2015.07.06 Mon
アマゾンのサーバでエラーが起こっているかもしれません。一度ページを再読み込みしてみてください.「ムスリム女性」にどんなイメージを我々(とりあえず、日本語を読むフェミに関心のある女性を「我々」と呼ぶ)は持っているだろうか?ヴェールを被る/被らされている?女性差別的な宗教を信じる、遅れた世界の受け身な女たち?家父長制による抑圧?
イスラーム世界の女性は現地の男性に虐げられている、という言説は日本でも人口に膾炙している。このような「まなざし」はジェンダー・オリエンタリズムといわれる。イスラームとジェンダーの研究者である著者は、本当にうんざりする位、この手のまなざしに日常的に出会う。しかしこのまなざしは、ムスリム女性の実態を知るうえで、明らかな障害である。
そもそも、ムスリム女性ってどんな人たち? 彼女たちにとって、ムスリムであることはどんな意味を持っているの?
そんな「素朴なギモン」に答えるべく、エジプトでムスリム女性たちと共に暮らし、女性説教師が主催する女性のためのイスラームの勉強会に出たり、彼女達がウラマー(イスラーム法学者)に電話で寄せた悩み相談を聞きまくった結果、本書ができた。
理論的には、エジプトのムスリム女性達の宗教実践を描くことを通じて、文化人類学、ジェンダー学、宗教学を相互補完的につなぐ理論枠組の構築をめざした。本書を書くときには、彼女らの多様な声をできるだけそのまま拾うよう、そして我々の理解できる枠組みに彼女達の声を回収、または翻訳してしまわないよう、心がけた。
「私がバカロレアに失敗したのは、ヴェールを被ってなかったからですか?」「ラマダン中にメッカへ小巡礼に行きたいんですが、子供を置いて小巡礼に行ってもいいでしょうか」「夫が生活費をくれません」「夫が礼拝しません」「夫が、私に母と出かけちゃダメだって言うんです」。
実に1319本の電話相談を筆者は聞いた。ムスリム女性たちの悩みから、彼女達の日常世界や、エジプトのジェンダー規範が浮かびあがる。男性ウラマーの回答(これをファトワーという。信徒の質問に答えてイスラーム法学者が都度出す法的見解)も併せて読んでほしい。そこに、ムスリム女性たちのたくさんの、そして多様な姿が、きっと見つかるはずだ。得た回答(ファトワー)を「イスラームではこう定めている。ウラマーがこう言っている!」と、お墨付きとして使って家族や夫と交渉する、たくましくしたたかな女性がいる。息子の性的不品行に悩む母がいる。恋に悩む女性も、母の介護を兄弟に押し付けられた女性も、夫と実母の仲が悪いことに悩む女性もいる。
ムスリム女性の日常生活の悩みやその解決法は、我々とどんなふうに似ていて、どんなふうに違うのか。わが身と引き比べて読むのもまた楽しいかもしれない。
最後に目次を紹介して終わりたい。
目次
第1章 はじめに――ジェンダー・オリエンタリズムの向こうで
第2章 日々、イスラーム言説を使う――女性説教師の活動
第3章 多元的法秩序としてのシャリーアとファトワー
第4章 日々、ファトワーを使う――生活の中のイスラーム言説
第5章 ファトワーにみるジェンダー意識と法文化――婚姻と姦通を中心に
第6章 差異は恵みである――イスラームと生きるということ
ちなみに表紙は、魔除けに効果があるとされるクルアーンの113章(Surat Al-Falaq)をあしらったオーナメントである。中東地域には、クルアーンの一節が記されたクルアーン・グッズを、邪視除けや安全祈願などのために家や車に飾る習慣がある。(著者 嶺崎寛子)
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