2014.06.25 Wed
アマゾンのサーバでエラーが起こっているかもしれません。一度ページを再読み込みしてみてください. わたしが初めて、ナヌムの家で共同生活をされているハルモニの証言を聞いたのは、もう10年ほど前になると記憶している。証言を語ってくれたのは、故金順徳(キム・スンドク)ハルモニだった。白いチョゴリに身を包んだ、スンドクさんが、最後に「こんな話を聞いてくれて、ありがとう」とおっしゃられたとき、それまでこらえてきた涙があふれ出したことは、今でも鮮明に覚えている。スンドクさんは、証言をされる間は、こちらが緊張するくらいお静かで、ゆっくりと話されていたと思う。その静かさが、かえってスンドクさんの幾重にも重ねられてきた記憶を呼び起こすたびに自らに課すであろう、さまざまな力や情感を伝えていた。
また、その後スンドクさんの描かれた絵を本を通じて見ることができた。絹糸を使って描かれた「咲ききれなかった花」(ナヌムの家/日本軍「慰安婦」歴史館所蔵)は、悲しく美しすぎて、是非多くの人に見ていただきたいハルモニたちの絵の一つである。スンドクさんの絵のタイトルが付けられた、ナヌムの家 日本軍「慰安婦」歴史館ほか編『咲ききれなかった花』(2000年)では、スンドクさんの絵は、他のハルモニに比べて幼い頃を表現したものが多いがなぜか?という問いに対して、「私はそうして生きてきたから、生きてきた家庭を描いたまでで、、、村で暮らしてた時に牛も引いて回ったし、山に入って山菜も採ってきたし、キノコも採って、、、、日本にみんな供出したんです」と答えられている。その言葉を思うと、「咲ききれなかった花」の花の美しさがいっそう、辛いほどに美しい。
その後、わたしは2004年12月に、在日米軍のヘリコプターが墜落し、まだ事故の現場が生々しく残された沖縄国際大学で、李玉善(イ・オクソン)ハルモニの話を聞く機会をもつことができた。オクソンさんは、笑い顔が印象的で、〈こんなに暖かなところに招待してくれて、ありがとう〉とさえおっしゃっられ、わたしたちに笑いを誘ってくれた。オクソンさんの発言でやはり忘れられないのは、〈あなたたちだけに、日本政府に訴える力がある〉と語られたことだ。オクソンさんの証言は、わたしのなかに、自分自身の課題として残っており、日本軍「慰安婦」問題は、わたしにとって日本における民主主義とは何か、を考えるさいの一つの道標となっているといっても過言ではない。
さて、今年も各地で証言集会が開催される予定だと聞いている。現在、主催者の了解を得て、開催場所・日時をこうしてお知らせできるのは、豊中市での証言集会のみだが、多くの人がこうした機会に自らを、日本軍制奴隷制度の被害者たちの証言に晒してほしい。わたしにとって、それは、突きさされるような経験だが、その経験から湧きあがってくる彼女たちに応えないといけない、という気持ちから、わたしに今できること、そしてなさねばならないことが見えてくる。証言を聞く、という経験は、自らを含め、自分が所属するこの社会そのものを照らしだしてくれるだろう、と考えている。