エッセイ

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ジュディス・バトラー 「追悼」

2012.09.16 Sun

アマゾンのサーバでエラーが起こっているかもしれません。一度ページを再読み込みしてみてください. 私の友人である竹村和子さんを祈念し、追悼の言葉を述べさせて頂くことを光栄に思います。

お別れの言葉を書き始めなければならないのは、まことに残念でなりません。

とはいえ、私がここで正直に申し上げたいのは、和子さんのことを考えると、思わず笑みがこぼれてしまうということです。彼女が卓越した知識人であることは言うまでもありません。大胆で、頭が切れて、注意深くて、想像力豊かでした。しかし同時に、彼女は寛容で遊び心に溢れた人でもありました。

彼女の人生、彼女の文章、そして彼女の周囲の人々との関係には、茶目っ気がありました。和子さんのことを話したり考えたりする時にまず思い出されるのは、この茶目っ気です。私たちが和子さんの存在なしに、生きていくことに耐えていかなければならないまさにこの時にも、私はしばしば彼女の茶目っ気を思い出しますし、ここにいる私たち全員がそうであるに違いないと思っています。

みなさんご存知のように、竹村和子さんは素晴らしい翻訳者でした。

その素晴らしさとは、彼女の日本語への翻訳という営みが、翻訳される前はそのような形で結び付けられることのなかった世界全体を、互いに結び付けていったことにあります。

アマゾンのサーバでエラーが起こっているかもしれません。一度ページを再読み込みしてみてください. 和子さんは私の仕事や、スラヴォイ・ジジェク、ガヤトリ・スピヴァク、トリン・T・ミンハの仕事を日本語へと翻訳されましたが、それは単なる翻訳に留まらず、これらの仕事自体を、そしてこれらの仕事が意味しうることそのものをも作り変えることになりました。

彼女が日本語へと翻訳してくれたおかげで、その翻訳なくしてはありえなかった未来が、われわれの仕事やわれわれの人生にもたらされたのです。

一人の翻訳者として、彼女は異なる世界同士を結び付ただけでなく、(われわれとは)どこか違う場所に存在していた新しい生命を(われわれの)仕事に吹き込んでくれました。

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同時に、日本語そのものを刷新していくやり方をも見つけ出していきました。

和子さんはリスクを恐れませんでした。そして、そんなときいつも彼女はあの茶目っ気のあるまなざしをしていたものです。

彼女は難解なことを書き、思考することに尻込みしませんでした。そのような難解なものに深い関心を持ちながら、果敢に取り組んだのです。  和子さんは翻訳者でありましたが、彼女には自分自身の研究もありました。

彼女の研究テーマは、ポスト・フェミニズム、暴力とセクシュアリティ、太平洋を横断する間テクスト性、生政治、人間と人間ならざるものとの間の関係、フィルム・スタディーズ、そしてジェンダーに関わるものでした。このような多岐にわたるテーマへの取り組みは大胆なものでした。ただ、そこで和子さんが翻訳や自身の研究で試みていたのは、言葉にすることも書くことも容易にできないようなことを話したり書いたりすることで、これらのそれぞれ異なる思想の様式を結び付けていくということでした。

それはいくつもの世界を作り上げることでした。そうやって彼女は世界を横断し、越えていきました。そして時間をかけて、辛抱強く、思慮深く、新たな思考の枠組みを確立するためにはどうすれば良いのかという課題に情熱を注ぎました。この新しい思考の方法とは次のようなものです。暴力の存在を認識し、その力に対抗する方法、あるいは性生活に必ず入り込む攻撃性を探り当てる方法、そして政治的暴力が死をもたらす構造に対抗する方法です。

アマゾンのサーバでエラーが起こっているかもしれません。一度ページを再読み込みしてみてください. 和子さんは、彼女らしく寛大にそして厳密に、わたしたちがもっとも根本的なレベルで生きて、考えるよう求めました。

そこでは、すべての問いがシンプルであると同時に難しくもあります。私はどう愛すれば良いのか。私は何を欲望するのか。欲望の生の中のどこに暴力が存在するのか。ジェンダーを固定化することなく考えるにはどうしたら良いのか。

私たちは、暴力の歴史を負う地域や世界の中でどのように生きていくのか、またその一方で、暴力の歴史の遺産をどのように乗り越えて、暴力の誘惑にいかにして抗っていくのか。想像力の中に、つまり想像力としての理論の中に見出されるべき希望とはどのようなものなのか。私たちはどのように生きて、どのように死んでいくのか。私たちは和子さんを失いました。けれども、彼女の問いは残ったままです。それらはいまや私たちの問いなのです。

あの茶目っ気と彼女の笑いは、そして彼女の思想は、私たちを導く光として変わることなく残り続けるでしょう。私たちとともに。私たちの中に。

(日本語訳:山口菜穂子)

*「追悼」は、2012年3月11日東京・千代田区如水会館で行われた「竹村和子さん追悼の会」に寄せられました。ご本人と翻訳者の承諾を得て転載させていただきます。

原文は、こちらをどうぞ http://worldwide-wan.blogspot.jp/2012/09/eulogies-to-kazuko-takemura-5-judith.html








カテゴリー:竹村和子さんへの想い

タグ:フェミニズム / 竹村和子 / ジュディス・バトラー / 追悼