
らいてうから受け継ぐもの
平塚らいてうは、雑誌『青鞜』の創始者として、また与謝野晶子らとの間で繰り広げられた母性保護論争の当事者として、戦前の女性解放運動を語る上で欠くことのできない人です。一方で戦中から戦後への歴史の中で何を思い、また行動したのかについてはそれほど注目されてはこなかったように思います。
米田佐代子さんの新著『平塚らいてうと現代』は、らいてうの戦争体験と戦後の平和運動への取り組みに焦点を当て、「ただ戦争だけが敵」という絶対的な平和思想に至る過程を明らかにし、その平和思想を中核に据えて、らいてうのフェミニズム思想の本質をとらえかえそうとする、極めて現代的課題意識に貫かれた一冊です。
「疎開」という経験
まず、らいてうは先の戦争中に、“危うさをからくも回避”するために「疎開」という選択をしたという米田さんの指摘をとても興味深く読みました。
ロシア文学研究者の奈倉有里さんは『文化の脱走兵』(講談社)のあとがきで、ロシアの詩人エセーニンに触れ、「文化とは、根本的なことをいえば人と人がわかりあうために紡ぎだされてきた様式のことです。戦争は、この「文化」を一瞬にして崩壊させてしまいます。のみならず、それまで人と人をつなぐ役割を担ってきた文化が、凶悪にパロディ化されて戦争の宣伝に使われるようにもなります。そんなときに文化の担い手ができることはただ、「ロシアいちばんの脱走兵になった」と誇り、「僕は詩でしか闘わない」と表明したエセーニンのように、武器を捨て、文化の本来の役割を大切に抱えたまま、どこまでも逃げることだけです。」と述べておられます。
エセーニンのような強固な意志をもった逃亡ではありませんが、ともかくも逃げおおせたという安堵感が,らいていの戦後の一歩をうながす力になったのではないでしょうか。
“母性”と“平和”
らいてうの平和思想の根っこには母性主義があります。「母性」という言葉は、それを女性の本質ととらえその役割の中に強く縛り付ける、呪いの言葉にもなるものです。
しかし近年中村佑子さんが、性別を超えて“他者”をケアするものとして「マザリング」という言葉を提唱されました。「マザリング」とは、性別を超え、ケアが必要な存在に手をさしのべることだそうです。「母」を社会的、政治的役割から解放してあげたとき、「母」とは非常にラディカルな概念であるのではないか、それは男性のなかにも、子どもにも、少女にも老いた女性にも、あるはずだと思う、とも述べておられます。(中村佑子『マザリング』集英社文庫)
また、岡野八代さんは、「人間がその生を編み込む関係性に注視することで、ケアの倫理は、物理的な暴力、とりわけ規模においても、時間的な影響力においても、想像を超える甚大な被害を与える国家暴力に対峙する、新しいアプローチを提示している。」と、暴力に対抗する原理としての「ケア」を提示されました。(岡野八代『ケアの倫理と平和の構想』岩波現代文庫)
らいてうの母性主義を、ケアする主体としての母性=「マザリング」としてとらえなおし、ケアを中心に据えて考えると、母性主義が普遍的な平和思想へと導かれる必然性がみえるのではないか、この本はそんな思考の広がりを与えてくれる一冊でもありました。
ガザでのジェノサイドを止められず、「男性支配型原理」の究極の形である戦争という絶対悪によって多くの命が奪われている今こそ、らいてうが獲得した「ただ戦争だけが敵」という平和思想を現代の私たちがどう受け継いでいくのか、この本を読みつつ考えていきたいと思います。
書誌データ
書名 :平塚らいてうと現代
著者 :米田佐代子
頁数 :210頁
刊行日:2025/03/10
出版社:吉川弘文館
定価 :2970円(税込)
