入居の年のお正月、玄関扉の前で

プロローグ


 息子が父親を亡くしたの中学2年の時だった。私たち夫婦は共働きだったので、生後間もなくから彼は祖父母(私の両親)に育ててもらってきたのだが、父親の没後、その祖父母が相ついで倒れた。彼は、高校生の時から大学を卒業して就職するまで、その介護の大部分を、私に代わって担ってくれた。
 だから私は定年前から、この上さらに自分の介護までは息子にさせたくはないと思い、必要になった時には病院でも施設にでも入ることに決めていた。
 これが、私が小学校入学の年から70年余り住んだ我が家を出て、おひとり様暮らしを始めようと思った動機だ。
 その手始めの独り立ちとして、これは、と思ったサービス付き高齢者住宅、いわゆる「サ高住」に住み替えたのである。しかし、なぜか、4年弱で退居、UR(旧住宅公団)の賃貸マンションに住み替えてしまった。その顛末をまとめてみた。

 私自身は子どものころから、「女性だけれど、大人になったら、困った人の助けになるような仕事をして、ずっと働き続けたい」と思っていた。それで、都立高校を卒業後、東京都庁の採用試験を受け、希望叶って民生局(現在の福祉局)に採用され、福祉事務所に配属されて生活保護のケースワーカーに従事した。4年制大学卒の女性は敬遠されがちな就職事情の時代だったので、大学は夜間部に通った。
 この間に、自治制度改革で、福祉事務所が都から、区・市に移管され、職員の身分も区・市の職員になった。最初に配属された福祉事務所を所管する区で、教育委員会、保健衛生、ひとり親家庭福祉、男女平等推進、などに従事し、管理職になってから、住宅、市民協働行政に携わり、介護保険実施の前年には、導入準備のため、特別養護老人ホームの施設長として出向、環境課長を最後に定年退職した。
 福祉事務所の先輩だった夫と結婚、息子をもうけたが,ひとり親家庭福祉係長になった年に、夫と死別。介護保険実施の前年、準備のため特養の施設長として出向した。母の介護しているときだったので、「24時間老人ホーム」などとボヤいたりしたこともあった公務員人生だった。


第1章 始めの1年


*こんなところでおひとり様に・・・

 これが、住替え先の条件だった。その理由はおいおい説明するとして、該当するのはサ高住だろうか?
 サ高住は2011年10月施行の「高齢者の居住の安定確保に関する法律(高齢者住まい法)」に基づきスタートした、単身高齢者・夫婦など高齢者のみ家族を対象とした住宅。
 高齢者が安心して居住できるよう広さや設備と、生活するうえで必要な安否確認、生活相談、緊急時対応などのサービスを提供することが定められており、設置者は都道府県や、政令市、中核市に登録する制度の下で運営される賃貸住宅。
 まだ介護施設に入所する必要はないが、イザというときに、援助が受けられるように、と現在は自立しているが、先々に不安を覚え入居する人が多い。

 見学してみると、4階建て建物の、2階から上が住戸で、1階には内科、小児科、整形外科に調剤薬局とドラッグストア、さらに障害者の就労支援事業所運営の喫茶店が入っている。「大家さん」は大手ハウスメーカー。
 介護保険サービス事業所が併設されていないところ希望したのは、併設されているところは外からのサービスを使わせない、いわゆる「囲い込み」をされてしまうという例を聞いているからだ。
 これまで住んでいた家からはバスで30分ほど、停留所から玄関まで1分とかからない、昭和30年代に首都圏最大の団地として有名だった団地が、全面的に建て直され、整備されたエリアの一角にある。
 周りには大小の緑豊な公園やスポーツ広場、交番があり、知り合いも住んでいる、という環境で、求めている条件以上。息子夫婦にも見学してもらい、即入居を決め5月に契約、6月に入居した。
 そして引っ越し作業真っ最中に、頚椎症を発症した私は、建物一階の整形外科クリニックの本院(手術専門の病院)で7月に手術を受け1か月の入院をしてしまった。退院は新居にしたがコロナ下だったこともあり、これまでの我が家に帰るより、気分的に楽だったことは確かだ。側から気遣われることなく、マイペースで療養できたから。

(左)全景 (中)フロント・ロビー (右)内廊下―共用部分


*高齢者に優しくない!?

