2009.05.22 Fri
貧困と非正規が連呼される昨今、女の労働にはやはり焦点が当たらない。非正規なんて女の労働問題そのものだったはずなのに、そこに注目が集まるときには「女」は消されてしまう。男が参入すると、女は見えなくなってしまう。「女だけの問題」ではなくなったとき、はじめてそれは社会問題となり、それと同時に「女の問題」ではなくなる。今多くの女たちが、おかしいと声を挙げている。ようやく見え始めたと思ったらまた再び見えなくなるとはあんまりである。なぜ女の労働は見えないんだろうか?これは少しも新しい問いではない。女たちはずっと以前からこの問いを問うてきたのではなかったか。
「フリーター」の定義に既婚女性が入っていないことに遅ればせながら気づいたのは、2005年の研究会でのことだった。メンバーのひとりが用意した内閣府定義の概念図*を見て、目を疑った。男と女で異なる二重基準が当然のように用いられている。未婚の女が非正規で働くと「フリーター」で、結婚すると、たとえ同じ仕事を続けていても「主婦パート」って、おかしくはないだろうか。
多くの女たちが、この定義はおかしいと声を挙げ始めたが、「フリーター」男性が「若者」とは言えない年齢に達するにつれ、若者限定の「フリーター問題」は一般労働問題の「非正規問題」へと「昇格」したらしく、あまり論じられなくなった。では「非正規問題」として「主婦パート」が取り上げられるかと言えば、そんなことはない。当事者の運動のおかげでようやく多少なりとも見えるようになったのは、今に始まったのではなくずっと以前から貧困に晒される母子世帯の母だけである。学生のアルバイトも既婚女性と同様に排除される。誰かに扶養されるべき「女子ども」の労働は、見えないままである。
では未婚の女の労働は見えているのか?この定義によると彼女らにとっての「フリーター離脱」とは、正規職への就職だけでなく、結婚でもある。たとえ相手がフリーターか無職であっても、結婚とは扶養者を得たことになる。「主婦パート」も同様である。たとえ病気の夫を養っていても、「主婦」とみなされることは主たる生計の担い手ではなく、一人前を稼ぐ必要のない存在とされることを意味するのである。
主たる生計の担い手こそが「労働者」であり、それは男性世帯主を標準としている。非正規労働とは、被扶養者とみなされるがゆえにまともに支払い処遇する必要のない存在とされた者の、見えない労働者の働き方である。「主婦パート」とは、家事育児介護などの世帯の中の見えない労働も担う、「働く被扶養者」ワーキング・ディペンデント(!)である。主婦と「働く女」の区別ではなく、連続性をこそ見なければならない。非正規労働の土台は、既婚女性のアンダーペイド+アンペイドの見えない労働なのである。
* 平成15年版国民生活白書より
http://www5.cao.go.jp/seikatsu/whitepaper/h15/honbun/html/15230000.html
「学業や育児などの傍ら、自ら選んでパート・アルバイト、派遣労働等に就く場合が多い『学生のアルバイト』や『主婦のパート』の議論と区別するためである」と解説されている。「自ら選んで」というところが大いに問題である。
* 写真は1974年3月8日国際女性デーのポスター(イタリア)。「家事労働に賃金を」のスローガンが記されている。
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