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い~ぶん学舎主催 平等こそ未来を拓く 岡野八代さん講演会 早田リツ子
2011.02.21 Mon
平等こそ未来を拓く―家族における/家族のもつ自由の可能性を考える
2011年2月16日 講師 岡野八代さん
早田 リツ子
“い~ぶんセミナー”は少人数の学習会ですが、回を重ねて早くも7年目(最近は年1回)。ほとんどの回の講師を岡野八代さんにお願いし、その年毎の激動する政治経済状況をバックにした熱い講義を聴いてきました。毎回「う~ん難しい!」とか言いながら、今年もまたホットな講義を聴くことができました。講師も(多分?)受講者も、時間切れを惜しみながらの終了となりました。
今回のテーマ設定には次のような事情があります。草津市は2009年4月に「男女共同参画推進条例」を施行しました。この条例の最も先進的な部分は、基本理念の一つに「家族の構成は多様であり、それぞれの生活が尊重されること」を掲げている点にあります。すでに私たちが日常的に目にしている家族の構成はさまざまで、夫婦別姓の家族も当然その一部です。多様性を理解し尊重しあうという理念を含む条例案は、<全会一致>で議会を通り成立しました。
ところが昨年の9月議会で、「選択的夫婦別姓を認める民法の一部改正」に対して慎重な対応を求める「意見書」が採択されたのです。全会一致で条例を通した議会で、市民への周知もなく充分な議論もなく…! 条例そっちのけの採択に唖然としました。
というわけで、今一度の「家族って何?」だったのです。講師の岡野さんから見れば親世代に近い私たちは、「性別役割分業」システムに乗せられて高度経済成長時代を駆け抜けてきました。しかしその過程でフェミニズムに出あい、家族が女性の「個」を抑圧する「制度」であることに気づきます。そこから思い切りよく飛び立つ人もいましたが、抑圧の根を理解し「自由」を求める自己と、家族の営みが持つ深い意味に引き裂かれつつ、他に託しようもない肩の荷物を「あえて」背負い直した女たちもいたのです。ひとつの覚醒を経た生き方、と私は考えてきました。
けれどそのような内面の葛藤や問い直しは外には見えず、結果的に旧制度を補強するものと見なされて排除されてきたように思います。確かにそのころ、女たちが担ってきたケア役割自体の重要性を声高に言うことは、「ほらね、大事でしょ?」とばかりに再び女たちを旧来型の「家族のお世話係」に押し戻してしまう危険がありました。先の意見書採択のように、現在でも似たような状況はつづいています。けれども私自身は、周囲の同世代や典型的な悲惨を乗り越えてきた母・祖母世代のためらいがちな声に耳を傾けながら、多くの女たちを排除してしまうフェミニズムのありように、納得しきれないものを感じてきました。
さて講義は①日本軍「慰安婦」問題に関わる宗連玉さんの言葉 ②自分自身の母と祖母の話 ③ゲイ・レズビアンにとっての家族という三つの具体的なエピソードを交えて展開されました。エピソードが語りかけているのは「家族のもつ自由の可能性」ということでしょうか。「画一的な家族イデオロギー」にとらわれるのはもちろん、その対極として「自己決定する主体」にとらわれても、私たちは何か大事なものを失うことになりはしないか? 家族を通して考えなければならないのは、むしろ従来の「自由概念の伝統への批判」ではないかと。とりわけ②で敷衍されているコーネルの『女たちの絆』の引用部分には心ひかれます。(この本とエヴァ・キテイ『愛の労働―』 を読んだ時、私ははじめてフェミニズムに確たる希望を抱くことができました!)
『女たちの絆』『愛の労働』の情報については、こちらをご覧ください。
http://wan.or.jp/information/index.php/hondana_show?p=6183 http://wan.or.jp/information/index.php/hondana_show?p=278
岡野さんが構想する新たな<家族>は、婚姻中心ではなく「ケア関係」を中心として形成されますが、三つのエピソードから浮かび上がってくる「家族のもつ自由の可能性」とともに、広やかな地平が切り開かれていくような開放感がありました。
また、近代主権国家を支える「自由意志」とは異なる「自由」を胚胎する<家族>、だからこそ国家はそのような「自由」が生まれ出るところとしての家族を制度化して統御してきたのだろう…と。難しいけれど何だかわかると思えるのは、女たちが引き受けさせられてきた「不自由」から生まれ出るものが、このような在りようではない、何か新しい良きものを模索するという「自由」であることを、私たちが経験的に知っているからかもしれません。
いつの間にか高齢世代に突入しましたが、今回の家族をめぐる深い視点によって、私は自分自身の「来し方」をもう一度「自由」にすることができたと感じています。