのディスカッションでも、問題意識の共有ができなかったことを深く反省しております。受講後になってしまいますがレポートの場をお借りして、「女たちの戦争責任」について考察をされた「銃後史」の観点から、女性史・ジェンダー史と自分とのつながりをあらためて考えたいと思う。
テキストや講義動画から、これまでの歴史学では、男性権力者の文字史料ばかりで、女性の姿がなく、そのことへの気づきから、女性のストーリーを発掘していこうと女性史が生まれたことを知った。その後、女性の姿だけを読み取っていくのではなく、男性と女性の関係性の中でみていこうとするジェンダー概念の必要性から、ジェンダー史が誕生したという歴史を学んだ。
さらに、ジェンダーは、明治維新から始まる、近代という時代に作られた歴史の浅いものであることを具体的に知り、大変驚いた。世界的に戦争がおきていた近代に、強い国家を作るためという社会的背景によって、法律や教育などを通し、どのようにジェンダーが作られていったかという歴史の流れは、まるで自分の中にジェンダーが作られてく課程をみているように感じた。10分間レポートでは、ここまでの理解であった。
加納先生は、戦争で夫や息子を奪われた存在である「戦争の被害者としての母親たち」というそれまでの見方に対して、「戦争と女性の共犯性」を指摘し、そのことにきちんと向き合うために「銃後史ノート」に取り組まれた。その中で問われたことは、刊行の最初の言葉に込められていると思う。「母たちは確かに戦争の被害者であった。しかし同時に、侵略戦争を支える 銃後 の女達でもあった。何故にそうでしかありえなかったのか、この“”機関紙を通じて、これを明らかにしたいと思っています。」
戦時中は、女性たちの母性を動員することによって、家に閉ざされた女たちは「カッコつきの平等と自由」をはじめて味わい、それによって母たちの自発性が高まっていき、結果的に侵略戦争を支えることとなった。
このような、女性の被害者でもあり加害者でもあるという「二重性」をしっかりと見ていかなければ、戦争が大きく広がっていく、その複雑な構造が見えてこないと述べられており、「被害と加害の二重性」を明らかにすることによって、戦争の歴史を乗り越えていけるのではないか、という指摘に深く納得した。
そしてさらに、現在の自分と「戦争協力者としての女性の自発的な姿」がどうつながっているか、という視点でもみられていき、すでに自分たちも形を変えて、銃後の女たちになっているかもしれないと考えておられた。
これまでの学びを自分とのつながりで考えてみると、私の場合は父との関係が思い起こされる。父は60年安保闘争の時代に運動に関わり、今もその頃の信念を持ち続けて生きている。母は障害のある兄の通院や世話に忙しく、私は子どもの頃から父の影響を強く受けて育った。
女性史・ジェンダー史の学びの中で、自分は父が信仰し、日本のフェミニズムが批判する「階級一元的な女性解放論」から長年影響をうけ、その影響の中でさまざまなジェンダー規範を内面化し、これまで生きてきたことに気づかされ強いショックを受けた。
さらに、加納先生は「母性ファシズムの風景」(1995年,ニュー・フェミニズム・レビューvol.6,学陽書房,p34)の中で、日本は戦後、高度経済成長のなか「『家』が企業のための労働力再生産を奴隷(女)と奴隷頭(男)が担う場所」としてあり、その近代家族・核家族の中で「母」たちは、息子たちを「競争に駆り立ててきた管理社会の代理人だった」と指摘されている。その姿も自分と重なり苦しくなった。加納先生が指摘する、「侵略戦争を支える銃後の女たちの姿」と、父や夫を下支えしてきた自分の姿が重なる思いがした。
現在の私は、数年前の母の死をきっかけに父とは会っておらず、被害女性の支援の仕事を目指し、ソーシャルワーカー資格取得のための勉強と、支援団体でのボランティア活動をしている。
ボランティアでは、「自らに染み付いているジェンダー規範や暴力を容認する価値観の学び落としが求められる」と教わっているが、強固に内面化されたジェンダーに直面し、愕然とする日々である。まだ私は、「なぜ自分は女性支援の仕事を目指しているのか」を、父との関係の中で生きてきた自分の経験(歴史)とつなげて、言葉にすることができないでいる。
今回、ジェンダー史を学び、親との関係の中でどのような価値観や考え方を身につけてきたのか、自分の歴史を知ることが必要であるように感じた。親との関係からつくられた自分の歴史を振り返ることで、内面化されたジェンダー規範を一つ一つ学び落としていきたいと思う。
そして最後に、加納先生が残された課題として述べられていた、「母性」と「ケアのフェミニズム」の関係についても、自分に引きつけて考えさせられる内容であった。
加納先生は、「母性幻想」(母性=母=平和)という認識に警笛を鳴らし続け、母であることを掲げる運動にも一定の違和感を表明されてきた。しかし近年、「ケアのフェミニズム」の観点から、これらの運動を肯定的に評価する研究が広がっているようである。
実は私も以前は、ケアの観点から「母親業のなかで培われた思考や判断力」を肯定的に評価し、それを「社会構造の基盤におく」という考えかたと出会い、専業主婦で子育て中の母親である自分のあり方が肯定的に受け止められたように感じ、嬉しくなった。しかし徐々に、ケア能力を評価する観点から、男性の共感力やケア能力をどう伸ばしていくかといった、ケアの与え手個人の能力に着目した考え方に違和感を感じるようになった。それは、父との関係の中で感じていた「母性礼讃」への不穏さが言葉にならずに存在していたためであり、その頃、平山亮さんの「介護する息子たち」(頸草書房,2017年)の中で、「ケアは与え手と受け手のあいだに成立するものであり、与え手だけを見てケアが行われているかどうかを説明することはできない」(p54)との指摘を読み納得した。
加納先生は「全共闘の息子たちは「家族帝国主義解体」と叫び、母を拒否した」が、あさま山荘事件を経て、「息子たちの 母殺し は未遂」に終わってしまった。一方で、「〈娘〉たちは懸命に秩序化された母性を問い、 母殺し をはかった」(「母性ファシズムの風〈〉景」,p32-34)、それがリブ、第2派フェミニズムであると述べられている。
「ケアする者とされる者との間で結びなおされる関係がメタファーとしての母子関係と呼ばれること」に一定の危惧を示されており、母性動員による戦争加担の歴史を学んだ今では、リブが打ち破ったはずの「母性の幻想性」が再び呼び起こされないか、自分も不安を感じる。ただ、ケアのフェミニズムについては勉強不足で知識がないため、今後学びを深めていき、母性とケア、暴力・支配の関係を考察できる力をつけていきたいと思う。


