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バレエとジェンダー マダム・ルーズ

2010.01.28 Thu

松本侑壬子さんのエッセイに刺激されちゃったんですが、バレエって少々フェミ的には不当評価されているんじゃないでしょうか? いや、自分もそうですが、「隠れバレエ・ファン」のフェミニストを何人も知っているのですが、なんとなく「隠れ」なくてはいけないような風潮がある(あるのか?)。ような気がする。
これって被害妄想なんでしょうか??

マダム・ルーズ、子どもにバレエを習わせたことがあったのですが、それを話したときのフェミニストのお友だち(多数派)の目は、決して好意的とは言えないものだったりしたのでした。私自身も子どものころ、モダンバレエをちょっとだけやっていて(なんとなく、それはバレエというよりは文明堂の熊ちゃんのダンスに似ていたような気がするのですが・・・。ある年齢以上にしか分からない比喩ですみません)、その話をしたときも、フェミ系お友だちには、何かしら白い目で見られたような印象が残っているんです。 「お嬢さん芸」・・・と言われているかのようなまなざし。
確かに、日本でバレエを習わせるのって本当にお金がかかって、「グラン・パ・ド・ドゥのパートナー費をン10万払った」なんて話も、別に珍しくはないんです。親の方も、「年間いくらかかっているのか計算したことある?」「ない!怖くてできない」なんて会話しながら、習わせたりしているのも現状です。

でも、やっている本人たちは、自分の身体を自分のものとして、あるいは自分の思い通りに動かない身体と格闘して、日々精進に励んでいるんですよね。クラシックバレエの場合、腹筋・背筋をバランスよく鍛える必要があり、娘も一時期は腹筋が割れていました。足のふくらはぎや、ももの内側の筋肉を鍛える必要もあり、腹筋入れて背筋入れて、ルルベ(背伸び)して、あるいはトウでバランスとりながら、腕の動きはあくまで柔らかく、顔の向きも決まっていて、しかもにこやかに、というとっても複雑な動きをする必要があります。ものすごい情報処理能力が必要とされるわけで、すごく脳の刺激になるだろうなと思うのです。

おまけにバレエは総合芸術。ひとつの舞台を作ろうと思えば、主役だけではなく、コールド(群舞)も調和を持って踊る必要があります。つめが割れて足が血みどろであろうが、靭帯裂傷であろうが、トウシューズでにこやかに優雅に踊ったりしちゃうのです。

昔アメフト部のクラスメイトが、ももの筋肉裂傷で松葉杖をついて授業に来ていたのに、その数日後試合で走っているのを見て、愕然としたことがありますが、それに近い「チーム思い」の少女たちが出来上がっていくわけです。痛みをものともせずにすすんでいく、きわめて「男らしい」その姿。しかし、踊っているのは白鳥。クラシックチュチュで、白鳥の羽を頭につけている。そのアンバランス!
笑えるっちゃ笑えるんですが、「これ、笑っちゃっていいのかな?」とも思う両義性。

バレエを習っている人が身近にいると、ピルエット二回まわるのが、シェネの回転を早くするのが、どんなに訓練を必要とすることなのか、よく分かります。アラベスクの足の位置、アチチュードのかたちの正確さ、その完成されたスタイルを目指して、日々の精進がどれほど必要か。パートナーとのタイミングが合わずにリフトがあがらない(舞台でこういう事態になると、かなりみじめな気分になります)とか、回転していたのにトウから落ちて足をぐねるとか、色々な失敗というものがあるのだということもよく分かるのです。

それだけに、バレエを見る目も肥えてきたと同時に、優しいものになってきました。曲芸的な超絶技巧も見ていて感動するのですが、それだけではなく、感情表現の面白さにも目が行くようになって、奥深いものだなーと思います。

考えてみると、日本で見るバレエってちょっとうますぎますよね。世界のトップレベルのダンサーだけが踊っている感じ。かつて10ン年前、アメリカ北東部の田舎町に住んでいた時、その町のバレエ団がやっていた公演を見に行ったことがあるのですが、チケットは7ドル。踊りそのものは、それはそれは「ひどい」ものでした。だけど、こうやって小さな町にもバレエ団があることこそが、アメリカのバレエ界全体のレベルアップを支えているし、ABTのような信じがたいような超絶技巧のバレエ団の存立に必要なんだろうな、とも思いました。

こんな身体を鍛え抜かずには表現できない舞台芸術が、「お嬢さん芸」で納得されてしまうとすれば、それはそれで「女性的なるもの」への侮辱ではないか、と思ったりもするのです。

頂点があるものには裾野が必要。裾野を広げるバレエ少女(少年)たちの日々の努力を、「女の子的」だと軽んじるのは時代錯誤じゃないだろうか? がんばれバレエ少女(少年)たち!と思う自称フェミもいるのです。

タグ:舞台 / スポーツ