憤りと祈りの歌集

大田美和は、1980年代末に朝日新聞歌壇欄で全国の読者を獲得し、1991年に歌集『きらい』(河出書房新社)でデビューしました。その短歌は、見田宗介『社会学入門 人間の社会と未来』(岩波新書)や、北村薫『北村薫のうた合わせ百人一首』(新潮文庫)に多数取り上げられています。代表歌は「チェロを抱くように抱かせてなるものかこの風琴はおのずから鳴る」「犇めきて海に墜ちゆくペンギンの仲良しということ無惨かな」です。

『かがやけ』は、昨年出版された『とどまれ』に続く第六歌集です。『とどまれ』のあとがきには、エッセイ集『世界の果てまでも』(2020年)、『大田美和詩集 二〇〇四―二〇二一』(2022年)、歌集『とどまれ』(2023年)、歌集『かがやけ』(2024年)の四冊の本の読者は、同一主題の様々な変奏を楽しむことができるかもしれない、と記されていました。エッセイ、詩、短歌という異なるジャンルで、東日本大震災から現在に至る日本社会の変質、時代の暴風の中で、言葉しか持たない素人の見たものと思考が、様々な形で描かれているということなのでしょう。

第五歌集『とどまれ』では、シャルジャ・ビエンナーレ(アラブ首長国連邦)の旅やモンゴルの旅、英国ケンブリッジでの在外研究とともに、災害や伝説の中から現れた故人とその思いが、浮かび上がっては謎を残したまま消えていきました。一方、第六歌集『かがやけ』には、ルアンパバーン(ラオス)やハノイや大田(韓国)での出張講義や、デッサウ(ドイツ)訪問、統営・釜山訪問など海外で深まった世界観もあるものの、コロナ禍の中、大学と高校という二つの職場で働いた女の歌集という特徴を持っています。
  礼法指導をする高校の式典で歌う校長としてデビューする
  多摩の春武蔵野の春招かれて二倍の生を生きる覚悟に
  富士に会う前に暮れれば仕方なし一気飲みするプレミアムモルツ
  どの沓に履き替え何を手向けるか先の見えない峠に向かう
  降りしきる氷雨の中で撮ったとは思えないほどみんな笑顔で
  有期雇用の若き教師のひたすらの耳に届けよ五時の晩鐘

コロナ禍の中の学生たちは、次のように歌われます。
  授業中だろと怒鳴れば「奨学金」返済のためのバイトに行くと
  かすり傷もない人々とえぐられた人々に同じマスク配られ
  五年間学べただけでもよかったか高望みだと君は言ったね
  開かない大学と食堂のそばにいて県から食べ物が届いたという
  小六で「ありのままの」と絶叫しコロナ時代を生きる君たち

現在の社会と世界に対する静かな「憤り」は次のような歌に現れています。
  格差なら昔からあると言い捨ててそれで終わりにできる人たち
  忍従と多死の八月 国策の祭りの中に混じる影たち
  ミソジニーの内面化という内省の刺す方角はどこを吹く風
  ぬかみその臭いを匂いに戻すまで七日はかかるまして政治は
  命知らずの原発攻撃決死隊これから生まれる人が人質
  防衛費二倍三倍玉櫛笥人身事故を日常として

「祈り」はたとえば次のような形で現れています。
  苦しければこれはいかがと人づてに伝えた本の読まれたるらし
  一番近い雪の駅まで出かけたら苦しむ人に届くだろうか

他の歌人との二つの競詠も、この歌集の魅力の一つです。人生のパートナーでもある好敵手、江田浩司は、競詠「二人旅、一人旅 尹伊桑生誕百年と近藤芳美の思い出のために」で、短歌と俳句と哲学的な詞書きによって通奏低音を奏でています。また、短歌結社「かりん」に所属する福島の歌人である齋藤芳生との「ほととぎす競詠」も、読み応えがあると好評を博しています。
  洗兵館のみを残して破壊せり……いつまでも謝るしかないじゃないか 
  アマビエの薬玉作り紐引けば響き渡れよ山ほととぎす

表題「かがやけ」に込めた思いについては、あとがきに代えたエッセイ「ダナム・パークへの小旅行」に次のように書かれています。

教育や言語表現活動というものは、そのような気の長い営みであるはずなのに、ゆとりを許さず、結果を急ぐ時間が、コロナ禍の中でも、激しく波打ちながら、せわしなく流れ続けていた。他人の生を支えるため、自分の生を全うするため、それぞれに働く人たちの生は、そのような波の上に一瞬現れては消える、かがよいのようなものなのであろう。(中略)どんな小さな命にもかがやく瞬間はあるはずで、善なるものの到来を願い、幸いあれと祈ることが、効率性や有用性とは無縁の、文学という営為なのだと思う。

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