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4.12 日常のなかの永遠 鈴木彩加

2012.07.20 Fri

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「新しい私」と「永遠の私」をめぐって葛藤し、ゆれうごく心情をつづった鳥集さんのエッセイを引きついで、私もこのテーマですこし考えてみた。

「新しい私」のほうはよしとして、問題なのは「永遠の私」だろう。永遠?これまでフェミニズムは性別役割や母性など、かわらないとされてきたものが実は時代や社会によってつくられ、規定されたものであることを明らかにしてきた。そんななかで永遠なんてロマンティックなものがあるのだろうかとも思うのだが、この機会にあれこれ考えてみるのも面白いかもしれない。

永遠というと、私はまっさきに、手塚治虫の『火の鳥』を思い浮かべる。それこそ永遠に生きつづけたり、死んでは生きかえることを無限にくり返したり、そんなイメージ。

 死の恐怖から解放された一方で、そこに描かれているのはとても悲惨な人間のありようだ。親しい人びととの別れ。人間が滅び、たったひとりになっても生き続けなければならないという孤独。これが永遠ならば、限られた生を生きるほうが何百倍もましだと思う。

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 人が永遠という言葉にひかれるものがあるとしたら、それは変化をこばむこと、今のままでありつづけたいという望みからなのではないだろうか。朝起きてご飯を食べて夜に寝る(かなり単純化してるけれども)。日々の生活をいつものとおりに送ること、それは自分が自分であることを確認でき、安心できるひとつの方法でもある。

そう考えると、ロマンティックに聞える永遠という言葉を、もっとも体現しているのは『サザエさん』なんじゃないかと思う。もっとも、『サザエさん』は原作とアニメはかなり異なる作品になっている。原作ではサザエさん、婦人解放の集会にでていたり、選挙の応援演説をしたりと、時代や社会的背景が色濃くでている。

 他方、アニメ版の『サザエさん』はご存知のとおり、季節感はあるけれどもみな年をとらず、もう何十年もおなじ日常を送っている。家族構成やライフスタイルなど、すでに非現実的なものとなっているにもかかわらず、今でもコンスタントに視聴率をだしているのは、『サザエさん』で描かれる永遠の日常と、それを毎週おなじ曜日・おなじ時間に見るという日常、ふたつの意味で変わらないものに触れたり体験できたりするからなのではないだろうか。

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家族モノを考えたときに特筆すべきは『よつばと!』。シングル男性が地域の人びとや友人たちとともによつばという子どもを育てる(子どもというより小動物のような感じだが)、その日常が描かれた作品。一話読み切りのストーリーはとくに起伏があるわけではなく、どの巻・どの話をいつ読んでもそこにはイメージどおりの変わらない日常がある。この安心感が人気の秘訣なのかもしれない。

 とはいえ、なぜそれが家族という形で描かれるのだろうか。家族こそ日々変化し、葛藤しつづける、永遠とは程遠い日常をおくっているというのに。

次回「万物は流転する?」へバトンタッチ・・・・つぎの記事はこちらから








カテゴリー:リレー・エッセイ

タグ: / フェミニズム / 性別役割

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