 建物は、総戸数38戸の住戸で、約38㎡の1Rから67㎡の2LDKまで、部屋タイプは5種類、共用施設として2階に食堂と小さな会議室がある。私は、4階の1LDK+Sというタイプを契約した。建物の玄関はオートロック、幅広い内廊下・緩やかな階段は絨毯仕様のカーペット敷、住戸内ももちろんバリアフリー、廊下や階段の空調が24時間運転されている。ちょっとしたホテルの雰囲気。
 ところが、引っ越しを手伝ってくれていた孫が「ここって、高齢者用の住宅なのに、高齢者に優しくないね」といった。
「えっ、なぜ?」
「だって、シンクが高いでしょ、お年寄りには使いにくいんじゃない? 風呂場の換気扇も高いし、押し入れの上段も踏み台使わなきゃ、届かないでしょ」と。
 この歳では、身長の高い方の私は気づかなかったが、180㎝以上ある孫に言われてみると、なるほど間仕切りの扉も普通の住宅より丈が高い。ガラス戸掃除など、背伸びしても届かないところがある。洗濯機は高さ10cm以上の防水パンの上に載せるので、全自動式洗濯機だと洗濯物を取り出すのが結構厳しいかも・・・大手ハウスメーカーが大家さんなので、一般世帯向けマンションの仕様で作られているようだ。シンクはむしろ今までの家では低くて、長く作業すると腰が痛くなりそうだった私は、ちょうどいいと思ったが、言われてみたら、多くの入居者には高いかもしれない。
 これは「難」といえなくもない。ついでに言うとIHのコンロが3口あり、ほとんどが一人暮らしで、食堂を使う人が多いのに、こんなに要るのか?という感じ。
 大学生の孫(男子)がそんなことに気づいたのがちょっと嬉しくもあった。

*「サービス付き」のサービス内容は?

 9時から18時は年中無休でフロントにリビングアテンダーと称する職員がおり、生活相談、毎日の安否確認、急病やケガなどに緊急対応してくれることになっている。アテンダーは設置会社から委託された会社から派遣され、複数人が交代で勤務しているが、個性によりサービスに濃淡があるのはここに限らずありがちで、仕方ないかもしれない。
 アテンダーのいない時間帯の緊急時対応や安否確認は、寝室、浴室、トイレについている緊急ボタンや水流センサーで、警備会社がしてくれることになっている。
 門限はないが、住人は外出時と帰宅時に、自宅玄関についている、フロントと警備会社につながっている「外出ボタン」を押すことになっており、それを押し忘れて出かけると、会議に出席したりしているときでも、アテンダーや警備会社から電話がかかってくることがある。入居して1年たった今でもこのボタンを押すことは忘れがちで、その都度注意されると結構ストレスを感じるルールだ。他の住人も少なからずそう感じているという。居室の玄関の照明は、出入りの都度、自動で点灯・消灯するが、それより出入りボタンの方をセンサーで自動にしてほしいと思う。
 食堂も委託会社が運営している。予約制・別料金で、日曜日以外朝食と夕食が提供されているが、ほぼ毎日利用している人、メニューやスケジュールで選んで利用している人、まったく利用しない人など様々だ。朝が8時から、夕食は18時からなので私の生活パターンから言うと朝はなし、夕食は月半分くらいの利用だ。外出の機会の多い私は6時の夕食に間に合うように帰るのは厳しいのだ。当日のキャンセルはできないので、食事に間に合うようにタクシーで帰り、高い夕食代になったこともあったりした。

 因みに朝食は500円に夕食は800円それぞれ+消費税、体調不良で、自宅まで出前してもらうと1食200円の出前料、月末に請求がくるが、それにも手数料200円がついてくる。

上映会ポスター『慕情』

*住人同士の交流は?

 住人同士の交流は、ほぼ食事時の食堂で行われている。住人は圧倒的に女性が多い。全く食堂を利用しないので、顔をあわせたことのない人もいるが、食堂の利用者で数えると夫婦の入居者3~4組を含め、男性が4~5名、女性が15~6名。ほとんどが80歳以上で90歳を超えた人もおり、外部のデイサービスなどを利用している人もいる。が、一様にしっかり自立されているように見受けられた。階ごとに緩やかなコミニュテイが出来ており、私のいる4階には13戸中8世帯が入っており、食堂でおしゃべり会をしたり、申し合わせて近くの公園に散歩に行ったりしている。
 持ち前のお節介で、コロナ禍で引きこもりがちな日常に変化を、と、ある土曜日に、手持ちの昔の映画のDVDを食堂の大型テレビに映して鑑賞会をしてみた。お誘いビラをテレビに貼っておいたところ、8人ほどが参加された。プログラムはリクエストで「風と共に去りぬ」を上映したところ、3時間半の上映時間に、さすがにみんなで「疲れたねー」。しかし、「楽しかったわ、また、お願いね」の声に、月1回、上映会をすることにした。 (つづく)