2015.09.29 Tue
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「女の子」という語の不思議さはそのあいまいさにあります。生まれたての女の赤ん坊から、20歳をとうに過ぎた女性まで「女の子」で表すことが可能です。またいろいろと調べてみると「男の子」は人間(=成人男性)に成長していく過程の一時期とみなされているようなのですが、「女の子」は成長を期待されていない未婚(処女)という状態を指していた(いる)ようです。この「女の子」という語、ずっと気になっていました。
本書は「女の子」という概念にこだわって、ワイマール共和国時代(1919-1933)の女性作家による文学を考察したものです。マスメディアが急速に発展し、文学が民主化あるいは大衆化するなか、ワイマール時代には女性作家が急増し、彼女たちによって「女の子」が主人公とした作品が数多く書かれます。この時代のドイツでは、OLも女学生もレヴューダンサーも、「女の子」(Mädchen)と呼ばれていました。彼女たちは時代のヒロイン、「新しい女」と呼ばれるモダンガールのイメージとも重ね合わされ、がぜん注目を浴びます。このとき「女の子」という語は、かならずしも従来の意味ではなく、むしろ伝統的な女性のあり方への異議申し立てとして用いられています
『「女の子」という運動』では、当時のモダンガールの典型とされた速記タイピストの主人公や、マスメディアの発展とともに誕生したドイツ初のスター女性作家、女性ジャーナリスト、「女の子」であることを渡世術と割りきるしたたかな主人公が取りあげられます。またその一方で「女の子」という制度から抜け出せずにいる極端な「女の子」像、それを突き抜けた新しいヒロインも登場します。
モダンガールや「女の子」やフェミニズムに興味があれば、ドイツ文学を知らない方にもきっと楽しんでいただけると思います。かならずや新しい発見があると思います。図版も充実しています。
またドイツ文学を志す方には、参考書として使えるよう、詳細な文献表も添えました。女性作家にばかり関心のあるわたしのような方がいるかどうかはともかくとして、とにかくワイマール共和国時代の女性作家を、その背景も含めてきちんと紹介したい、というのがわたしの長年の願いでもありました。
なおこの本の上梓にあわせて、その他のワイマール共和国時代の女性作家の作品、彼女たちのその後の作品などについて情報発信するために、以下のブログを始めました。ご関心のある方はお読みいただけるとうれしいです。
「わたしの女友だち、ドイツ語の本、日本語の本」http://buecher2015.blog.fc2.com/
最後に矢萩多聞さんがデザインされた装丁について一言。ピンクのタイプライターはこの本のテーマにぴったりで、とても気に入っています。それからカヴァーを外したところのタイプの文字も素敵なので、ぜひこちらもあわせてご覧ください。(田丸理砂)
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