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イラン映画『子供の情景』 松本侑壬子
2010.01.21 Thu
<18歳が描くアフガンの今>
この映画の原題は「仏陀は恥辱のために崩れ落ちた」。仏陀とは、2001年3月、タリバンの手により破壊されたアフガニスタン中部バーミアンの歴史的な磨崖仏のことを指す。
監督のハナ・マフマルバフさんは、この映画を撮った時(2006年)には18歳だった。優れた映画には監督の性別・年齢は関係ないということの証拠のような作品である。映画の狙い、問題の核心、描かれた子供らへの思いが真っ直ぐに画面から伝わってくる。公開時に来日した監督の言葉を添えて、作品を紹介します。
この題名(原題)には監督の思いが込められている。「私の父(イラン映画界の巨匠モフセン・マフマルバフ監督)の言葉で、『罪なき人々に起こるあまりに多くの残虐行為や暴力を目撃し、仏像はそれを恥じて自ら崩れ落ちた』という意味です。この題名があるからこそ、映画をバーミヤンで撮影したのです。」
翻訳された邦題には仏という言葉が含まれていないが、「日本人は(仏教国なのに)仏陀という言葉が嫌いなのかしら?」と少し寂しそう。自分は仏教国に生まれたかった、とか。
映画のヒロインは、バーミアンの洞窟住居に住む6歳の少女バクタイ(ニクバクト・ノルーズ)。隣家の幼なじみの男の子アッバス(アッバス・アリジョメ)が「a,b,c」と読み書きの勉強をしているのが、羨ましくてたまらない。何とかして、自分も学校へ行きたいと市場で卵を売るなどして奔走し、やっとノートを手に入れる。喜び勇んでアッバスの学校について行ってみると、そこは男の子だけの学校で…。
「学校に行きたい」思いを決して諦めない健気で前向きな女の子を通して、今のアフガンの子供の姿、教育の在り方、人々の暮らしぶりなど子供を取り巻く実情がぐんぐん浮かび上がってくる。さんざん苦労し回り道をして、ついに女の子の学校にたどり着いたバクタイだったが…。
バクタイが磨崖仏の崩れた瓦礫の前を通りかかると、悪童の一団に捕まってしまう。子どもの遊びは現実の物まねだ。捕虜となったバクタイは、タリバンの民衆抑圧さながらに生き埋め、石打ちの刑、ブルカ(ベール)被せと、遊びとはいえ散々な目に遭わせられる。そこへ通りかかった頼りのアッバスは、守ってもくれなければ、相手と戦いもしない。自身、いじめられれば、頭を抱えてされるままだ。タリバン気取りの少年らはやりたい放題暴れまわる。
映画のハイライトは、逃げ出そうと必死で走るバクタイに向かって、アッバスが叫ぶ場面だ。「死んだふりをしろ。自由になりたいなら死ぬんだ!」と。胸を突かれるこの言葉。あるヨーロッパの1女性観客が、この場面を取り上げて、子どもの遊びにしてはあまりに残虐でショッキングだと非難したという。
「そういう大人にこそ、アフガニスタンの厳しい現実を知らせねば。子供の遊びは、大人の暴力行為の結果なのです」とハナ監督。
この国では1979年のソ連によるアフガン侵攻以来、足かけ23年間も戦争が続いてきた。同国の子供や若者は、生まれて以来、戦争中の生活しか知らないのである。
「石の仏像ですら崩れるのに、生身の幼い子供らに加えられる暴力(戦争)に対して、世界が何もしないとはどういうことか」と、ハナ監督は訴える。映画には、冒頭と最後に実際に仏像が爆破された時のニュース映像が挿入されている。若々しい感性と真っ当な正義感、それを映像化する確かな技術に裏付けられた稀有な女性監督だ。脚本は母親(マルズィエ・メシュキニ監督・脚本家)と、現地調査に基づき何度も練り直しながら書いたという。
小学時代から通常の学校教育を受けずに父の映画学校で学んだというハナさんは、13歳で姉のサミーラ監督の劇映画「午後の五時」(2004年)の撮影隊に同行、アフガニスタンでの撮影現場から見た記録映画「ハナのアフガン・ノート」(同年)で監督デビューしている。本作は初めての長編劇映画であるが、サン・セバスチャン、ベルリン、モントリオールなど多数の国際映画祭で受賞している。
月刊「We learn」2009年4月号「シネマ女性学」より転載