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W杯運命のデンマーク戦を観たあとで、映画『アイ・コンタクト』に思いをよせる 川口恵子

2010.06.28 Mon

 サッカー日本代表のW杯決勝リーグ進出をかけた、運命のデンマーク戦を二回観たあとでこの原稿を書いている。6月25日、日本時間午前3時半キックオフのTV中継は、身もだえしつつ、歓喜にわき、午後の再放送は、ゆっくりプレイひとつひとつに集中しながら見ることができた。

 カメルーン戦が終わったあとのインタビューでも感じたことだが、試合後に記者の質問に答える本田選手の表情には、ほとんど神々しさすら感じる。ナイーヴさと、静かな自信と、前へ向かうまっすぐな気持ちが、素直な言葉遣いに表れている。試合前の、思いつめた、切羽詰った感じが、体力の限界を超えて戦いぬいたあとの虚脱感とともにすっと消え、どこか別次元の世界からたった今戻ってきた人のように、澄んだ目をして試合を語る。自分にふさわしいポジションを得た男の、まだ次を求める言葉が、私たちを鼓舞する。

 男はいいな、と思うのは、こうした表情に出あった時だ。そして、もう一つの性に生まれたことを、心からくやしく思う。男に生まれていたら、きっと朝から晩まで、ボールを蹴る人生を選んでいただろう・・・なんて。

 女子サッカーがないわけじゃない。なでしこジャパンは大活躍している。しかし、それでも、現代的な組織化されたサッカーをするには、女子は、男子に比べ、あまりに体のキレを欠き、そして何より、悲しいことに、スピードと迫力に欠ける。それは、スポーツ選手にとって、ほんとうに悔しいことではないだろうか。

 なんて、40才を過ぎて、数年間、かなり本気でフットサルに打ち込んだ経験から思ってしまう。体中にまとわりついてくるジェンダーを振り落としたくて、コートの中で、走り回った。当時、日テレ・ベレーゼの選手だったコーチから、「動きがいい」と褒められたのは、生涯の誇りだ。練習試合中に、相手チームと接触し、左手の指を二本、粉砕骨折したことがきっかけで、遠ざかることになったが、それでも、一時期は、復活を目指して、ジムで筋トレに打ち込んだ。いつか、どこかで、またサッカーができるのではないかと期待して。

 この気持ち、たぶん、男子には永遠にわからないだろう。
 当時、夢見ていたのは、さっぱりした気性の長身のSさんと、アイ・コンタクトを交わしつつ、ワン・ツーでシュートに至るシーンだった。

 およそサッカーをする者にとって、アイ・コンタクトほど大事なものはない。

 目は口ほどにものをいう、というのは本当で、言葉かけも確かに大事だが、視線ひとつで、パスを回して、シュートする、といった類の情報が、瞬時に相手に伝わる。

 中村和彦監督による長編ドキュメンタリー映画『アイ・コンタクト』に描かれた、ろうの女子日本代表チームにとっても、まさに、アイ・コンタクトほど大事なものはなかった。

 2009年夏、彼女たちは、台北で行われた第21回夏季デフリンピックに出場し、予選リーグで、強豪イギリス、ロシア、タイと戦った。すべてをかけた最終戦は、奇しくも、今回日本代表が戦ったのと同じ、デンマーク戦。女子も、とても背が高い・・・何か、知らないところで、デンマークとは妙に縁があったんだな。チームは2005年に結成された。選手と監督などメインスタッフはろうである。

 デフリンピック(deaflympics)というのは、4年に一度、世界規模で開催される聴覚障害者のためのスポーツの国際競技大会である。主催は国際ろう者スポーツ委員会(ICSD)。ICSD(International Committee of the Sports for the Deaf)には現在、96国が加盟している。参加者は、補聴器を外した裸耳状態での聴力損失が55デシベルを越えていて、国内のろう者スポーツ教会に登録していることが条件とされる。日本はワシントンでの第10大会より参加し、アジア初となった台北大会では12競技に参加した。参加者の安全確保のために、競技中の補聴器装用は禁止されている。

 高校生や大学生、30歳代の社会人、既婚者に至るまで、総勢18人の選手たちは、その人生において、「聞こえない」あるいは「聞こえにくい」現実と闘ってきた人たちである。映画の中では、ハンディを背負って生まれた娘に言葉を教えることに心血を注いだ母親、彼女たち自身、ろう学校の教師の発言などを通じて、彼女たちがいかに、世界とコミュニケーションをとることに苦心してきたかが、手際のよい編集で説明される。

 サッカーという、彼女たちが人生の大事な時期をかけるに値すると判断し、多くの葛藤をのりこえて出会ったスポーツの競技中にも、コミュニケーションをどうとるかという問題が、彼女たちを苦しめる。

 「前をむく」という解決法が頼もしい。サッカーの基本だ。

 映画のクライマックスは、2009年9月13日の、デンマーク戦だ。彼女たちが向かう世界が、その時、初めて、音のない状態で、観客の前に提示される。まったく音が聞こえない、というのは、どんなものか、それまでの音が突然すべて消えた状態で映し出される彼女たちのプレイを見て、初めて、うかがい知ることができた。

 風の音もしない、というのはどんな感じなのかーーーボールの音も、走ってくる仲間の足音も、タックルの音も、ピッチの外から聞こえてくるはずの歓声も、そこではすべて消えているのだ。

 惜しむらくは、彼女たちが何を求めてサッカーをしているのか、その部分が、あまり、伝えられていなかったことだ。おそらく、言葉では説明できないものなのだろうけれど。

 サッカーが何を人生に与えてくれるなんて、誰にも本来、説明できるようなものではないのだ。サッカーでなくてはならない何かが、フィールドにはある。

 心に残ったのは、結婚するなら、同じように「ろう」の人がいい、と彼女たちが一様に、明るく語ったことだ。そのほうがわかりあえるーーーその気持ちには、なんだか説明抜きに納得することができた。

 ろうであることによって、「余計なことが聞こえなくていい」という声にも、おおいに頷けた。
 まっすぐ人を見つめる、すがすがしい彼女たちの瞳に、魅了された。そこに、アイ・コンタクトと本作を名づけた、監督の思いが、垣間見えた気がした。

映画『アイ・コンタクト』 2010年9月18日(土)より、ポレポレ東中野にてロードショー
正式HP http://www.pan-dora.co.jp/eyecontact/

写真 (C)「アイ・コンタクト」製作委員会。
撮影:葛尾優子

カテゴリー:新作映画評・エッセイ

タグ:くらし・生活 / 川口恵子 / 邦画 / 女とスポーツ,ドキュメンタリー

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