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フランス映画『海の沈黙』(ジャン・ピエール・メルヴィル監督) 松本侑壬子
2010.03.03 Wed
<けっして許さない>
第二次世界大戦終了後間もない1947年製作の古典である。原作は、ナチス・ドイツの占領下にあったフランスで非合法な抵抗組織の地下出版物として刊行され、自身反ナチ仏軍兵士であったジャン・ピエール・メルヴィル監督が戦後いち早く映画化した。同監督は映画は全くの独学であったが、戦後一斉に花開いた新生フランス映画の先駆的作品となった。
登場人物はわずか3人。それも一軒の家の中で、台詞はほとんど一人だけが語り続け、他の2人は頑なに口を開かずただ聞いているだけ、という異様な形のドラマである。題名の「海」とは、何を語っても、海のように何も答えない、被占領国フランスの誇り高い市民の徹底した抵抗の姿の比喩である。
1941年、フランスの片田舎で老人と年若い姪が静かに暮らしていた家が突然、ドイツ軍に接収され、若い将校ヴェルナーが2階の部屋に住むことになる。片足が不自由で軽く足を引きずる将校は、最初の夜から毎晩、老人家族の居間に降りてきて、穏やかな物腰で礼儀正しく語りかける。フランスに好意、どころか憧れさえ抱いているらしい。しかし、老人も娘も無言、相手が存在しないかのように無視し続ける。それでも、ヴェルナーは語り続けるのだ。
ある夜、雨にずぶぬれで戻ってきたヴェルナーは、軍服を脱ぎ、私服のスーツ姿で部屋にやってくる。外から見れば、あたかも金髪のすらりとした”青年”がフィアンセと父親に語りかけているかのようかもしれない。だが、実は娘も老人も敵兵とは決して目を合わさず、彼にソファーを勧めることもない。
将校は、自分は作曲家であり、父親の影響もあって幼いころからフランス文化には憧れていたという。フランスとドイツが「結婚」すれば、優れた文化的融合となり、この戦争はいい結果をもたらすとも。「美女と野獣」になぞらえて、美女はフランス、野獣はドイツであり、ドイツの残虐な性格を直すには、両国の相互愛しかないとも。別の日には、居間のオルガンでバッハを弾き、「バッハは人間離れしているが、自分は人間の音楽を書きたい」と語り、シャルトル大聖堂の砲撃は、自分にはつらい任務だったと告白した。
個人的には善意の人であるヴェルナーに対して、この沈黙はあまりにも失礼ではないか、と老人は内心思わぬでもなかった。が、やはりドイツが侵略者である限りドイツ人に対して無言の軽蔑を表す沈黙をもって臨まざるをえないのだった。
ヴェルナーの態度に変化が起こったのは、休暇で出かけたパリから戻って来てからだった。パリのドイツ人将校らは、談笑しながら一日に2000人殺せるガス室の話をし、ヴェルナーの理想論を嘲笑し、フランス占領は両国の文化的融合などではなく、フランス人の魂を徹底的に破壊することだと止めを刺した。ヴェルナーの絶望は大きかった。部屋にこもり降りてこなくなった将校を、逆に心配するふたり。やっとドアをノックする将校に老人は初めて「お入りなさい」と声をかける。地獄の前線へと去り行く将校に、娘が最後に、万感こもった「アデュー(さようなら)」の一言を贈る…。
白黒の薄暗い画面に漲る、海よりも堅く冷たい鋼鉄のような沈黙。こういう抵抗、日本人にできるだろうか。
(「女性情報」2010年1月号 初出)
写真は「海の沈黙」の1場面。
(C)gaumont1948
編集局より:
「海の沈黙」は、2010年2月20日より3月19日まで、岩波ホールにて上映中です。