エッセイ

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【特集・家族の多様性を考える・その3】「家族」だからって、「介護」できるわけじゃない、けれども 木下衆

2010.02.01 Mon

 私の実家が介護を始めたのは4年前、祖母が認知症だと分かってからだった。「何かおかしいな」と気づくきっかけは、とるに足らないような出来事だった。徐々に噛み合なくなる会話、短くなる記憶…加えて、何かに失敗しても、全く屈託のない様子でいるのが、少し不気味な感じがした。母が「彼女(僕にとっての祖母、つまり母の母)はおかしい」と感じる決め手になったのは、祖母と一緒に出かけたときのことだという。その日、A という店に行く予定が、その前に急遽、B にも行かなければならなくなった。母が祖母にこのことを告げると、祖母は次のように答えたという。「それは分かるけど、あんたの都合なんかどうでもよくて、私はとにかくA に行きたいの!」穏やかなはずの彼女の人格の変化に、母は面食らった。窶披€狽アういった些細な、ホントに些細なできごとの積み重ねを経て、母は祖母を神経科に受診させることになり、結果「認知症」という診断をえる。ここから、わが家の介護生活が始まることになる。

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「認知症」という病については、小澤勲の『認知症とは何か』に詳しい。彼はその症状を、「(言語や記憶を統括する)知的『私』が壊れる」と端的に表しているが、私たちが直面したのも、まさに祖母の知的「私」の壊れだった。戦時中は教師を務め、3人の子どもを育て上げた祖母は、元来しっかりしていた――らしい。しかし目の前の彼女は、ニコニコしながら、同じ話を繰り返している。「さっき言ったよ」と指摘されても、屈託なく「あぁ、そう」と笑っている。今でこそ、同じ話を楽しく繰り返せるわが家だが、当初は面食らった。彼女のコミュニケーション能力は、徐々に低下していた。

 大学院に入り、(ご縁で)家族介護を研究するようになった私は、わが家と同じ経験を、実に多くの家族が共有していることを知る。考えてみれば、当たり前のことかも知れない。介護保険の利用者の半数が認知症を患い、また2020年には、その患者は300万人にも達すると言われている。他の多くの家族と同様、わが家にとっても、介護の始まりは認知症とのお付き合いの始まりでもあった。

 祖母は山陰地方に一人で暮らし、他方、私の実家は大阪にある。彼女は、一人で暮らせる病状ではない。しかし誰かが彼女のために引っ越すだけのお金はなく、介護のために投げ打つには、互いが積み重ねてきた生活が大きすぎた。そのため、半年は彼女に大阪に来てもらい、残りの半年は東京から伯母が、大阪から母が、弟や私がと、ピストン輸送で介護が行われている。

 そうやって祖母の介護は、家族みんなを巻き込むことになった。だからこの文章の主語も、あえて「私の家族」にした。

 誤解しないで欲しいが、わが家は使える介護保険サービスは全部使っている。それでも、身体サービス以外の側面、コミュニケーションの補助や代行は、なお家族について回る。だからこそ、側に誰かがいる必要があった。(契約の補助や代行を依頼するための成年後見制度というものもあるのだが、これがいかに使いにくいかは、脇道に逸れるので論じない。)

 つまり、わが家にとっての介護は、身体介護というよりも、むしろコミュニケーション上のモノが多い。祖母は、手押し車さえあれば移動もできるし、会話もできる。そういう意味では、元気な方だと思う。しかしそれ故の難しさを、わが家は常に感じてきた。

 彼女の代表的な症状に、屈託も悪気もない、それ故に実に分かりにくい「ウソ」がある。例えば医師の前で、「もう何でも一人でできて、買い物にも行って料理もしてます」という。そんなことはない。他の家族が一緒でないと買い物にも行けないし、帰ってきたら何を買ったか忘れている。やかんでお湯を沸かすことすらおぼつかない。しかし本人は、何でもできるつもりでいる(だから正確に言えば、本人にとってはウソではないのだが…)。こんなときは、家族の誰かが「いえいえ、そんなことはなくって……!」と割って入ったり、あるいは相手に向かって「違うんですー」という表情をつくって首を横に振ったりと、必死で否定しにかかることになる。母は、そんな場面をいくつもくぐり抜けてきた。傍から見たら滑稽だったり、あるいは残酷に見えたりするだろう。彼女の言うことを否定するわれわれも、辛い。

 ただ、「じゃあ、本人の言う通りにさせてあげたら良いじゃない」というわけにはいかない。どうやってか自宅に隠しおおした2週間分の洗濯物を前に「後で自分が洗う!」という彼女、悪徳業者に売りつけられたDVDセット全10数巻の領収書(彼女の家にはDVDデッキすらないのに…)を前に「いい人だった」という彼女を前に、「この人の言う通りにさせて…」と言える人がいたら、連絡ください(笑)。だいたい、「何でもできる!」と医師の前で言い切る祖母(しかも放っておいたら、医師は信じかねない)を、尊重してニコニコしてたら、要介護認定がおりずに介護保険サービスが使えないんですー!(だからわが家は、心の中で「ごめんなさい」と言いながら、彼女の「自己決定」は脇に置いてきた。)

 ただ私は、わが家が「家族」だからこそ「介護」できたのだとは、考えていない。祖母の人格や行動パターンが変化する中で、かつて私たちが彼女と結んだ関係は、必ずしも役には立たなかった。説得も効かなくなってくる相手にいら立ちながらも、「彼女は病気なんだから」と何とか自分を納得させて、あの手この手でうまくやっていこうとする。窶披€狽サの介護が成功したとしたら、それは私たちが家族だったからではない。努力し、勉強したからだと思う。その意味では、別に介護を担うのが私たち家族でなくても、よかったはずだ。

 しかし同時に思うのだ、今の日本でこういう「介護」を、「家族」以外の誰が提供できるのだろう、と。もちろん、時代や制度が変われば、わが家の営みも変化する――のかも知れない。しかし今の私には、それが想像できない。何かある度に、医師や介護専門職から、「で、ご家族はどう思いますか?」と判断を任せられる感覚、常にボールが投げ返され、介護に巻き込まれていくあの感覚は、一種独特のものだと思う。わが家は、祖母の「家族」だったからこそ、「介護」に巻き込まれて行った。

 私たちは、祖母を愛しているのだろうが、その介護自体は、ドライなものだと思う。そういう意味では、家族らしくない振る舞いだろう。

 「家族らしくない」介護が、「家族だからこそ」の介護として成立するアイロニー――そんな中を生きる家族が、この日本にはたくさんいるはず。

(きのした・しゅう 京都大学大学院・社会学専修在籍)








カテゴリー:ちょっとしたニュース

タグ:ケア / 介護 / 認知症 / 木下衆

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