2010.03.05 Fri
2008年の夏、ケーブルテレビの再放送で初めて冬ソナ(KBS、2002)を見た。NHKで放映され、ブームを巻き起こしていた頃は、茶髪のマフラー男を演じるペ・ヨンジュン(裵勇俊1972~)が、それまでの彼のイメージとまったく違っていて奇妙に感じ、まったく見る気がしなかった。それに、いわゆる“家族ドラマ”の愛好家だった私には、雪原でポツンと向き合う男女の姿が、いかにも“メロドラマ”風で、興味をそそられなかったのだ。
でも、冬ソナが韓流ブームのきっかけとなったからには、韓国研究者の端くれとして見ないわけにもいかないと思い、半ば義務的に見ることにした。茶髪のマフラー男がどうしてそんなに人気を集めたのかこの目で見極めようと、メモ帳を片手にテレビの前に座った。だが、案の定、第1話が始まった途端、手にしたメモ帳もいつの間にか放り投げ、ドラマの世界に引きずり込まれてしまった。 日本と瓜二つの教室の風景や高校生たちの制服姿。おそらくこの最初の場面で、日本の視聴者は自然にドラマの中に溶け込んでしまったに違いない。それに何と馴染み深い“純愛”物語。その描かれ方があまりにもジェンダーのステレオタイプに満ちていて、「何これ~、チェッ、チェッ!」と舌打ちしつつも、胸は勝手にときめいてしまう。
そんな自分のアンビバレントな反応のせいか、全編見終えてめまいに襲われた。約一カ月間、ソファに寝そべって夢中になって見たために、耳の石が動いたらしい。そちらは病院のやっかいになって治まったが、ドラマの余韻によるめまいはひどくなるばかり。
そんなめまいを止めるべく、冬ソナに関する本を手当たり次第読んでみた。それらによれば、冬ソナのとりこになった視聴者たち(とりわけ中高年女性たち)の多くは、韓国についてほとんど知識もなく、興味もなく、どちらかといえば否定的なイメージすら持っている人もいたという。確かに男たちは、かの悪名高き“キーセン観光”や仕事と称して、70年代から韓国に出かけていたが、女たちには韓国をじかに見る機会がほとんどなかった。それに、子どもの頃から注入された恋愛結婚イデオロギーも、現実の生活の中では実現せず、心の中が枯渇していたのかもしれない。そんな彼女たちの前に、素敵な韓国人男女を主人公にした“純愛”物語が現れたのだから、まるでひび割れた砂漠を潤すオアシスのように感じられたことだろう。
日本と同じような核家族と、男女の異性愛が中心になっていることで、「儒教的なものの失われた」、「家父長制家族の崩壊した」ドラマだと、いささか表面的に受け止めている本もあった。また、信田さよ子のように、冬ソナの‘純愛’物語がもつパターナリズムと共依存の関係を、カウンセラーの視点から鋭く指摘しているものもあった(『共依存・からめとる愛』)。
だが、一つだけ疑問が残った。それは、チュンサンの母親であるミヒを、“悪女”であるかのように憎んでいる人が意外に多いことだ。確かにチュンサンが父親探しをして苦しむのは、ミヒが「父親は死んだ」と嘘をついたからである。チュンサンの記憶を入れ替えてアイデンティティの混乱をもたらしたのも、また、実父がユジンの父親であるかのように思わせて、チュンサンとユジンを別れさせてしまったのもミヒである。でも、ミヒには、あのような行動をとる他に選択肢があったのだろうか。
カン・ミヒはその昔、愛する男ヒョンスに捨てられ、そのショックから自殺を図った。だが、ミヒに心を寄せていたチヌによって助けられる。ミヒはチヌを好きではなかったが、絶望の淵でチヌと性関係をもち(果たして合意があったかどうかは不明だが)、チュンサンを身ごもった。その事実をチヌに告げれば、チヌは喜んで結婚しただろう。しかし、愛する人を思う自分の気持ちに正直であろうとしたミヒは(それを執着だと解釈する人もいるが)、現実に妥協して生きるよりも、未婚のままチュンサンを生み、ヒョンスの子だと信じてそれを支えに生きることを選んだ。
