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上野千鶴子さん講演 最後までおひとりさまで 中西豊子

2011.08.22 Mon

上野千鶴子さん講演 最後までおひとりさまで フォーラム 「人生の終わり方・その技法と作法――安心の老後を探って」
高齢社会をよくする女性の会・京都主催    7月フォーラム報告

(Ⅰ)
日 時 2011年7月24日
場 所 アスニ―京都
講 師 上野千鶴子氏(NPO法人WAN理事長・社会学者)・西村周三氏(国立社会保障・人口問題研究所所長)

暑い京都の夏の盛り、200人余りの聴衆で、会場は満杯状態。 人類が始まって以来といわれる超高齢社会の今、考えておきたい人生の終わり方。今回は経済学と社会学の最前線を走っておられるお二人の初めての御顔合わせ。長くなった人生の終りをどうするのか、示唆に富むお話です。

最期までおひとりさまで 上野千鶴子

理想のケアとは
「理想のケアとは何ですか?」と質問する人がいました。答えはたった一つ、「個別ケア」です。お一人ひとりのお暮らし、生活歴、文脈にあったカスタムメイドの個別ケア、これしかない。この反対が集団ケアです。個別ケアの最低限の条件は、自分の空間が確保できていること。個室があるということで、この対極が雑居部屋です。究極の個室は自分のおうちなので、在宅ケアは施設ケアよりずっとマシ。施設で個室のあるユニットケアがありますが、あれは施設ケアの中で、せめてもお年寄りの個人的なスペースを確保しようという努力から生まれた過渡期の産物であろうと思います。

同じ人たちが集団で集まり、完結すると、これを「施設が全世界になった」という。施設が全世界になった施設の一番の代表格は監獄、その次が強制収容所です。それから高齢者施設です。これを「出口のない家」と呼んだ人がいます。小笠原和彦さんというルポライターが、高齢者施設に住み込んで「ここは死体にならんと出ていけんところや」というので、こう書かれたわけですね。 お年寄りが今、いらっしゃるその場で、そのまんま暮らしを支えて、やがて次第に衰えたら、それを周りが支え抜いて最期、そこでおみとりすればいいじゃないですか。何も足腰立たんようになったからといって病院に担ぎ込むことも施設に担ぎ込むこともないじゃないか。

幸いなことに高齢社会というのは、みんな、ゆっくり死んでいく社会です。突然は死なない。死に方が予測できる社会です。 私は基本のキは、自分の住まい、誰からも出ていけといわれん、誰にも遠慮のいらん、自分の空間、狭くても広くても、それを確保した上でカスタムメイド、オーダーメイドのサービスが外付けでつくこと。それは、比べて選べるし、いやなら取り替えられる。これが基本のキだと。だから、建物とサービスがパッケージになっているものが、増えればいいというのは、誰の安心か、ご家族の安心ですよ。あそこにお母さん、預けておけば、私が安心、ほんとにご本人のためだろうか、とずっと考えてきました。

在宅一人暮らしケアは可能か
はい、ひとり世帯でも可能ですというのが私の実践現場を研究した成果の手応えでございます。次の3点セットがあれば、在宅で、ひとりで死ねる。 ぞの1、24時間対応の訪問介護です。病院にいても、べったり誰かがはべっているわけではありません。夜中に巡回看護師さんが来るだけ。だったら1日、4回でも6回でも、たとえ15分でもいい、巡回で見舞いに来てくださればいい。「上野さん、どうですか」。その次の巡回の時に「上野さん、どうですか。あら、お返事がないわ。あら、息してらっしゃらないわ。まだぬくいけど」。いいじゃありませんか、それで。

たとえば家族と一緒にいたってね、家族が寝ている間、外出している間に亡くなることだってあるんだから、誰かに24時間べったりはべっていただくことはあるまいと。 24時間対応の訪問介護があればいい。そこに医療の介入があればいい。だけども、主役は医者より看護師さんだといいます。いつでも電話で来ていただける。ナースコールを押したって看護師が来るのに5分くらいかかります。これが15分できてもらえると思えば、それでいいんです。お医者は、最期の最期、お亡くなりになった後、死亡診断書を書きにきてくれはったら、それでいいんです。そういうようなシステムさえあれば、何とか死ねる。

これを実践しておられる方が、この日本にいらっしゃいます。 お年寄りの普通の暮らしのその果てにみとりを迎えたい。ホームホスピス「かあさんの家・宮崎」。時々、田舎に行きますと、ちょっと大きめの古い家があるんですが、そこを借り上げて5室、お年寄りの方に地域相場の賃貸価格でサービスはケアステーションから外づけで入れて夜間の見守りをしておられます。これをやっておられるのが市原美穂さん。この方はみとりには、看護師さんの役割が重要だといい、宮崎市域で訪問看護ステーションを種まきして増やす、合計22まで増やしました。訪問看護ステーションの担当するエリアをカバーしてマッピングすると宮崎市内全域を覆うようになりました。「宮崎市内であれば、どちらにお住まいでも自宅で、在宅で死んでいただけます」というお言葉を聞いてまいりました。私のような係累のない女はこう思います。死ぬなら宮崎で(笑い)。

