社会言語学会がオーストラリアで開かれます、一緒に行きませんかと、ロンドンの知人に誘われました。まだオーストラリアには行ったことがないので、いい機会だと思って出かけました。西海岸の町パースと首都キャンベラの二都巡りです。
とにかく大きい広い国です。パースからキャンベラまで、飛行機で移動するのに5時間かかります。羽田から優に中国の南方に行けてしまいます。パース近くの海岸では、この海はインド洋ですと言われ、キャンベラで吹く風は南極から来る風だから冷たいですと言われ、これがひとつ国の話かと頭が混乱してしまいます。とにかく何でもかんでもスケールが大きい。人も大きい。日本人の中でも小柄な私など、コビトが巨人の国に来たような感じです。大人も子供も体格がいい人が多く、皆堂々とゆっくり歩いています。
パースでは電車とバスに乗りましたが、電車もバスも人はまばらです。背が高く体格のいい高校生たち―どうして日本の高校生はみな細いのでしょう―が、学校の近くで下りていきます。たいていの人の交通機関はマイカーです。これだけ広いと、それぞれの自前の交通手段がないと動けないのでしょう。今回訪ねた家は4人家族でしたが、車が3台ありました。土地が広いから平屋建ての家が多く、空がほんとうに広いです。町の中には車は見えるけど、人の姿は見えません。雑踏とか人混みなどのことばはここでは無縁です。
これだけ広くてゆったりしていたら、人の心も大きく広くなるだろうとつい思ってしまいます。もちろん、オーストラリアは、つい200年ほど前に、イギリスなどからやってきた人たちが、先住民のアボリジニとの抗争を繰り返しながら創ってきた若い国です。その残酷な歴史もまだ新しく、至る所に生々しい記憶は残っています。ですから、オーストラリは大きくて広くていい国だと、のんびり言ってばかりはいられません。先住民との共存共栄を目指して現在もまだ模索中の国です。
先住民と、植民した白人とが、ともに平和に暮らすための多様性だけではありません。多くの可能性を秘めた大きな国として、近くのアジアの国々からはもとより、ヨーロッパの国々からも新天地を求めてやってきた人たちでできている国ですから、人々はまさに多様です。アボリジニ系の体つき、アジア系の骨格、欧米系の顔つき、白色も黄色も褐色もどれが主流とも言えない肌の色、そしてそれらはまた、単独で出自を明確にしているよりも、複雑に混じり合っていることが多い。学会で出会っても、バスで隣り合わせても、この人何人?などと聞くことが意味をなさなくなります。むしろそう意識する自分が恥ずかしくなります。みなオーストラリア人です。
こうしたさまざまな人々の住む国ですから、価値観も世界観も人生観も多様です。そこから生まれてくる、こだわりのなさと自由さは羨ましい限りです。何かにつけて外国人を排斥したがる日本とは雲泥の差があります。ほんの短い滞在の中で見聞きした、その羨むべきこだわりのなさと自由さ、特にジェンダーからの解放の例を少し書いてみましょう。
たまたまテレビのニュースを見ていて知ったことです。パリ・オリンピックの代表選手の選考が行われている時期でした。オーストラリアが強い競技の一つ、女子水泳の代表選考で、3人の選手が選ばれたニュースでした。3人とも30代で、それぞれ子どもを持つ女性だと伝えていました。オリンピックという最高の晴れ舞台に出られる女子水泳選手の中に既婚者はあまり多くない、まして子どもを持つ人は少ない、オーストラリアではその希少現象があっさりと起こっていました。3人の写真も出ていましたが、みるからにたくましく速いスピードで泳げそうな女性たちでした。
もうひとつは、往復の飛行機の中の客室乗務員です。羽田シドニー間は9時間も乗っていますので、乗務員のサービスも頻繁にあります。わたしの座席のあたりは、いつも男性の乗務員が食事や飲み物を運んできていました。40代後半か50代と思われる大柄の男性でした。いつも「お飲み物は何になさいますか、Madam?」「お食事はどちらになさいますか、チキンですかビーフですか、Madam?」とやさしく聞いてきます。ジュースをと言うと、大きな手で2Lパックのジュースをコップに注いで、テーブルにそっと置いてくれます。その動作が穏やかでやさしいのです。日本でも最近は客室乗務員は女性だけということではなくなり、男性もたまに見かけます。でもたいていの乗務員さんは背が高くスマートです。私の乗ったオーストラリアのカンタス航空の乗務員は、半数が男性でした。かなり太めの女性も男性もいました。太った方がいいとは言いませんが、上の収納棚の荷物を取ってもらう時は、堂々として大きな人の方が頼みやすいです。だから恰幅のいい男性乗務員のサービスは、客としてはとても頼もしく安心感がありました。
そして、もうひとつは男性カップルの家族です。今回キャンベラでホテルの代わりにと言って泊めてくれた、昔の教え子Dの家族です。彼は日本に留学中に、アメリカから来ていた男性Mと気が合って、一緒に暮らすことにしました。彼が留学を終えてオーストラリアに帰る時、Mも一緒について行きました。DとMはシドニーで家庭を持って、息子と娘の父親になりました。Dが政府機関で働くことになり、キャンベラに引っ越して家を買いました。その家に招いてくれたのですが、食事は主にDが作ってくれました。MもDを助けて野菜を切ったり、食器を出したり、調味料を添えたりして静かに働いていました。調理場は、大きな2人の男性が立ち働くのに十分なスペースがありました。
娘のRは大学を卒業して働き始めたばかりですが、料理は2人のDaddyに任せきりで、Daddyの料理はおいしいから大好きと言っています。もう一人の娘Jは、背の高いDお父さんよりももっと背が高く、長い紫の髪をした、たいへんものしずかな女性でした。シドニー時代は息子だったのですが、トランスジェンダーになり、娘になっていたのです。
子どもがいたら母親が、結婚していたら妻が、父親には娘が、それぞれ食事の世話をする、日本ではこれが大きな前提になっています。息子として生まれたらあくまでも息子で、娘になることなどありえないと、ほとんどの人は考えています。そうした日本でのきまりごとのようなものはこの家族にはありません。食事は作りたい人が作ればいいし、息子が娘になったってちっともかまわないのです。
翌日Dは、「もちろん今は大臣の過半数は女性が占めていますよ」と言いながら、国会議事堂を案内してくれました。歴代の大統領や現存の政治家などの写真が飾られているコーナーを通りながら、写真の人物の寸評をしてくれました。ある男性の写真の前では、この大統領は評判がよくなかったと言い、ある女性の写真の前では、彼女は有能だ、女性同士で暮らしている、子どもが3人いる、と言っていました。女性だけのカップルも、誰でも知っていること、別に何でもないことなのです。まさに結婚や家族の形の多様性が実現されていました。なお、大臣が過半数については、後でウイキぺディアを見ると「23人の閣僚(閣外大臣を除く)のうち、女性が10人起用された」と書かれていました。閣外大臣を入れると過半数となるということでしょう。もちろん女性が過半数なんて、あっさり言ってくれるもんです。
はるか遠くの大きな大きな島で、知らなかったことをたくさん知って、驚きながら学びました。さまざまな生き方や考え方が認められ尊重されている国と知って、何度も目からうろこが落ちました。今、『闇の河』という、建国時期、ロンドンから流刑囚として移住した一家の異文化との衝突と和解を題材にした小説を、ドキドキしながら読んでいるところです。
『闇の河』ケイト・グレンヴィル 一谷智子訳 現代企画室 2015
2024.08.01 Thu
カテゴリー:連続エッセイ / やはり気になることば