エッセイ

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忌み嫌われつづける「同性愛者」     泪谷のぞみ

2009.10.05 Mon

 ここ数十年、世相の変転のなかにあって、変わらず強烈に嫌悪、回避されつづけているもので、私が特に気になっているのが、同性愛と婚外子を産むこと、です。両者は関連していますが、ここでは前者についてつらつらと書きたいと思います。

 私は、同性愛者を、異性愛者とは金輪際まざりあわない別人種であるかのような扱いに、強い違和感を持っています。一方、同性愛をアイデンティティとして位置づけようとする歴史的経緯があるし、いまも果敢にそれに挑んでいる友もあり、それには深い敬意を持ってはいます。私としては、変えがたい生来の資質として捉えずに、また性的指向とも考えず、自由に選択するライフスタイルとして捉えられないか、と考えますが、個人差が大きいかもしれません。 私が仲間と「レズビアンマザーの会」を立ち上げたのは1993年のことでした。3組のカップル、計6人で会をはじめました。その当時、私は、自分なりのキャパの範囲で、社会を変えてやる、歴史を変革する潮流に加わってやる、と、情熱を燃やしていました。若かったのでしょうか。あれから16年が経過して、私も、他の5人の人生も移り変わり、会も開店休業状態になってしまいました。わずかに、WEB掲示板「レ・マザー」のみが現在も動いています。http://www2.rocketbbs.com/100/lemother.html

 こちらも、閑古鳥が鳴いてはいるのですが、でもいまも、時折、書き込みがあります。最近のものでは、次のような書き込みがありました。
「・・・自分にも、つきあっている彼女にも子どもがいるが、彼女の子どもを好きになれない、また彼女からも、子ども同士、相性がよくないので遊ばせたくないと言われている、彼女のことは愛しているのだが、これからどのようにつきあっていけばよいのだろうかと悩んでいる・・・」というものでした。

 日本でもレズビアンマザー当事者が運営するWEBサイトは、増えています。離婚後、子どもを引き取って育てながら、女性のパートナーを得たという人のブログは多数あります。婚姻を経ないレズビアンカップルが人工授精または養子縁組で子どもを得て、育てているというブログは、私の知るかぎり3つあります。ミクシィ上で日記を綴っているあるレズビアンマザーさんのサイトで、「私たち、とうとう結婚することに決めました」という書き込みがあった日は、「おめでとう!」のコメントが、ずらりと20以上もつけられていて、ネットワークの拡がりに驚きました。

 私たちの掲示板「レ・マザー」は、もはや役割を終えつつあるのかもしれません。書き込みがある間は、そして私に仲間がいる間は、それに応答しつづけようとは思っています。

 6人のその後ですが、いまもカップルだが、子どもが成人しレズビアンマザーとしての活動に終止符を打った者、当初のパートナーと別離し、「再婚」した者、対関係ではない別の関係を模索している者もいます。また大病から生還した者もいれば、仕事の苦労が続いている者もいます。このように、「人生いろいろ」です。

 ただ、ひとつ厳然としてあるのは、同性愛への偏見になんらかの形で抑圧を受け続けている点です。私自身は、レズビアンマザーの模索をまとめてひとくぎりをつけないではいられず、40代半ばになって大学院に社会人入学しました。6年もかかりましたが、なんとか、この夏、博士論文を出し終えました。ただし、博論を書いてキャリア・アップできるかと言えば、職場では「レズビアンマザー」などというテーマはお呼びではなく、そもそも経験年数がものをいう場なので、おとなしく働いておれば積めたキャリアをむしろ失いました。数年無給だったので貯金の大半を使い果たしました。今から思うと、まるで、世間的に承認を受けやすい方法で自傷をしていたかのようだと思うのです。

 いい年になって、何を血迷ってしまったのかと、母親からは嘆かれ、いまも彼女には研究内容や学位を取ったことを、明かしていません。

 いまさらながらに、ホモフォビアの恐ろしさを思います。私は、職場で、一度もカミングアウトしたことがありません。ずうーっと、クローゼットのままです。この隠し続けるという営為は、同性愛者に限らないと思いますが、心の芯を腐食するように思います。

 職場では、あるベテラン男性教諭が、同性を大変好きなある男子生徒に対して、「おまえ、あっちにだけは走るなよ」と「忠告」します。親切心でそう言っているのかもしれませんがそれを聞いた私は、どうしたらよいのでしょう。別の、女性教諭は、同性を大変好きなある女生徒が、年上のある女性に対して、あこがれのまなざしを向けているのを目撃し、「ぞっとした」と、吐露します。これをどのように受け止めたらよいのでしょう。誰が率直なこの感想を非難することができるでしょう。せっかく信頼しあう同僚同士の関係を築こうとしていたのに、ああ、またかと、うらぎられ感に襲われるのはいつものことです。

 これほど密やかに人に嫌悪という泥を塗りつけて貶め続けるこんな社会も、こんな学校も、大っ嫌いだあ!!と、叫びたい時があります。

 では、同性愛をなぜ「やめない」か。同性愛を嫌悪する社会は嫌いだが、同性愛を選んだ私の人生はまんざらではないのです。大学院に行く時、背中を押してくれたのは、かつてレズビアンマザーの会をともに立ち上げた元パートナーYAMANOでした。なんどもなんども議論して考えを整理することに立ち会ってくれるなど、彼女とともに論文を産み出したといっても過言ではありません。

 セクシャルマイノリティのコミュニティにおいて出会った、数々のハンサムな女たち。また意外にも、研究室で出会った院生たちとの交流、学究の過程でも予想外に自尊感情が回復していくのでした。

 これら波乱はありつつも、人生の味わいはいいも悪いも、同性愛を生きる中で得てきたのですから、それを止めたいなどとは、さらさら思わないのです。くそくらえの職場から、逃げるように大学院に行ったが、そこでも修行が待っていました。でも、望外の悦びを得ることもできたこの「同性愛者」という人生。憎いのはホモフォビアです。

(日本女性学研究会ニュースVoice of Women304号より、加筆転載)

カテゴリー:ちょっとしたニュース

タグ:LGBT / 同性愛 / 婚外子 / セクシュアルマイノリティ / 泪谷のぞみ

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