エッセイ

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<女たちの韓流・5>「波濤」   山下英愛

2010.06.05 Sat

①‘貞節イデオロギー’
 私が韓国に留学して最初に読んだ論文が、李玉卿(イ・オッキョン)氏の「朝鮮時代貞節イデオロギーの形成基盤と定着方式に関する研究」(梨花女子大学社会学科1984年度修士論文)であった。当時、韓国では‘反共イデオロギー’という言葉は聞き慣れていたが、‘貞節イデオロギー’という表現を見たのはこの時が初めてで、「へぇー、こんなイデオロギーもあるのか」と、驚いたことを憶えている。

 この論文を読んで間もない1990年に、韓国の女性たちと一緒に私もその一員として日本軍‘慰安婦’問題を提起し、これを告発した。ところが韓国のマスコミは、この問題を「女性の人権問題」としてではなく、むしろ「日帝に奪われたわが民族の純潔」、「汚された貞操」という表現を用いて書きたてたのである。これは‘貞節イデオロギー’は決して過去のものではなく、現代においてもしぶとく根を張っていることを示している。 このことについて興味のある方は、「波濤」(SBS週末ドラマ、全72話、1999)を見ることをおすすめする。このドラマは、前回紹介した「彼女の家」と同じ作家金貞秀(キム・ジョンス)の脚本で、映像は地味だが、かなりの傑作だ。最近の、やたらと豪華でトレンディーなドラマを見慣れている人には物足りないかもしれないが、「初恋」(1996)や「若者のひなた」(1995)などと並ぶ、90年代の味わい深いドラマの一つであるのは間違いない。 物語は、全羅北道の群山という港町からソウルに上京して、懸命に生きる人々を中心に展開される。若くして夫を亡くし、女手一つで三人の子どもを育て上げた、勤勉で実直な母親キム・ヒョンスクの半生を軸にして、孝行息子のヨンジュンとヨンノ(後に叔母の子であることが判明する)、娘のヨンミがそれぞれ巣立つ過程が描かれている。

 前半の山場は、長男パク・ヨンジュン(俳優は李在龍イ・ジェリョン、1964~)とナ・ユンスク(李英愛イ・ヨンエ、1971~)が結婚に至るまでの物語で、その最大の葛藤が、ユンスクのある事情が明るみに出ることで引き起こされる。

 大学院生のヨンジュンは、同郷でお金持ちの娘スジョンと交際していたが、同郷のユンスクと再会して彼女に心惹かれる。ユンスクは幼くして両親に先立たれ、貧しい祖母の家で育てられたが、気立てが良く、賢く、もの静かな性格だ。何不自由なく大学生活を謳歌しているスジョンとは対照的に、奨学金とアルバイトで学費と生活費をまかなう苦学生である。

 ただ、ユンスクには誰にも知られたくない秘密があった。それは、学費を稼ぐために、同郷の友人ジョンヒが働くナイトクラブで、一時、ホステスのアルバイトをしたことだ。つき合い始めたヨンジュンにもそのことだけは知られたくなかった。ところが、ヨンジュンを諦め切れないでいたスジョンがその秘密を嗅ぎ付ける。スジョンは「ヨンジュンと別れなければ秘密をばらす」と、ユンスクを追い詰める。

 ユンスクにヨンジュンと別れる意思がないと知ったスジョンは、ヨンジュンの母親であるヒョンスクを訪ね、そのことを告げ口する。耳を疑うほどショックを受けたヒョンスクは、真相を確かめようとユンスクを呼び出し、問いただす。「学費を稼ぐために仕方がなかった」と、ひたすら泣いて許しを乞うユンスク。しかし、ヒョンスクは烈火のごとく怒り、息子と別れることを要求する。もし息子が別れないなら息子との縁を切る、と凄い剣幕だ。

 この時のヒョンスクのセリフが強烈だ。「お腹を空かせて殺人をしたのならお前の味方になってやるが、飲み屋はだめだ」。「私ならたとえ飢え死にしてでも、男に笑いを売ったりはしない」。そして、「男たちにお酌して笑いを売った女を自分の嫁にするわけにはいかない。お前の体から私の孫(男孫)を産ませるわけにはいかない」と止めを刺す。「笑いを売る」というのは暗に‘売春’を意味する。言うまでもなくヒョンスクは貞操が命よりも貴いという観念の持ち主である。

 ヨンジュンもその事実を知ってショックを受け、‘孝行息子’らしくユンスクを遠ざける。こうして二人は別れるのだが、互いに好きな分、それぞれが心身ともに死ぬほどの苦しみを味わう。そんな様子を見て、ついにヒョンスクが折れて二人の結婚を許し、結ばれる。

 これが90年代末のドラマだから、その10年前に提起された‘慰安婦’問題が‘貞節イデオロギー’の衣をまとって世論化されたのも、今では納得がいく。ちなみに、2年後の「彼女の家」では、少なくともヨンウクには‘貞節イデオロギー’へのこだわりはあまり感じられなかったから、もうそんな時代は終わりつつあると言えるのかもしれない。

