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京の師走と錦小路 中西豊子
2009.12.28 Mon
450年も前から京都の人々の食を支えてきたと言われる「にしき」。いまでは錦市場と呼ばれて観光客の人気スポットにもなっているのでご存じの方も多いのではないだろうか。WAN事務所からもごく近い。
距離にして350メートル、寺町通から、高倉通まで6つの通りを貫いているが、幅はたった3メートルほどしかない小路だ。この細長い小路を挟んで両側に約130軒の商店が並ぶ。その殆どが食料を扱う店で、鮮魚、野菜、漬物、干物、豆、生麩などなど、食材なら何でもありだ。鶏卵でさえも専門店がある。この「にしき」は、昔から高級料亭から普通の家庭料理までの食材が調達できるというので、「京の台所」と形容されてきた。 200年以上続く店も何軒かある。何代も続くという店には、「うちは若狭湾の魚」「うちは鯖ずし」という風に、品ぞろえに独自の特徴があるのだ。地元の人は「先代からの付き合いで」などといって、店が決まっていたりする。 以前は食品以外の店は1割ほどしか無かったと思うが、10年ほど前から急に観光客が増えて、今では土産店や雑貨店も増えた。客席を設けて食べさせる店も多くなっている。甘いものや惣菜の食べ歩きをするのもいいかもしれない。食材を串に刺して食べ歩きができるよう工夫している店もある。なるほど人の好みが変われば、こうして道行く人たちに合わせた店もでき、ときの流行と共に町の様子も変わっていくのだなあとヘンなことに感心している。近頃は店のオーナーが変わることも結構多いようだ。
10年あまり前に新しく出来た京野菜の店は、人気の高い店だが、地元の者にはそこに並んだ野菜の値段が余りに高いので目をむいてしまう。「京都ブランド」を売りにするのは、地元のためにいいことなんだろうが、この値にはちょっとやりすぎではないかと鼻白む。
「にしき」が一番活況を呈するのが師走だ。歳末になると、狭い小路は買い物客でごった返す。今年は不況だと言いながらも、ここは別なのか、賑わいは例年と変わらないように見える。錦にさえ行けばお正月の雑煮、煮しめ、お重に詰める材料などなど何でも揃うということ、新鮮さや質への安心感などで、足が向くのである。
近頃気付いたことだが、古い家が沢山残る京都でさえ、しめ縄や門松の材料を売っているところが激減した。年々門松を立てる家も、しめ縄やお飾りをする家も減っている。なんだかさみしい気もするが、毎年買う人が減る分、高値になっていくので、こうした風習も急激に廃れてしまうのだろうと思う。一般家庭から姿を消しつつある門松が、デパートなどでは一段と大きく立派になっていくように感じられるのがなんとも可笑しく皮肉っぽい。
そういえば私自身、高齢期にマンション住まいを選び、住と連動して生活そのものも随分簡便化してきたことに気づく。正月の祝い膳も省略するようになったし、合理化には違いないが、文化度(?)は確実に下がっているってわけだ。
「にしき」には、「みやこびと」の食へのこだわりがまだ少しは残っていそうだ。食の全国均質化の波の中、折角京都だけに残ってきた食文化を私たちが粗末にしてはいけないなと思うのだが、「文化」は手間ひまかかるからなあ。
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