2009.09.08 Tue
男女共同参画センターの事業の一つに、女性の自立支援という領域がある。相談事業や情報提供事業、技能訓練・資格取得の講座など、女性が経済的に自立できるよう、様々なかたちで支援していく事業だ。しかし、その支援事業を担当する職員の多くが非常勤職員で、その人自身が経済的に自立するのが困難な給与体系で働いている。
自治体にもよるが、最低賃金ぎりぎりの臨時職員としてスタッフを雇用しているケースもある。また、時間単価は一般企業の事務職より高い場合もあるが、シフトが規則的でなかったり、持ち帰り仕事や自己研修に時間を割かなければならず、副業を持って収入増をはかるのは難しい事が多い。
女性の自立支援をうたいながら、内部の実態がこのような有様であるのは、問題だ。
ある時、国の外郭団体から派遣された「職業相談」の相談員と打ち合わせをしていて、このような女性の自立支援をする職場のスタッフが、自立できない待遇で働いているのは矛盾だ、という話をしたら、「私も、そうです」と相手が言ったので、「え?」と思わず聞き返したことがある。
男女共同参画センターだけではなく、公務の現場でとても多くの女性達が非常勤職員として、翌年の雇用が保障されていない不安をかかえながら、市民の相談などにあたっている。
ある労働組合の大会でその話をしたら、民間で働いている参加者の多くが驚いていた。「公務員だと思っていた」「公務員に準じる待遇で、安定しているのだと思っていた」ということが言われて、あぁ、知られていないのだな、と思った。
また、以前勤めていた男女共同参画センターで、この矛盾について発言をしたら、市民の参加者から、「そんなことはそっちの問題。我々市民には関係のない話」と言われてしまった。同じ女性の立場から、女性の労働問題という共通の課題として認識されるのは無理なのか、と悲しい思いをした。
管理職として働いていたこの男女共同参画センターでは、私の取り組み課題の一つとして、内部改革をずいぶん考えた。正職員、非常勤職員、パート職員、アルバイト職員と、多種類の雇用形態で働いている人が混在している職場で、それぞれ待遇が異なる。一握りの正職員は、役職がついており、監督職の立場にある。この正職員と、他の非正規職員との待遇差は画然としている。内部的に事業が円滑に進まないのは、こうした待遇格差の問題が原因の一つではないかと思った。
働き始めて間もなく、非常勤問題に言及した途端、市の職員が、目に見えて動揺したのを覚えている。管理職にある者がそのような問題意識を持つのは、想定外のことであるようだった。市の管理職からは、「あなたはもう、使用者側になったんですよ」と、呆れたように言われた。使用者側に立ったからこそ、やっとこの問題に本格的に取り組むことができると思っていたのだが、異星人を見るような目で見られた。
小さな独立機関の雇用問題の改善は、不可能とは思わなかった。給与については、均等待遇をベースに、勤務日数や役職手当などを加算してゆけばよいのではないか。現状は、正職員の給与と非常勤職員の給与とは、異なる費目で計上されていたりするので(公務現場で働く非常勤職員の給与は人件費ではなく、物品費として計上されているようなことが多々ある)、改善の手続きはそれほど単純ではないし、思いついたからといってすぐに実行できるものでもない。しかし、このような費目分類による縛りや職場全体の給与体系の見直しは、管理職にいる者だからこそ、着手できる仕事だ。
また、非常勤職員は住宅手当がないとか、通勤手当に上限があるとか、給与以外でも差がつけられている。こうした区別をなくすことは、積極的にやっていかなければならないことだ。おそらくある程度権限のある立場の人が、共通の課題意識をもってあたれば、決して変えられない部分ではないだろう。
年に一度の健康診断でさえ、女性の正職員には子宮癌検診と乳癌検診がついており、非常勤職員にはない、ということがあった。そもそも、正職員と非常勤職員とで、健康診断の受検項目数が違っていたりする。非常勤職員の健康は、正職員の健康より大切ではないと位置づけているようで、割り切れない制度だ。
職務の内容に、そこまでの差異はない。むしろ多くの職場が、非常勤職員で支えられているのが現状だろう。これは労働の質や量に対応した格差ではなく、明らかに身分格差だ。非常勤であるということは、二級の労働者に格付けされている、ということだ。私が勤めていた男女共同参画センターに見る限り、何年勤めても非常勤職員は非常勤職員のままで、永久に身分が固定されている。
民間企業で、正社員には社員食堂での割引があるが、派遣社員は正価で食事をしないといけない、というような話も聞くが、本来、給料の安い非常勤や派遣こそが、割引を受けてサポートされてもよさそうなものだ。誰のために、このような差異化がはかられるのか。細かな身分差別をすることで、末端の労働者の日々の心理を操作し、大局的な視点が養われないよう、計算された方針なのだろうか。
こうした事態を変えられるかどうかは、管理的立場にいる人たちがどのような考え方を持っているか、にかかってくるように思う。労働者の人権ということを主眼に置いて、変える気があれば、変わる部分だろうと思う。管理的立場にいる人々が課題意識を共有して取り組めば、改善できるはずだ。阻んでいるのは、誰なのだろうか?
ウィングス京都の非常勤職員だった伊藤真理子さんは、嘱託職員の賃金差別訴訟*において、被告である雇用側が低賃金の言い訳に「職業上の満足感」を持ち出してきたことを受け、女性が「やりたい仕事」に向ける意欲や熱意を利用し、「<やりがい>の搾取」が行われていた、と述べておられる。多くの非常勤職員の人たちが、同じ思いを共有しているであろうと思う。
考えられるかぎりの理由をつけて、非常勤職員の低賃金、不安定雇用を維持しようとするのは、いったい何のためか。そこに一貫しているのは、働く人の人権ではなく、使用者側の経営の都合だ。現状がそれほど単純でないのは、わかっている。それでも、あらゆる知恵を、工夫を、熱意を、総動員していくことで、働く人の人権が守られていく社会を共に築いていく希望を絶やしたくないのだが。そのありったけの知恵や工夫や熱意が、働く人の人権を守らない方向に向けて総動員されている実態が、実は、私には理解不能のことなのだ。せめて、男女共同参画推進の現場が率先して取り組み、他の業界に対して垂範的役割を担うべきではないのか。
*伊藤真理子さんの裁判については、http://www.geocities.jp/trial2006jp/
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