2009.08.26 Wed
NHKスペシャルの戦争特集「日本海軍400時間の証言」を見た。大日本帝国海軍の中枢で任についていた軍部OBが、戦後35年を経て開いた反省会の記録テープを扱った番組である。そこでは、確たる勝利の見通しもないままに、熟慮された作戦もその物的準備も、そして戦争の大義すらも存在しないままに、なし崩し的に対米開戦決定へと流れてゆく海軍首脳部のすがたが再現されていた。彼らには何かが決定的に欠けている、と感じる。そしてその「何か」が欠けた意思決定の場を、つい最近も目の当たりにしたような気がした。解散直前に両院で可決成立した、臓器移植法改定をめぐる一連のプロセスがそれである。
衆参両院におけるA案支持への雪崩の打ちようは、度重なる参考人の意見陳述にもかかわらず、議員の多数がその意思決定において、脳死・臓器移植に関する議論の「歴史」も、脳死判定の問題性も、さらには長期脳死患者たちによって営まれ続けている数々の「生」も、考慮要素にはしなかった――したとしてもこれらは別の要素に優位されるものに過ぎなかった――ことを示していた。
そこでは、考慮されてしかるべき事実が存在しないものとして扱われている。そしてその結果なされた決定は、「脳死」者を「死」へと導く臓器摘出の場面――臓器移植法は医師のこの行為が殺人にならないよう違法性を阻却する法律である――に限らず、この国に住む個々人の「生」のありようにまで影響を及ぼすはずであるのだが、その大きさに思いがはせられたわけでもなかった。この点で、政権維持を目指すと政権奪取を狙うとにかかわらず、法改定を実現した多数派については同轍だったといわざるをえない。
戦時と今と、いずれの意思決定も決然とした態度で、あるいは迷いに迷った末の神妙な態度で行われたようにみえたかもしれない。しかしそうした外観とはうらはらに、そこには「自分の行ないは取り消しがきかないのだというまじめさ」が決定的に欠けている。これは1930年、この頃には登場していた「大衆」のふるまいについて、オルテガが述べた言葉である。困難と義務を背負うことなく、自らに特別の要求もせずにあるがままの存在を続け、その凡庸をあらゆる場所に押しつけようとする者を、彼は「大衆」として描いた。「大衆的人間」は文明の恩恵を相続するしか能がなく、その相続物がつくられてゆく際に経験された苦悩には無関心で、自らに責任があるということをほとんど感じない。そして《慢心した坊ちゃん》、あるいは《箱入り息子》のように、何をやっても結局は無罪放免になる家庭内でと同じやり方で、外の世界でもふるまうことができると信じている。このような人々が支配的人間像となるときには、生が退廃の危険にさらされていると警鐘を鳴らさねばならない――オルテガはそう書いた。
8月30日の投票日に向けて各党のマニフェストが出揃った現在、それらを比較して投票する政党を選べばよいかのようにいわれる。だが、それらマニフェストの底意はどこにあるのだろうか。自らの選挙での勝利か、国民の幸福か。政策の是非もさることながら、見極められるべきは、各党・各候補者の根本的な姿勢であるように思われてならない。
しかしまた、選挙で問われているのは選ばれようとする者たちだけだろうか。見るべきものを見ず、来るべきものの到来に気付かぬふりをする意思決定は、かつての戦争遂行者たちや現在の立法者たちのみが行っているのであろうか。そもそも、目下の各党マニフェストが対処しようとしている生活不安を生みだした構造改革は、郵政民営化に象徴されるかたちで「選挙民の多数」に支持されていたのではなかったか。
オルテガは、自由民主主義とは共存への意思がもっとも高く表現される形式であって、隣人を考慮に入れる決意を極限まで推し進めたものであると述べた。私たちは、この先人の思想的遺産をただ受けとるしか能のない「大衆」にすぎないのだろうか。それとも一票の来歴と意味を選挙ごとに噛みしめ、それが他者へも最終的にもたらすものは「取り返しがきかないのだというまじめさ」をもって、投票所に向かっているだろうか。かつてオルテガによって打ち鳴らされた警鐘を私たちが真摯に受けとめてきたかどうかが、再びこの選挙でも問われているように思われる。
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