各地の在宅介護の動向調査
そういう実践をやっておられる方が、この日本の各地にいらっしゃるということがわかりました。そのお一人が岐阜市在住の小笠原文雄医師です。このおばあちゃん、93歳、認知症が入っておられます。すきま風の入るあばら家に、おひとり暮らしで、でも持ち家だから、わしゃ、ここを死ぬまで動かんと頑張っておられます。このおばあちゃまを最期まで支えようとしておられる。私は最近、こういう方たちの訪問医療の同行調査をさせていただいております。 在宅医療は大変大事なんですが、これをやってくださるお医者が、そんなにたくさんいらっしゃらない。日本では地域格差が大きいです。病院の勤務医が地域医療をできるとは限らない。医療資源があるかないかということで大きな違いが出てきます。先程の小笠原文雄さんのところには訪問看護ステーションがありまして、このナースたちが主役です。ナースが呼ばれた先から、夜中に小笠原先生のところに電話がかかってきて「先生、たった今、亡くなられました。夜が明けてから死亡診断書を書きにきてください」。これで済むんですね。こういう方たちに取材しますと「最期まで在宅は、100%可能です、今は最末期のがんの痛みのコントロールもできます。できないとしたら、その医者がヤブなだけです」とおっしゃいます。私は食い下がります。「ひとり世帯でもOKですか?」「はい、できます」。その時は暮らしを支え抜く。生きるというのは、食べて、出す、そして清潔を保つ。この3つを支え抜けば、どんなに末期になっても病院にも、施設にも送りこまないで済む。多職種連携のチームケアができれば、ひとり世帯でも支え抜けるとおっしゃいます。

トータル・ライフ・マネージメント 介護保険をおひとりさま仕様にしてもらいたい。家族がいようが、いまいが、家族が同居していようが、いまいが基本のキは、おひとりさまの最期を支え抜く、そこに介護と看護と医療の多職種連携チームで支え抜くことをやっていただきたい。日本には医療保険にすばらしい制度があります。高額医療費の減免制度。このおかげで日本人は高額医療を安心して受けることができる。それと同じように短期集中高額ケア費用の所得に応じた減免制度をつくっていただければいい。支払い能力がある人からはとればいい。ない人には制度をつくればいい。それをやっても、おそらく病院で亡くなっていただくより、施設をもっと増やすより、総量抑制ができようかと思っております。

この時に大事なのは、お年寄りの命と暮らしのマネジメントをすることです。ケアをマネジメントする人のことをケアマネといいます。末期が入るとここに医療が加わる。これを「トータル・ヘルス・マネジメント」と呼ぶ。小笠原先生は必要な人材はトータルヘルスマネジャーだと。こういう人材育成が必要だと乗り出しておられます。これを聞いて、医療と介護だけでも十分ではない。お金、暮らし、家族関係、葬式、死後、遺言の執行、墓にいたるまでもトータルにマネジメントする、これをなんと名付けようかと考え、トータルデスマネジメントとつけようと思ったのですが、あんまりですから、デスはやめて「トータル・ライフ・マネジメント」としようと。 当事者主権を忘れないで 専門家の方に加えて自分の信頼できる知人、友人、親族も入れた上で情報の共有と相互監視をしてもらって、その真ん中に私をおいて、たとえ私が認知症になっても、私の運命は私のいないところで決めないでほしい。これを当事者主権と申します。

認知症というのは認知の障害だが、感情の障害ではないことがわかっている。 自分たちが今住んでいる自宅をインフラとして使って、そこで介護を外づけしていく。そのためにはお年寄りには、老後不安のために一生懸命蓄えてきたお金を、自分の生きている間に、生き金として放出していただく。子どもには残さないということです。親に対する依存から、とことん自立できない子どもたちを育てた親のツケが老後に回ってきます。どんな親子関係を自分がつくってきたかということが、老後の幸不幸を決定する時代になりました。 年金も目減りするだろう。だから自分たちのストックをフロー化する仕組みをつくって、お年寄りの蓄えをお年寄りの幸福のために使うというシステムさえつくれば、次の高齢化の津波は乗り越えられるというのが、私の予測でございますが、この予測が正しいかどうかは、後で専門家に検討していただきます。その次の世代、団塊ジュニアから下の世代の非正規雇用の方たちが、やがて、無年金、低年金の高齢者になり、親のストックもスッカラカンになったその後の日本については、どうぞ私にお聴きにならないでください(笑い)。私のお話はここまでです。 (7月フォーラム続く)

カテゴリー:高齢社会をよくする女性の会・京都

タグ:高齢社会 / 上野千鶴子 / 介護 / 老後 / 認知症 / 中西豊子