NPO法人WAN

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今、なぜWANなのか? 中西 豊子

2009.05.30 Sat

 「千鶴子さん、どう思う?」私が初めて上野千鶴子さんに女性のポータルサイトの話しをしたのは2007年秋だった。彼女が講演のために京都へ来るというので、内輪でお食事会をしたとき「ネット上に女性の情報と活動を繋ぐサイトが必要」と話し始めた私の言葉に熱心に耳を傾け、しまいには、そこにあった箸紙の裏に図を描いて「こんな風に女のネットが繋がるわけね」と深く頷いてくれた。 私が30年近く前、京都で日本初のウイメンズブックストアを始めた頃、全国に女性運動はリブ・グループも含めて沢山あったのだが、女性情報なんて言葉もなく、女の情報そのものが届きにくかった。そこでミニコミを集めて運動体の情報を繋いでいた。今はウエブの時代、HPを持っている団体も多いが、女性のポータルサイトがあれば、互いにより大きな力になるはずだ。
 そしにいま、若い人たちの間で、フェミニズムに対する誤解が広がっているような気がしてならない。等身大のフェミニズムをきちっと伝えたいし、伝えておかなければ、頑張ってきた先人たちに申し訳ないと私は心から思う。女性学も始まってから五十年も経て沢山の蓄積があるというのに、一部の人しか知らないのではいかにも残念なことだし。今、次の世代に伝えるのにツールは何かといえば、それはIT!
 女性の総合的なポータルサイトが必要だと私が思い始めたのは、数年前からだ。「ウイメンズブックストアゆう」のHPを発展的に総合的なサイトにできないだろうかと、代表の森屋裕子さんとああでもないこうでもないと何度も話し合ったものだ。しかし、総合ポータルサイトを立ち上げ、運営するというのは、構想から、内容、書き手、サイトの管理、管理運営費用等々と膨大で、すべてを解決する妙案が出てこなかった。
 あるとき、飲み仲間(と言ったら叱られるかも知れないが、これが最強の仲間だった!)のメンバーに話してみると、いろんなアイディアが出てきて、構想が少しずつ膨らんで行ったのだ。
 2008年のお正月、牟田和恵さん宅に集まったメンバー十余人がコアのメンバーとなって、このプロジェクトを進めていくことになった。実を言うと喧々諤々の末、構想は何度も紆余曲折したのだが。
折しも、橋下大阪府知事が誕生して「大阪府立女性総合センター(ドーンセンター)」を無くすという話が持ち上がった。大阪の女性たちの動きは素早く、あっという間に「すきやねんドーンセンターの会」が立ち上がり、署名活動、パレード、記者会見など連日運動が繰り広げられた。その結果ドーンセンターは少なくとも形は残った。
 しかしこの橋下府政の方針が、ドーンセンターに店舗を持つ「ウイメンズブックストアゆう」には将来設計が立ちにくい状況をもたらし打撃を与えた。上野さんはじめ長年に亘ってウイメンズブックストアを応援してくれた友人たちと共に「ウイメンズブックストア」を残そうと、新店舗のことなども含め本気で考えたが、結果的には最良の方法が見つけられずに断念、今年2月再開の含みをもたせて「ゆう」は店舗を閉じることになった。
 前からの懸案であったウエブ上の女の本屋が、なお一層必要性を増すことになってきた。新しいウエブ上の店、「ブックストアWAN」の店長は岡野八代さん。20代30代中心の若々しいブックストアWANの誕生だ。
 いよいよサイトを立ち上げると決まった昨年11月からの皆の動きは素早かった。
 2009年に入ると、運営母体となるNPO法人の申請、ウエブ構想の具体化、内容の検討、デザインの検討、事務所の決定、設備(ほとんどの什器備品は仲間からの寄付だ)、ウエブマスターなど人材の確保、外部の技術者との折衝、広報活動などなどだ。
上野さんと牟田さんは、北海道から九州まで各地でこのサイトの説明会を開き、直接説明やお誘いをするなどして全国規模で賛同者(呼びかけ人)を増やしていった。メンバーもそれぞれ行く先々で、サイトの説明やお誘いをして、今では呼びかけ人は200人以上にもなった。
 NPO法人WANでは、牟田理事長はじめ実働できる人だけで理事を構成している。牟田さんの働きぶりは大変なもので24時間体制といえるほどだった。それぞれの役割分担で活動する理事たち、そして有能なウエブマスター遠藤さんの参入、同時進行でこなすチーム力等々で、このように短期間でサイト立ち上げまで進めることができた。今後、内容をどう発展させていけるか、このサイトにアクセスしていただく皆様にお力を頂きながら進むことになろう。
 なぜ今WANなのか? 皆さんが、ウエブ上に女性情報発信の必要性を感じ始めたこと、最大の難関だった立ち上げ費用を出そうという有難い申し出があったこと、私も手を貸そう、寄付をしようと全国から名乗りを上げて下さった方たちの志、実働メンバーのこのサイトにかける思いや情熱!こうしたものが結集し、奇蹟のように実を結んだのが、まさに「いま」だったのだ。

カテゴリー:WANの活動

タグ:中西豊子 / NPO法人WAN