WANでは、性差別の撤廃・ジェンダーバイアス解消の課題認識を含む、または反差 別の立場からセクシュアリティに関する新しい知見を生み出している博士学位論文の情報を収集し、「女性学・ジェンダー研究博士論文データベース」に登録・公開し、広く利用に供しています。2024年11月17日現在、同データベースには1,666論文が登録されています。これら登録論文または博士論文に基づく著書を、多様なバックグラウンドをもつWANのコメンテイターが読み、コメントし、意見を交わす機会を設け、執筆者に、大学や学会とは異なる研究発展の契機を提供することを目的に「WAN博士論文報告会」を開催しています。その第8回を、以下の通り開催しました。
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日 時:2024年10月14日(月)9:00~12:30
開 催:オンライン
参加者:26名
内 容
第1部
報 告  岡田玖美子さん:夫婦の親密性とジェンダー平等――相互行為プロセスとしての感情作業に焦点をあてて―. 博士(人間科学)、大阪大学、2024
コメント 江原由美子さん(女性学、ジェンダー研究、理論社会学)
第2部
報 告 田邉和彦さん:文系/理系の性別分離の生成プロセスに関する実証的 研究—文化的信念に基づく文理認識の差異化と進路選択—.博士(人間科学)、大阪大学、2024
コメント 河野銀子さん(教育社会学)
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第1部ではまず、著者岡田玖美子さんが、博士論文『夫婦の親密性とジェンダー平等――相互行為プロセスとしての感情作業に焦点をあてて―』の内容を紹介されました。本論文は、夫婦という親密な関係が日々どのようにして形成・維持・調整されているのかという問いについて、Arlie Russell Hochschildの「感情作業(emotion work)」概念に焦点をあてて、理論および計量的・質的データから明らかにしたものです。さらに、分析結果をもとに、現代日本において顕著な親密性の理念型として〈歩み寄る親密性〉モデルが志向されていると考察しました。ここでいう「歩み寄る」とは、自己開示や熟議というよりも感情作業などの一見曖昧なコミュニケーションも含めて、明確に自分の意思が定まっていない状態で相互の状況や価値観のすり合わせを行いながら、当人たちにとって最善な落としどころを探る「協議」のプロセスを指しています。
報告に対して、コメンテイター江原由美子さんは、本研究から得られる示唆をいくつか指摘したのち、著者と議論を交わされました。続く会場討論では、参加者の方も所感を述べられました。
第2部では、田邉和彦さんが博士論文『文系/理系の性別分離の生成プロセスに関する実証的研究—文化的信念に基づく文理認識の差異化と進路選択—』の内容を紹介されました。本論文は「『男子は理系、女子は文系』のような文化的信念は、いかなるプロセスによって、文系/理系の性別分離を生み出しているのか」という問いをリサーチ・クエスチョンとして設定しています。そのうえで、自分は「文系」なのか、それとも「理系」なのかという自己認識(文理認識)に着目し、「文理認識のジェンダー差は文化的信念の影響によって生じているのか」という問いと、「文理認識のジェンダー差は文系/理系の性別分離の要因を成しているのか」という問いを立て、データ分析に基づく検討を行っています。各章の分析結果からは、児童・生徒にとっての重要な他者は、特に小学校低学年の段階において、男子は「理系」、女子は「文系」の認識を形成しやすくなるような環境を構築しており、小学校・中学校段階においては、児童・生徒自身が「男子は理系に向いている」のような文化的信念を内面化することによって、また、そうした文化的信念を内面化した重要な他者の影響を受けることによって、多くの男子は「理系」認識を形成し、多くの女子は「文系」認識を形成していくことを示しました。
コメンテイター河野銀子さんは、本研究から得られる示唆をいくつか指摘したのち、著者と議論を交わされました。続く会場討論では、参加者の方も所感を述べられました。

参加者アンケートでは、回答者の全員が、「参加目的は十分/概ね達成された」と回答し、次のような感想・意見が記されました。 ~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・
■岡田先生のご報告については、「夫婦の親密な関係はどのようにして形成・維持・調整されているのだろうか」という重要な問いに基づき(自身にとっても身近で重要な問いだった)、精緻な枠組み設定や研究対象の選定・分析がなされており、たいへん興味深く拝聴した。 江原先生の鮮やかで的確なコメントより、さらに岡田先生のご報告の理解を深めさせていただいた。 特に、印象に残っているのは、4章の「一般化はできないものの、個人内の意識レベルでの感情作業(例えば、怒りや悲しみの抑制)を尋ねた項目では、予想に反して男性のほうが有意に多く女性よりも「やっている」と回答していた」という知見である。女性の方が感情作業を日常的にしている頻度は高いと思っていたので、驚いた。この項目ではあくまで主観を尋ねているため、女性回答で頻度が低い点については、その後「日常化するとその作業が当たり前となり、回答として現れにくいかもしれない」、と岡田先生がおっしゃっていた点になるほどと思った。第5章では、20代から30代の結婚を視野にいれた異性愛カップルへのインタビュー調査に取り組まれ、「うれしかったこと」や「ケンカやすれ違い」に関する語りを中心に、どのようにその状況が意味づけられ、どのような感情が語られるかをペアで比較しながら分析されているが、カップル間の感情作業の具体的内容の語りは異なっていたかどうかについて気になった。 具体的には、感情作業には、不満・悩み・喜び・楽しみ・悲しみなどを受け止め、相談に乗る、励ます、労わる、分け持つ、それ以上怒らせない、なだめる、そっとしておく、たしなめる、しかる、思い・考えを伝える、などさまざまな種類が考えられるかと思うが、それがカップル間の語りのなかでどのような分布になっていたのか、また感情作業はどのような形で達成されたと両者の間で考えられていたのか、それぞれが行った感情作業がお互いの親密性や信頼感を維持したり高めるものだったのかそうではなかったのか、という点が気になった。
田邉先生のご研究については、文系/理系の性別分離の生成プロセスに関して文化的信念という観点から明確な問いと精緻な課題枠組みが設定され、それぞれの課題を的確に各章で明らかにしていっておられ、とても明快な論旨でたいへん興味深く拝聴させていただいた。特に図6と図18のまとめの部分はモデルとしてとても分かりやすく、ぜひ今後の研究の参考にさせていただければと思う。 河野先生のコメントでは、これまでの文系/理系の性別分離研究の推移と政策動向・実態の推移が的確に示されており、多くを学ぶとともに、それをふまえた田邉先生へのコメントと田邉先生のリプライも示唆が多く、たいへんありがたかった。 小さいころ(小1)から男児・女児に向けた親の文理認識で差があることは驚きだったし、2023年の調査でもこのようなかたちであらわれるのだなと、日本社会に構築された文系/理系の性別分離に関する文化的信念の根深さのようなものを感じた。ご研究の範囲からは少し広がるかと思うが、文化的信念を形成するプロセス・構造、文化的信念が変化する契機についても興味を持った。 また、田邉先生が今後の課題として挙げられていたなかに「文化的信念を支持している生徒は必ずしも多くない」とあり、重要な他者からの文化的信念に関する影響はどんな生徒には持続したり選好を促進させ、どんな生徒には持続しないのかということも気になった。 今後も先生のご研究成果より学ばせていただければと思う。
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知見も、論文提供者も、コメンテイターも、参加者もそれぞれが相対化される、濃密な考察と対話のひとときでした。WAN博士論文報告会が、WANらしい/WANならではの事業として鍛え上げられていくことを願ってやみません。

文責:WAN博士論文データベース担当 山根純佳・寺村絵里子・内藤和美