エッセイ

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【特集:衆院選⑫】在日外国人と選挙   ぱく・くね

2009.08.27 Thu

 衆議院選挙が近づいている。毎日駅でパンフが配られ、大音声の演説が流れる。大概はキャッチフレーズのようなものと名前が繰り返され、こんな内容のない台詞を言ったら余計に票を減らすでと、余計な心配をしてしまう。とはいえ、私は、在日コリアン3世。大阪に生まれ育って50年以上になるが、選挙には行ったことがない。しかし、昔の知りあいから「久しぶり、○○さんに一票頼むわ」という電話がかかってきたりする。「私、韓国籍やし、選挙権ないで」「うそーっ。ごめん、パクさん、知らんかったわ」。かつて一緒に学校に通ったり、子どもを通じてご近所つきあいをする人たちの中に、私に選挙権がないことにピンとこない人が結構いる。これは、普通に暮らす市民感覚なら、私に当然選挙権があるものと思うからなのか、母語が大阪弁で、「大阪キャラクター」が目立つ私を「外国籍住民」と意識していないからなのか? 先日の8月18日の日本記者クラブでの党首会談で、民主党の鳩山代表が、外国人の地方参政権を「もっと前向きに考えるべき時がきている」と語ったという記事を読んだ。民主党内には賛否両論がある。一方、2008年末の日本の外国人登録者数が2,217,426万人で、総人口の1.74%にあたるとのこと。過去最高を更新したということだから、外国籍人口が増え続けている。その中でも永住資格を持つ人は、私のような旧植民地出身につながる特別永住者を含め、約91万人が住んでいる。日本が人権や民主主義を尊重する国であるというなら、外国人労働者の受入れが必要になるかもしれないと考えるなら、外国人住民の存在を除外して、社会のあり方をデザインしてはいけないのではないか?

 できる限り外国人にも人間らしく生きる環境を作る努力をする、そのための法律や制度を整備することは、日本の社会がより成熟する契機だし、国際社会から尊敬を集めるはずだ。欧米の先進的な事例や、国際社会で合意した人権の基準など、お手本や参考事例はいっぱいある。

 私はせめて、ある程度ここに居住している外国人には地方選挙権は認めてほしいと願っている。いきなり提案しているのではない。すでに外国人の地方参政権を求める運動は1990年代に広がっていき、市町村大合併の前とはいえ、1500を越える地方議会が、この推進に賛同する意見書等を採択した。1995年には最高裁が、「法律をもって地方参政権を付与することは、憲法上禁止されているものではない」という判断を示した。いくつかの政党による法案も国会に提出された。それに対する強い反対論も出るなかで、国会での審議は長らく進んでいない。

 実は、最近、韓国で私のように韓国で住民登録をしていなくても在外韓国人が国政選挙に参加できることになったと聞いた。2012年の国会議員の選挙から対象になるらしい。日本に生活基盤があり、自分の老後の年金も介護も日本の政策にゆだねるしかない私には、韓国の政治への投票はどこか「象徴」でもある。日本は韓国に先駆け1998年に法改正がされて在外選挙ができるが、やはり国政レベルにとどまっている。外交や国防を議論しない、住民自治としての地方参政権を外国人が行使すると、何が問題なのだろうか?ちなみに韓国は2005年に日本に先立ち、永住資格を持つ外国人に地方選挙権を認めた。

 人は、国籍も生まれる地も選べない。私は生まれたときに、日本国籍が自動的には与えられなかった。そして第二次世界大戦前に生まれた両親は、かつて日本国籍で(朝鮮半島が植民地だったから)、1952年に日本政府の政策で日本国籍「喪失」となった(寝て起きたら勝手になくなっていた?)。

 それなら日本国籍を取れば、日本国民と同じ権利がすべてもらえるのに…というアドバイスはもらう。就職や融資、結婚がスムーズに行くようにと、私の周囲のコリアンたちは結構な数で「帰化」を申請し、日本国籍を許可された。でも私は、差別から逃れるためのネガティヴな「帰化」の姿をたくさん見てしまった。戦後の日本政府の私たちへの冷遇がいかばかりかを知ると、「帰化」をお願いする気持ちにはなれない。まして外国人の参政権を言うのであれば、一般永住資格を持つ人たちを含めて、外国籍をもつ人たち全体の権利をどう前進させていくのかという視点で、この問題を考えるべきなのだ。

 選挙権はないものの、外国人住民は実は「選挙運動」をしている。業界団体、市民団体、労働組合…在日外国人だっていろんな社会団体に参加している。今更であるが、外国人住民の日常に直結する問題は、結局、政治がどうなるか如何によるわけで、外国人住民は、どの候補者がどんな政治姿勢をアピールしているのか、結構注視しているのだ。私だって、WANが実施した各政党の女性政策に関心がある。自分の人生に影響するわけだから。

 最後に、人権―-誰でもどこにいても持っている人間としての権利―-を国際的な感覚で理解し、困難な立場にいる人たちに共感できる政治家を、有権者がきちんと選んでいただくことを期待する。

カテゴリー:ちょっとしたニュース

タグ:民族差別