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『クララ・シューマン~愛の協奏曲~』女冥利に尽きる!生涯 松本侑壬子
2010.01.02 Sat
独仏ハンガリー合作映画 「クララ・シューマン~愛の協奏曲~」
(全国公開中)
ヘルマ・サンダース=ブラームス監督という名前には、日本のある種の女性映画ファンには、特に思い入れが深い。“ある種の”とは、例えば東京国際映画祭国際女性映画週間(現・東京国際女性映画祭の前身)の古くからの常連、あるいは、そのさらに前の、映画を通して女性問題を考えようという最初の女性映画運動「女たちの映画祭」関係者たちなどである。
ブラームス監督の「ドイツ・青ざめた母」(80年)は、この女性運動の熱気が創出した「『ドイツ・青ざめた母』を見たい会」という前代未聞の観客の側からの“上映要求運動”が東京・岩波ホールの高野悦子総支配人を動かし、ついに1984年、配給会社のオクラ入リとなっていた本作の同ホールでの上映を実現させた。当時の女性運動の意識の高まりと映画との関係を象徴する出来事だった。 ブラームス監督は名前のとおり、ヨハネスの叔父から正統なブラームス家の5代目の末裔に当たる。しかし、監督はクララにも深いつながりを感じているという。なるほど、主役のクララ(マルティナ・ゲデック)は「ファンファーレとともに登場!」と言いたいほどにかっこいい。これぞ女冥利の生涯!と言えるのではないか、とさえ思う。
クララは、ドイツ・ロマン主義華やかな19世紀の大作曲家、ロベルト・シューマンの愛妻であり、年下の天才作曲家ヨハネス・ブラームスの生涯の恋人にして、彼女自身プロのピアノ演奏家であり作曲家であった。ロベルトとの間の7人の子供の母として家事育児を切り盛りし、自身の演奏活動に全精力を費やす。その一方、体調不調で薬に頼りがちな夫を支え、時には夫に代わって交響楽団の指揮棒を握った。「物笑いだ」「女の指揮には従わない」との声も、その見事な指揮の前に消えた。夫を救うためなら、できることは何でもやる、そして実際にできてしまう―クララは150年前のそういう妻だったそんなクララの前に20歳のまだ無名の陽気な天才ヨハネス・ブラームス(マリック・ジディー)が現れる。軽々と逆立ちをして見せて子供たちの人気者となり、その日からヨハネスはシューマン一家に迎えられて奇妙な同居生活が始まる。
深酒から鎮痛剤を手放せなくなったロベルトが苦しみの中で完成させた交響曲「ライン」を夫婦共同で指揮、初演は大成功。妻への敬愛を隠さないヨハネスに嫉妬しながらも、自らも自身の後継者としてヨハネスを音楽界に押し出そうとするロベルト。この緊迫した三角関係に耐えられなくなったヨハネスが逃げ出そうとすると「独りにしないで」と引き留めるクララ。すると「一日中ずっと、昼も夜もあなたを想います」と若者は率直だ。
ついに、ロベルトが病死。その死の喪失感はあまりに深く、戻ってきたヨハネスの求婚にクララは応えることができない。クララを愛撫しながら、ヨハネスは「僕は君とは寝ないけれど、それでも君をこの腕でずっと抱き続ける」と誓う。さらには「君が死んだら後を追う」とも。ヨハネスの誓いに嘘はなく、クララが1896年、76歳で亡くなると、後を追うようにその一年後にヨハネスは独身のまま64歳で死去した…。
肖像画で見るクララは、衣装や髪形のせいか美しくエレガントなイメージが強いが、映画版クララは、意思的で生の輝きに満ちている。性的魅力も十分だ。これぞ、ブラームス監督の会心の人物像ではなかろうか。与えられた才能(力)を、与えられた環境で力いっぱい発揮して、自分自身で選び取った道を充実して生きる―女冥利の人生。クララの仕事も生活も愛情も、の堂々たるワーク・ライフ・バランスの人生を、美しい愛の協奏曲にどっぷりと浸って堪能している自分がいる。(了)
(「月刊女性情報」2009年6月号より転載)
映画サイト → http://clara-movie.com/pc/