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「母からのメール」   やぎ みね

2009.09.08 Tue

 母86歳、私66歳。母は熊本で一人暮らし。何とか無事に過ごしてくれている。夏の日の朝早く、母からケータイメールが届いた。メールを読んで、その日、私の誕生日だったことに気がついた。 「元気に、この日を向かえられ、何よりうれしく思います。思えば昭和18年の夏、北京は晴天。もう秋の空気だったことを思い出します。私の病気のため予定より半月くらい早く出産。でも無事に生まれて、お父さんも、おばあちゃんも、ホッとしたものです。小さく生んで大きく育ってよかったね。

 生後3カ月、北京から熊本への引き揚げ。帰ってから病気で臥していた私の代わりに、大おばさん、おばあちゃん、姉さん、妹に助けられ、めでたく今日の日を迎え、みんなに感謝です。これからも身体を大切に楽しんでください。

 この夏の北海道旅行、大自然に浸って日頃の疲れもとれたでしょうね。あたしも本を見て一緒に旅していましたよ。旅はいいねぇ。気持ちが明るくなって。秋の京都への旅が、近づきました。またお世話になります。体調を整えていきたいと思います」。

 母は大正12年9月、関東大震災の年に生まれた。昭和17年、女学校卒業と同時に18歳で結婚、農業技術者だった父の勤務地の北京に渡る。日本の植民地下の中国は母にとって住みよかったのかどうか。気候があわず、肋膜と腹膜炎を併発。私を出産後、病を押して日本へ帰国。広軌の満鉄に乗り、おむつをリュック一杯に詰めこみ、釜山から船で九州に引き揚げてきた。

 昭和20年の敗戦。軍国少女だった母も、戦後の生活は「希望があったわね」と言う。戦後、引き揚げてきた父は、今はゴルフ場になっている農場に場長として赴任。朝日をのぞみ、星を仰いで土に親しみ、母もだんだん健康になった。父は戦前、ニュージーランドで学んだという、羊の毛を刈る技術がうまかった。幼かった私も牛の乳房を小さな手で絞り、濃厚な山羊の乳を飲み、掘り立てのじゃがいもをほおばり、夜は満天の星の下でドラム缶のお風呂に入った。動物たちを追いかけ、野山を駆け回って大きくなった。

 あれから60有余年、母も私も自分の歳を忘れるくらい月日がたった。母は今でも食事は、すべて手づくり。「毎日の暮らしを丁寧に繰り返しているだけ」と言う。グータラな私、果たして母の歳まで元気でいられるのかしら?

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