2014.08.14 Thu
アマゾンのサーバでエラーが起こっているかもしれません。一度ページを再読み込みしてみてください.初読刑事:弁護士の書いた小説じゃないですか!
再読刑事:ベルリンが舞台の、犯罪にまつわる十一の短編集。作者シーラッハは刑事事件の高名な弁護士だが、作品じたいはドイツで文学賞を三冠獲得のベストセラーだぞ。
初:高尚というかなんというか、僕ら刑事ですよ? 先輩は被告人贔屓の情操教育でもしたいんですか。
再:タイトルは『犯罪』だが、犯罪小説というよりは、犯罪と、その判決が下るまでの様子を弁護士の視点からスケッチした司法小説だ。スリルがなくてがっかりしたか?
初:スリルというのでもなく、たとえば冒頭の一篇。
再:長年連れ添った妻を殺害した老人「フェーナー氏」。
初:フェーナ氏は人望厚い町医者で、浮気ひとつせず妻を裏切らなかったが、妻は教育レベルも低く、夫を日夜口汚く罵り続け近所の評判も悪かった。弁護士はこうした対比を語りおえ、〈参審員のひとりがうなずくのを見て、私は席についた〉。弁論としては効果的だろうが、殺された妻がうかばれません。彼女は夫に地下室に呼ばれ、斧を十七回振り下ろして殺されたんです。
再:妻の、〈また客室の窓を閉め忘れたね。まったく間抜けなんだから〉という毎度のイヤミに、七十二歳にして初めて四十年分の鬱屈を噴出させたんだ。検察は〈被告人には離婚するという選択肢もあったはず〉と禁固八年を求刑したが、四角四面のフェーナ氏は、殺害の瞬間まで、妻にどんな仕打ちをうけようと、自分は妻を愛していると信じていた。
初:判決は結局、懲役三年。でも夜は刑務所で過ごすが、日中は就業を条件に自由行動が許されるという開放処遇をうけることになる。
再:町医者として人望も厚く、再犯可能性も考えにくい高齢者だからな。
初:問題はそのあとです。フェーナ氏は、解放処遇で果実販売業者に転職し、弁護士に木箱でリンゴを送る。このリンゴが鬱陶しいんだ。原罪の象徴リンゴが11の短編どれにも必ず登場する。
再:木箱のリンゴ、シロップがけのリンゴ、トラックから落ちるリンゴ、リンゴ色のシャツ…。
初:どうにもこうにも説教くさい。犯罪者ならずとも人はみな罪人で人に人は裁けない、ですか? ア~哀しいねェ~哀しいね~♪ こうリンゴばかり転がるならリンゴ殺人事件ですよ。
再:やけに古いのをもってきたなぁ。だが、著者が軸足を置くドイツの司法は、宗教的な期待から冷静に背を向けている。〈刑事裁判では最近、証人に義務付けられていた宣誓が廃止された。宣誓はとうの昔に信頼されていなかった〉、とある。
初:原罪の象徴とは違うと…?
再:巻末に〈これはリンゴではない〉と付けてもいる。
初:ルネ・マグリットの、リンゴの絵につけたキャプションの引用ですね。
再:「リンゴ」そのものはリンゴの絵やコトバと異なる存在だ。同じように、「犯罪」も、事後的な証拠や証言のよせあつめで「犯罪」そのものではありえない。この小説も勿論「犯罪」そのものではない。
初:シュウキョウではなくテツガクのリンゴか。時折みょうに難解になると思ったらテツガク小説なのか。だから地の文でときおり〈刑事事件というのは解答不能の問題と同じ〉、〈議論すべきなのは法哲学上の問題なのだ〉なんて講釈が始まるんですね。あたまをつかう小説だなぁ。
再:わかりにくいのはそればかりではない。小説で描かれる司法の大前提がわれわれと違うのだ。〈アメリカやイギリスとちがって、ドイツの検察は中立の立場を取る。客観的で、被告人に有利に働くことも調査する。だから勝訴することも、敗訴することもない〉。日本でおなじみの、検察vs弁護士、裁判をめぐる勝った敗けたという構図がここにはないのだ。
初:なるほど。だからどうも現実味がないというか、妙に淡泊で起伏に乏しく感じるんですね。
再:〈被告人は無罪であるかどうか、自白が正しいかどうか、なにひとつ証明する必要がないという点で有利だ〉、なんてサラっと書かれても呑み込めないだろう?
初:もちろんサラっと読み飛ばしました。おなじ地球にそんな国あるんですかね~。
再:俺もそう思う。が、黒電話しか知らない人間がスマートフォンでのやりとりを聞いてもピンとこないようなもので、司法制度がガラパゴス云々いわれる、あれだ。ドイツでは神への宣誓などやめたというが、日本は「ウソをつきません」というお題目をとりあえず続けていくだろう。
初:俺らってけっこう、哀しいね~哀しいね~♪、ですね。
再:いやいや。「フェーナー氏」の夫と妻を取り換えるとだ。離婚しないまま夫婦を続けた樹木希林が、思い余って内田裕也を‥と考えると―。
初:やっぱり、懲役三年の執行猶予つきかな。
再:黒電話で用が足りることも多い。
(杵渕里果)
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