受講後レポート「女性史・ジェンダー史」 島岡優

今回の講義を通して印象に残った点は2点ある。1点目は「女性が被害者でも加害者でもあった」ということ、そして2点目は「歴史を作る=何を記憶し何を忘れるか」ということだ。また二点目に絡め「大吉原展と性差の日本史展の比較」もレポートする。

①日本人女性の被害者性と加害者性について
私が初めて「日本人」として加害者の意識で戦争を捉えたのは、大学3年生の留学中、シンガポール国立博物館で第二次世界大戦下における日本兵の侵略の実態について知ったときだ。それまで日本がシンガポールを侵略していたことも知らず、留学して半年が経った頃に凄惨な現実を史料を通して知り、恥ずかしさと共になぜ義務教育で教えてくれなかったのかと疑問が沸いた。
ただその時も「女性は被害者だった」という考えは頭の片隅に持っていたように感じる。今回の講座を通して、”銃後”という言葉を学び、戦時下に本土にいた女性たちは、積極的に兵士たちを支え、戦地に送り込むことで戦争に加担していたことを知った。女性の社会進出に対する欲望や家の中で抑圧されたエネルギーを大日本婦人会という形で利用したのは男たちだったが、その後積極的に参加していった女たちは被害者でありながら加害者であるという二面性を抱えているということに気づかされた。
講義と同時期に、「らんたん」という小説を読んでいた。そこでもまた太平洋戦争下において戦争に加担していく女性の葛藤が描かれているのだが、その時に生きていた様々な立場の女性の視点で見ると、戦争下で加害者にならないことは大変難しく、戦争に反対し逮捕されるか、軍事工場や大日本婦人会等で働きある程度戦争に加担するかのどちらかしか選択肢が無いのではないかと思えた。
マジョリティが「これが正しい」と信じている中で、知らず知らずのうちに加害者にさせられないように、冷静に現実を見つめられる力は、正直今の自分にはまだ無い。むしろ、人の評価を気にしてしまうところがまだあるので、大日本婦人会のように上手く利用されてしまわぬよう注意しなければならない。学んだ視点を忘れず、時代に流され、自身が加害者になっていないか内省するきっかけになった。

②歴史を作る=何を記憶し何を忘れるか歴史は誰かの視点で作られたものである、ということを講座で学んだ。ある事象に対して「覚えるべき歴史」か、「忘れてもいい歴史」かを誰かが選び、選ばれたものを私たちは学んできたようだ。確かに思い返すと歴史の教科書にはエリートが並び、年号を語呂合わせで覚えさせられる。一方で、講座で出てきたように、当時地位が低かった女性たちの歴史は文字で残された史料が少ないため覚えるべき歴史とされてこなかった。

