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オムニバス映画『掌の小説』   松本侑壬子

2010.06.08 Tue

<川端康成のふしぎな映像世界>
 ノーベル賞作家川端康成の122編の短編小説を集めた表題の作品集の中から、6作品を基に新進の若手監督4人が映像化したオムニバス映画。桜を共通イメージに、それぞれの物語が返し縫いの糸のように重なりながら展開してゆく。内容は、映像詩集といった趣の作品である。 現代の若手映像作家たちの描きだす、日本的美の巨匠カワバタの世界は、伝統的な日本でもあり、未知の国でもあるかのような、あいまいな既視感覚の中を、知らぬ間に不思議な耽美的世界に誘い込まれる、といった風情だ。自分も“ガイジン”になったかのような物珍しさと、実体験を越えた何かしら懐かしさの入り混じった、切なくも興味津津な精神世界…。それだけ、川端はインターナショナルな作家ということだろうか。そういえば、先年、ドイツで「眠れる美女」(2005年)が映画化されたが、それは、かつて日本で映画化された作品(1995年)よりも、私には原作の妖しいニュアンスがしっくりきたのだった。

 路地裏のアパートの一室に暮らす若い夫婦。夫は売れない作家で、妻は病んでいる。死期の近いことを自覚しているらしい妻は、夜毎に「足が寂しい」と夫に着物の裾から白い足を出してさすってほしいとせがむ。「桜が見たい」という妻のために、夫は裏山の満開の桜を一枝手折って戻るが…。

 しんと胸の底に哀しさが広がり、花瓶の周りに散る桜の花びらまでがこの世の名残りを告げているように、冷え冷えと切ない。(第1話、岸本司監督「笑わぬ男」)

 街の映画館で歌を歌う亡命ロシア人少女。財布を掏られた青年が、彼女の木賃宿を突き止め、隣室の襖の隙間から夜な夜な覗き見をする。彼女は突然姿を消し、翌春、そっくりな少女に満開の桜の下で再会するが―。美しい少女、かなしげなロシアの歌、ぼやけたスライドで見る異国の風物。憧れとかすかな怒りと湧き上がる恋心と…花嵐に巻き込まれそうな青年の心。(第3話、坪川拓史監督「日本人アンナ」)

 これも、満開の桜の下の物語。来る日も来る日も同じ木の下で凧を揚げる老人。ある日、街の雑踏の中に長い髪の若い女を見つけ、ふたりは手に手を取って、桜の木の下へ。女はずっと昔に死んだはずの恋人・みさ子で、老人は、万感の思いを込めて凧を揚げるが…。横たわる老人の躯の上をみさ子の着物の残り香が漂うばかり。(第4話、高橋雄弥監督「不死」)。

 ロマンと不気味とどこかエロティックな妄想を含んだ、不思議な魅力が全編を貫いている。そして、すべては男目線の美意識である。それで、どうした?という結論もオチもないのだけれど、もともととらえどころのない川端文学(ノーベル賞受賞記念講演タイトル「美しい日本の私」を見よ!)である。日本文学への果敢な挑戦は素晴らしい。が、さらに、もし女性が監督したとしたら?と、ふと想像力を逞しくしてしまった。

*写真は、「掌の小説」の一場面
*クレジットは(C)「掌の小説」製作委員会
*公開は、3月27日より「ユーロスペース」

(初出:「We Learn」誌“シネマ女性学”2010年4月号)

カテゴリー:新作映画評・エッセイ

タグ:セクシュアリティ / 松本侑壬子 / 邦画