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「楽しいだけじゃない」関西クィア映画祭レポート 青山薫
2010.09.29 Wed
9月3日から9月5日と10日から12日の二回の週末、「関西クィア映画祭2010」が開かれた。5回目を迎えたこの映画祭、「『性』とそれに関わる『暮らし・生き方』をテーマに」、同性愛に留まらず「トランスジェンダーやバイセクシュアル、インターセックスなどを扱った映画を日本で最も多く上映して来た映画祭」。今年も主催者の宣伝にたがわず、「世界の映画祭での受賞歴もある大作から草の根ラディカルなインディペンダント映画まで、淡い恋愛ものから社会運動系まで、メジャーからマイナーまで、幅広く様々な傾向のプログラムを用意」していた。
(映画祭ウェブ:http://kansai-qff.org/2010/j/kqff.html)
いつもと違ったのは2都市・2会場で開催したこと。そしてこの試みが、関西クィア映画祭のジレンマと魅力を同時に表していた。
いつもの会場大阪HEP HALLは、梅田の駅近繁華街ど真ん中。買い物好きの大阪人なら知らない人はいないだろうファッションビルのてっぺんにある。
私のクィア系映画祭デヴューは、1990年代のなかばの最初のころの東京レズビアン(&ゲイ、って付いてたっけ?)映画祭。ドキドキしながら誰にも言わずに見に行った。確か南青山のどこか、つまり、けっこうクールなはずのその場所で、会場の暗さ、狭すぎるエレベーターに乗り合わせた観客同士のバツの悪そうな雰囲気にがっかりしていらい、日本では恥ずかしいからクィア系映画祭に行かないでいた。若かったのね~――っていうか、やっぱり90年代までは、性的マイノリティは日蔭者だったのだ。私自身も30余年の前半生をつうじて無自覚だった「それ」に「なって」――鈍感だったのね~――からすぐだったし、「それ」は公に語ることがはばかられるイシューだった。だから、最初の映画祭なんかを企画した人たちはほんとにすごいと思う。でもただこれを見に行くだけの観客の方は、まだ心の準備があまりできてなかったんだと思う。
HEPHALLは大違い。(そして、東京ではいま、「国際レズビアン・ゲイ映画祭」が南青山のスパイラルホールに加えて、新宿3丁目のバルト9という一般映画館でも開かれている。)時代は変わった! って言ったら、「オマエは甘い! 性的マイノリティは今でも学校でいぢめられてる。カムアウトせず/できずにひっそりと毎日を生き延びるか、アウトで生きることに対する向かい風を避けるのに精いっぱい。都会かネット上でなければ頼れる『コミュニティ』も存在しない。辛い人もたくさんいる」と反論が返ってくるだろう。それは、そのとおり、だろう。だけど、だからこそ、どんなノンケ(「ヘテロセクシュアル」の「業界」用語)でも、何も考えてない人でも、知らない人でも、アウトじゃない人でも、何かのついでに、ついでのフリして、立ち寄れる、誰にでも開かれた(※多少のお金があれば、という条件はまた別の大きなイシューだが、ちょっとここではつっこむゆとりがない)、トレンドを追ってたくさんの人が集まる大都会、そういう「メジャーな」場所でクィアな映画祭をすることに意味がある。明るければいい、ってもんではないが、その場所に物理的に「日蔭者」感がないということは、そこにいる人たちの意識にも影響するはずだ。
しかしこの点、やはり議論の分かれるところらしい。実行委員会の中心人物自身がぼやく。「メインストリーム化するとスポンサーだって必要。商業劇場だとなかなかやりたいことできないのよぉ!」って。それが、今年のキャッチフレーズのひとつ「楽しいだけじゃない」クィア映画祭にもつながっているのだろう。
この映画祭、もともと「ジェンダーフリーじゃものたりない?!」、「『パレスチナではレズビアンが殺されている』にどう答えるか――イスラエルによる占領にも、ホモフォビア(同性関係嫌悪)にも、反対するために」など、心安らかでいられないテーマの企画を組みこんできた。今年はとくにアジアの作品を多く紹介し、あえて「性的」ではなく「民族的」マイノリティがテーマの、朝鮮学校のおかれている状況を撮ったドキュメンタリー「ウリ・ハッキョ(私たちの学校)」(キム・ミョンジュン監督)を上映していた。実行委員会がそれを上映する第二の会場として選んだのが、京大西部講堂。1969年から現在まで、学生運動の、ロックの、学生自治の拠点としての名実を維持している殿堂である。この場にふさわしく、もう一つの目玉のオールナイト上映、ごろごろ寝転がって、ビールを飲みながら参加できる「やりたいこと」の実現は好評だった。
かっこいい。けど、これを続けるのは実際にはたいへんなこと。「クィア」の考え方はそもそも秩序も、人の心も乱すもの。「レズビアン・ゲイ」だけでないマイノリティの視点から、「同性愛」さえも問題にする。性的マイノリティのなかのマジョリティとして、知らず知らずのうちにマイノリティのなかのマイノリティを抑圧している、と。だからクィア映画祭も、メインストリームでの自分たちの「成功」を手放しで喜びはしない。「R18指定」どころか日本の映倫基準がつうじなさそうな上映作品も多いから、「主催者パクられたら救援対策してあげよーね… でも私もクビかなぁ…」って悪いジョークにもならないサヨクカブレ・ジョークが飛び交っている。
しかし、ボランティア実行委員に支えられた「手作り」の映画祭。たとえば、プロにも大変な作業である翻訳字幕の用意も協力者が担い、かつ質も高い。もっともっとメジャーで評価されたい人、したい人もなかにはいるだろうし、そうすることでこそ、支持者も観客も増えると思う人もたくさんいるだろう。HEP HALLと西部講堂の両立は、理念的にも人的にも一筋縄ではいかないのではないか。今年、2週末の観客動員数は1000人。あいかわらずすごい。けど、前年よりも数百人少なく、減ったのは大阪の客という。はたから見ていても「あれ?」と思った宣伝の薄さが響いたかたち。人が多く来ればいい、ってもんでもないだろうが、ジレンマわかるだけに心配になる。
私自身は、今年はセックスワーカーと支援者の団体SWASHのメンバーとして、『アニー・スプリンクルのポルノの歴史』上演後のトークに登壇させてもった。人気ポルノ女優を30年続け、制作者にもなったアニーが繰り出す「ポルノの歴史」は、彼女自身がバイセクシュアルの、そして女性の視点を獲得していく過程を、出演フィルムをとおして生々しく、かつコミカルに描いてとにかく圧巻。そして、SWASHが報告するウィーンのAIDS会議、ラスベガスのセックスワーカー会議、キューバの性的マイノリティの現状など、この夏の国際SW連帯運動現場ツアー報告も、ほかでは得られない貴重な情報共有の機会だったと思う。これができる場は、クィア映画祭以外には日本ではあまりない。マイナー会場、メジャー会場の両方で、それが続いていくように応援していきたいと思っている。みなさんも応援してください!
(あおやまかおる・性労働、移住労働研究者・kaoru*jca.apc.org)
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