 ・大吉原展と性差の日本史展を比較して
その視点で、先月まで東京藝術大学大学美術館で行われていた「大吉原展」と2020年に国立歴史民俗博物館で行われていた「性差の日本史展」を比較してみたい。
大吉原展のHPをみると「吉原の文化と美術を再考する」機会として本展示が開催されたことわかる。実際中を見てみると展示空間はテーマパークのように華やかで、色とりどりの絵画が並んでいた。しかしその展示物の殆ど当時の「男」の目線、つまり性を買うものの視点で描かれており、その展示内容は遊女を”再商品化”しているように感じた。当時の遊女の生活について学ぶことができる展示は少なく、何を記憶し何を忘れるかという視点に立って考えると、この展示は吉原の文化的で美しい面を記憶すべきとし、遊女たちや買う男たちが置かれていた状況を忘れている様に感じる。
一方2020年に開催されたジェンダーの日本史展では「資料を通して日本の社会のなかでジェンダーがどのような意味を持ち、どう変化してきたのかを明らかにする」目的で開催された。 私は当時展示には行けなかったのだが、図録の第6章”性の売買の歴史”で吉原をはじめとする近代遊郭について書かれている。展示では吉原と政権の結びつきや買う男たちの実態など幅広いテーマで、遊郭を取り巻く社会構造について取り上げられており、遊郭を容認し個人の性をコントロールすることで統治をしていたことが伺える。印象的なのは遊女が拙い字で書いた日記だ。当時の遊女の食生活など過酷な環境で生きていたことが分かるのはもちろん、劣悪な環境の中でもそれぞれが個人として日記を通して自分の意見を紡ぎ自己形成をしている姿が描かれている。先ほどの視点でこの展示について考えると、この展示では、主体としての遊女、遊郭を成立させていた社会構造、そして買う男たちを記憶するべしとしている。遊郭の文化や美しい面は紹介されているものの、大吉原展と比較すると少なく優先順位が低い。
大吉原展を見に行った当日、たまたま隣にいた観覧者からは「綺麗〜」というようなコメントが出ていた。人権の搾取が置かれていた吉原に対して、観覧者が表面的な美しさのみを感じてしまうことは問題である。
情報伝達手段が限られていた時代、絵画は現在の広告のような役割も果たしていたはずだ。男たちに遊郭を魅力的な場所だと見せ、誘引手段として使うのに、女たちの苦しみは書く必要はないだろう。そもそも美術は特権的なもので、絵師になれたのも殆どが男性だったことを考えると、”有名”とされる美術作品のみを飾ることこそジェンダーバイアスを再生産することに繋がっていないか注意する必要がある様に感じる。
では、どうすればもっといい展示になったか?例えば、「男の目線」だけではなく、「女の目線」を体感できるようにしたらどうだろう。展示は綺麗な街並みを再現していたが、例えばあるコーナーは遊女たちが置かれていた暗く、劣悪な環境を再現しながら、彼女たちが書いた手紙等を置いて視点の転換を測るのはどうだろうか。吉原の文化と美術の構成員に焦点を当てるのは展示の趣旨とずれていないだろう。
本講座と、2つの展示の比較を通して、今後歴史に向き合う際にその歴史は誰が何の目的で「覚えるべき」としているものなのか、そして女性の歴史が「忘れてもいい歴史」とされていないか注意しなければならないと考えさせられた。


受講後レポート「女性史・ジェンダー史」 MY

『次回の、女性史・ジェンダー史も面白いよ。』と言った上野さんの声が、私の耳に残りながら臨んだ、今回の第2期フェミニズム入門講座 第10回の『女性史・ジェンダー史』でしたが、皆さんはどうでしたか?
私は、わかっていた、もしくは、知っているつもりでいた、『女性史、ジェンダー史』のはずが、改めて、『知らなかったな』という事が多くて、更なる知的好奇心が刺激されましたが、実は、それ以上に、私の心を覆ったのは、2つの歯がゆさでした。
まず1番目の歯がゆさは、私は、加納実紀代さんや平井和子さんが論を展開する、『男は前線/女は銃後、女たちもまた戦争に加担したという、日本人女性の、第二次世界大戦中の、加害性』について、皆さんと語り合いたかったのです。新たな戦前かもしれない今、令和の母親達も、銃後の軍国の母となり、息子達、娘達を、戦場へ送り出すのか?と、とてもタイムりーなテーマでさえあるのに、My Classmates, 皆さんの頭の中には、今も戦争被害者としてのみの、『日本人女性』が凝り固まっているかのようで、少し残念な思いで、今回の受講を終えたのです。なお、その数日後、上野さんは、X(旧ツイッター)にて、小林エリカさんの新作『 女の子たち風船爆弾をつくる 』を推薦していらっしゃいます。My Classmates, この本を課題図書にして、みなさんと自主的な読書会を開きたいぐらいです。Let me know if you’re interested.
そして、もう一つの歯がゆさは、自分自身についてです。と言いますのも、ウーマンリブの一端を担い、日本のフェミニズムを牽引してきたお一人である、『生き証人』のような上野さんをPCスクリーン越しにして、私は、『ウーマンリブの場で、女の人達の間で、何が話され、何を掴み取り、何を失ったか、ウーマンリブとは何だったのか』などについて、2024年の上野さんが過去を振り返って思う言葉を聞いてみたかったのですが、残念ながら、具体的な質問が見つけきれず、自分の不甲斐なさを歯がゆく感じています。これを聞かずして、WANのフェミニズム入門講座 第10回の『女性史・ジェンダー史』もないのではないか??と思うぐらいに悔やみます。My Classmates, 私の他にこんな思いの方がいらっしゃるのなら、Let me know. 近い将来、上野さんを囲んで、一緒に聞き出しましょうね。 I think it would be so much fun.
情報の伝達とは、情報を発する側以上に、情報を受け取る側が、試され、もしくは、挑戦を突きつけられているのだと、改めて感じ入った、第2期フェミニズム入門講座 第10回の『女性史・ジェンダー史』でした。