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リレーエッセイ 鳥集あすか
2014.04.04 Fri
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前回の寄稿者である堀さん曰く、ヤマシタトモコの『ひばりの朝』は「さまざまな登場人物が主人公の女子中学生・日波里(ひばり)について語る」作品だという。
一人の人物について複数の人間が「語る」作品にハズレはない。
とある人物が様々な視点から描かれ、当初思いもよらなかった姿が、ストーリーが進むにつれ、次第に明らかになっていく。語られる人物(たいてい既に亡くなっていて、物語には姿を現さないのがセオリー)の様々な側面を私たちは知ることになるが、それらを統合する視点は最後まで決して得られない。考えてみれば、それは当たり前の話で、誰かを一つの視点だけで語りつくすのは不可能に決まっている。
多角的な視点から語られる作品は面白い。
例えば、岡崎京子の『チワワちゃん』。東京湾で発見されたバラバラ死体が友人の「チワワちゃん」であることを知った語り手ミキが、「チワワちゃん」の生前を知る友人たちから「チワワちゃん」の思い出話を聞いて回る。しかし、聞けば聞くほどに「チワワちゃん」の輪郭は曖昧になっていく。
有吉佐和子の『悪女について』も、同じような構造で描かれている。謎の死を遂げた女性実業家にして大富豪の「富小路公子」について、「公子」の周囲の人間たちの語りを通して描かれる。冒頭では素晴らしい美貌と才能の持ち主として語られていたはずの公子だが、次第に思いもよらぬ姿を浮かび上がらせていく。
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そして最後には、誰一人として「チワワちゃん」や「公子」のことを理解していなかったことが明らかになるのだ。「チワワちゃん」は、死体と同じようにバラバラな証言が残され、「公子」の死は謎のまま。
このような目線にハッと気づかされた時、私は誰かのことをちゃんと見つめられているかが不安になる。100%理解することは叶わなくても、せめて追いかけ続けていきたい。死後に軌跡を拾うようにして「語られた姿」を集めるのではなく、自分の目で追いかけていきたい。
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2010年度のBWAN的オススメマンガを選ぶ際に、私はヤマシタトモコの名を挙げたのだが、実は私、『ひばりの朝』を未だ読んだことがない。そのことを、私は今更ながら後悔している。なんとなく、本当にただ何となく帯を読んで、「塩田明彦の『害虫』(2002年公開の映画)みたいな話なのだろうなあ」と勝手に判断し、手を出すのをためらっていたのだ。堀さんがお書きになった紹介文を読み終わった瞬間、私はすかさず、アマゾンで購入ボタンを押した。本が届くのが楽しみでならない。
カテゴリー:リレー・エッセイ
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