だが、当時の韓国には戸主制があり、子どもは基本的に父親の所有物だった。ミヒのように“未婚の母”として生きることは家父長制社会の掟を破ることであり、許されない。だから、ミヒもチュンサンも韓国社会にいる限り、逸脱者としてその代価を支払わされる。チュンサンは母の姓をもつことで“私生児”のレッテルをはられ、秀才にもかかわらず父無し子として蔑まれ、母を恨み、精神的に不幸せな子ども時代を送る。ミヒはそんな状況から抜け出すために、生活の拠点を米国に移す必要があったのであり、事故で記憶を失ったチュンサンに新たな父親と“イ・ミニョン”としての別人の記憶を植え付けようとしたのだった。
そして何よりも、ミヒは子どもの実父の存在を口外することが“できなかった”。なぜなら、実父にそのことが知られれば、チュンサンを奪われるおそれがあるからだ。ミヒがチュンサンを産み育てた70、80年代の韓国では、既婚男性は妻の同意なく婚外子を自分の戸籍に入れることができた。法律を盾にして、男性が子どもの親権や養育権を女性から奪うケースは珍しいことではなかった。そのため、ミヒがチュンサンを手放さずに育てるためには、とにかく「父親は死んだ」と言うしかなかったのだ。
そもそも韓国社会で“未婚の母”が子どもを育てるのは非常に難しい。日本でも難しいが、たぶんそれ以上である。ミヒにそれができたのは、国際的なピアニストになるほどの並はずれた才能を持ち合わせていた上に、ドラマには出てこないが、裕福で理解のある実家に支えられたと想定するしかない。そのような環境と条件をもてる人は極めて稀である。現実的に考えれば、ミヒは中絶するか、たとえ産んだとしても海外養子に出すなどして、自ら育てることを放棄するしかなかっただろう。今でも、韓国から海外養子に出される子どもの90%以上が“未婚の母”から生まれたケースなのだから(『女性新聞』2010.1.8)。
ドラマの中で、実父がチヌであることを知ったチュンサンが、「なぜ父親が死んだと嘘をついたのか」と、ミヒに詰め寄る場面がある。あそこでミヒは、「そうしてこそ、お前を放棄せずに生きることができた」と語っていて、私はこのセリフに深い意味を感じた。でも、残念ながら字幕では、この大事なセリフが抜け落ちていて、ミヒの苦悩が伝わりにくい。
最近、市民向けドラマ講座でこのような話をしたところ、「ミヒが憎くなくなった」と感想を書いてくれた人がいて、嬉しかった。そして、チュンサンとユジンをこよなく愛すれば愛するほど、“ミヒ憎し”になりがちなのだということにも気がついた。
ところで、“未婚の母”とその子をめぐる出生の秘密は、冬ソナをはじめ韓国ドラマの定番でもある。最近のドラマに登場するシングルマザーは多様化し、堂々としている傾向すらある(相変わらず父親は死んだことになっている場合が多いが)。
実際にも韓国未婚母支援ネットワーク(2007)や韓国未婚母家族協会(2010)が設立され、“未婚の母”が子どもを放棄せずに済むような支援の輪が少しずつ広がっている。後者は、ネットカフェ“愉快なミス・マムマミア”というオンライン上の活動が発展したもので、“未婚父”に責任を問えるシステムを法制化するなどの多様な活動を考案中だそうだ。
政府の外郭機関である韓国女性政策研究院も、昨年、「韓国の未婚母福祉に関する研究:海外入養、関連統計、先進国の福祉政策を中心に」という研究を行い、今年は「未婚母の現実と自立支援方案」というフォーラムを開いた(2010年2月24日)。
現実の社会でも、多様なシングルマザーたちが差別や貧困にさらされずに堂々と生きられる日が早く来てほしい。
(写真出典:KBS「冬のソナタ」HP)
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