②‘再嫁女子孫禁錮法’
 ところで、このドラマのもう一つの山場は、その後に展開されるヨンジュンの母ヒョンスク自身のラブストーリーである。三人の子どもたちを結婚させたヒョンスクは、長い間、彼女に心を寄せていたユン・ヒョンテからプロポーズされる。ヒョンテは亡き夫の友人で、ユンスクが一時勤めたナイトクラブの社長でもある。またヒョンテにとってヒョンスクは初恋の人であり、彼女を慕ってずっと独身を貫いてきた。

 最初はヒョンテをまったく相手にしなかったヒョンスクも、ヒョンテの積極的な働きかけで次第に心が傾いてゆく。そして、いよいよヒョンスクもその気になりかけた頃、家族の強い反対に出くわす。反対するのは亡夫の肉親たちだ。「朴氏の家の嫁としてきれいに老いて死んでほしい」と言う亡夫の弟。密かにヒョンテに思いを寄せる亡夫の妹(ヨンノの実母)は、やっかみ半分に「二人は何から何までまったく似合わない」と冷たく言い放つ。そして、最も強硬に反対するのが長男のヨンジュンだ。

 ヨンジュンは、ヒョンテが母に言い寄っていろいろ貢いでいることを知って怒る。その事実を知っていたのに自分に話さなかったと、妻のユンスクにまで当たり散らす。そして、母親を‘改心’させるために一層孝行息子になろうとし、母の還暦祝いに「父の遺影をもってヨーロッパ旅行をしよう」などと提案する。そんなことを言われたヒョンスクが、どう思うかなどは一切お構いなしだ。ヨンジュンにとって母親の再婚は、それほど許し難く、受け入れ難いことらしい。

 こうした考えを理解するための歴史的背景として、朝鮮王朝時代に制定された「再嫁女子孫禁錮法」(1485年)まで遡る必要がある。この法律は、簡単に言えば、再婚した女性の子孫には官吏登用試験である科挙を受けさせない、というものだ。当時の両班(ヤンバン)支配層がその勢力を保ち続けるためには、家門の子孫が科挙を受けて合格し、官吏の身分を維持する必要があった。だから、母親が再婚して子どもが科挙を受けられなくなることは、家門の盛衰にかかわるそれこそ一大事だったのだ。また、貞操を守るために死んでいった女性たちを称える烈女門や烈女碑が朝鮮の各地に建ち、烈女が語り継がれるようになるのも、この儒教絶対化時代からである。

 長年の‘貞節イデオロギー’の奨励によって、元々は両班支配層の女子にのみ強要された再婚禁止が庶民層にまで徐々に広がってゆく。女性はたとえ夫が死んでも再婚せず、亡夫に一生貞節を捧げるべきだ、とする道徳観が普及し、再婚する女性を‘節操のない女性’とする見方が浸透した。近代的改革といわれる甲午改革(1895)時に、寡婦の再婚が許されるようになったが、こうした風潮はその後も100年近く残り続けた。

 ドラマに話を戻すと、再婚を反対されたヒョンスクが、酒に酔って思わず本音を吐露する場面が印象的だ。そのセリフは「還郷女(ファニャンニョン)と言われてもいいから、あの男と暮らしてみたい」というものだ。字幕では「後ろ指差されても…」と上手く訳されているが、「還郷女」とはまさに「汚れた女」を意味する。女性を卑しめる際の最もきつい表現で、‘烈女’の対称的存在だ(朝鮮時代に度重なる外国の侵攻で、多くの女性たちが戦利品として連行されるという歴史的悲劇があった。のちに帰郷することが許された女性を指すが、実際は彼女たちこそ戦争の最大の犠牲者であったという視点が欠落している)。

 さて、ヒョンスクが朝鮮時代に生きているのならともかく、ここは1990年代末の韓国社会。何とかヒョンスクの願いを叶えさせて、と思いながら見ていた視聴者も多かったはずだ。その思いが通じ、結局二人は結ばれることになるのだが、それを可能にしたのは、皮肉にもヒョンスクに下された癌宣告だった。余命が幾らも残されていないとわかって、ようやく周囲が再婚を受け入れたのである。

 こうして二人は結婚し、ヒョンテの手厚い介護とともにヒョンスクの闘病生活が始まる。終盤はヒョンスクを演じた金玲愛(キム・ヨンエ、1951~)の名演技が光る。放送局には連日「ヒョンスクを死なせないで」という視聴者からの意見が殺到し、‘キム・ヨンエ救命運動’が起こったといわれる。

だが、そんな願いも虚しく、最終回でヒョンスクはついに最期を迎える。その代わり、この場面では、悲しみのどん底を通り越して、不思議な喜びを味わうことができた。これならヒョンスクもヒョンテも寂しくはないだろう。これも金貞秀ドラマならではの巧みな演出というべきか。

写真出典: 上、http://movie.daum.net/  下、 http://www.chosun.com/

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